「誰か、助けて・・誰か 私の気持ちをわかってほしいの。
お母さん、お父さん、私を見捨てないで・・・」
思春期に 漂流する少女たちに共通する ある思い
あまりに心の奥深い部分に埋もれて 本人さえ気付いていない、その思い
幼少の頃、余裕のない親は 上手に子育てできるはずもなく
後で考えると 反省する事ばかり
あの時は 子供、可哀そうだった・・・ そう思う親は少なくないと思う
子供の心をキズつけずに 子育てできた親がいたら お目にかかりたいほど
とくに 長子は もろに親の未熟さをかぶりがち
だから 周りのフォローがなにより大切になる
今、一番の問題は 子育てのベテランが なりたての母親 父親を助けるシステムがない事
私はそういうふうに思います
私も核家族で育った為、だれも 親に邪険にされた子供の心に寄り添うものはいなかった
近所のやさしいおばさんでもいい
「どうしたの?」とか「本当は お母さんは あなたの事が とても大事なの。
おばさんと一緒に あやまって許してもらおうね。」
そういう誰かが 一人いれば・・・
つらい子供時代、こんな私に やさしく声をかけてくれた他人を
今でも忘れない。
児童館で知り合った 優しいお姉さん 小学校3年の時の担任の先生
ひねくれて 貧しく いつもみすぼらしい私に
いいところを指摘してくれた。自信を持っていいんだよ って言ってくれた
それと、「本」 つらい環境に負けず たくましく明るく生きる主人公に
自分を重ね 私もそうありたいと願った
自分のありのままを受け入れてくれる人たちとの出会いが
私を向上へと導いてくれたのだと とても感謝している
地に倒れたものは 地によって立つ
あさイチの番組で紹介されていた少女も
教会のシスターや 家に帰れない少女の支援をおこなっている人
学校の先生等によって 自身の進路を決め、一歩を踏み出した
「あなたの事、いつも気にかけているよ。幸せになろうよ。
ほら、見方を変えるだけで、 しあわせはすぐそこに あふれているよ。
頑張らなくってもいい。自分のペースをつかんだら、そして、あなたは素晴らしいっていう事が
自分で 心底わかったら、それでいいんだよ。」
って・・・
実は、 介護の現場でも、 この事が 本当に大事だと 痛感した
老いてなお 人は 自分を丸ごと受け止めてくれる人を求めている
施設に入っていても 心満たされない人は 不幸をなげき
死にたいとか 帰りたいとか 子供ではずした と言っていた
一方、 感謝するお年寄りは 自分のペースや 好みをよく心得て
ヘルパーさんの忙しさをもわかっているので 無理は言わず
やってもらった事に 「ありがとう」を必ず言う
たとえ 認知が 入っても
穏やかな人格は 顔に現れている
決して人の神経を逆なでするような言動はなかった
どう生きてきたかが 人生の暮れに 如実に表れる
それは ごまかしがきかない
そういう事を 今回は 見せていただいた
「私は どう 生きていきたいのか」
お金は必要だけど、 もっと大事なものがある。
それは 「人」という財産ではないだろうか
その財産を手にできるには
自分の「心」のありようを 磨いていく事なんじゃないか
深く考えさせられました
お母さん、お父さん、私を見捨てないで・・・」
思春期に 漂流する少女たちに共通する ある思い
あまりに心の奥深い部分に埋もれて 本人さえ気付いていない、その思い
幼少の頃、余裕のない親は 上手に子育てできるはずもなく
後で考えると 反省する事ばかり
あの時は 子供、可哀そうだった・・・ そう思う親は少なくないと思う
子供の心をキズつけずに 子育てできた親がいたら お目にかかりたいほど
とくに 長子は もろに親の未熟さをかぶりがち
だから 周りのフォローがなにより大切になる
今、一番の問題は 子育てのベテランが なりたての母親 父親を助けるシステムがない事
私はそういうふうに思います
私も核家族で育った為、だれも 親に邪険にされた子供の心に寄り添うものはいなかった
近所のやさしいおばさんでもいい
「どうしたの?」とか「本当は お母さんは あなたの事が とても大事なの。
おばさんと一緒に あやまって許してもらおうね。」
そういう誰かが 一人いれば・・・
つらい子供時代、こんな私に やさしく声をかけてくれた他人を
今でも忘れない。
児童館で知り合った 優しいお姉さん 小学校3年の時の担任の先生
ひねくれて 貧しく いつもみすぼらしい私に
いいところを指摘してくれた。自信を持っていいんだよ って言ってくれた
それと、「本」 つらい環境に負けず たくましく明るく生きる主人公に
自分を重ね 私もそうありたいと願った
自分のありのままを受け入れてくれる人たちとの出会いが
私を向上へと導いてくれたのだと とても感謝している
地に倒れたものは 地によって立つ
あさイチの番組で紹介されていた少女も
教会のシスターや 家に帰れない少女の支援をおこなっている人
学校の先生等によって 自身の進路を決め、一歩を踏み出した
「あなたの事、いつも気にかけているよ。幸せになろうよ。
ほら、見方を変えるだけで、 しあわせはすぐそこに あふれているよ。
頑張らなくってもいい。自分のペースをつかんだら、そして、あなたは素晴らしいっていう事が
自分で 心底わかったら、それでいいんだよ。」
って・・・
実は、 介護の現場でも、 この事が 本当に大事だと 痛感した
老いてなお 人は 自分を丸ごと受け止めてくれる人を求めている
施設に入っていても 心満たされない人は 不幸をなげき
死にたいとか 帰りたいとか 子供ではずした と言っていた
一方、 感謝するお年寄りは 自分のペースや 好みをよく心得て
ヘルパーさんの忙しさをもわかっているので 無理は言わず
やってもらった事に 「ありがとう」を必ず言う
たとえ 認知が 入っても
穏やかな人格は 顔に現れている
決して人の神経を逆なでするような言動はなかった
どう生きてきたかが 人生の暮れに 如実に表れる
それは ごまかしがきかない
そういう事を 今回は 見せていただいた
「私は どう 生きていきたいのか」
お金は必要だけど、 もっと大事なものがある。
それは 「人」という財産ではないだろうか
その財産を手にできるには
自分の「心」のありようを 磨いていく事なんじゃないか
深く考えさせられました