「今日はね、お刺身よ。タケゾーはお肉が多いでしょうから、お魚しか食べさせてあげない」
「なに言ってる、刺身は好物だ。酒にぴったりじゃないか」
「お昼はどうしてるの? 外に食べに出てるの? ひとり、じゃないわよね。
どうせ取引先と一緒に、でしよ? あたしなんかいっつも、お茶漬けさらさらなのに」
暗に、休みの日にはステーキを食べさせて、とにおわす小夜子だ。
「ばか言うな、そんなことはないさ。いつもざるだよ。近所の店から、ざるそばを出前させてるさ」
「うそ! タケゾー、嘘うそいてる」
「うそなもんか、小夜子にうそなんか吐くものか」
「うそよ、ぜったいうそよ」
あくまで言い張る小夜子。
「どうしてそう思うんだ? こんやの小夜子はおかしいぞ」
「だって、だって……。タケゾー、いつも元気だから。あたしが疲れているときでも元気だから。
夜、元気だから。夜遅くなった時でも、朝になったら元気だから」
顔を真っ赤にして、声も小さくなっていく。
「ああ、あのことか。ハハハ、そりゃ元気だぞ。小夜子を抱いているんだからな、元気そのものだ」
「ばか! そんなこと、大きい声でなんかだめ!」
「悪かった、悪かった。まっ、しかしだ。みんなが知ってることだから、いいじゃないか。
そうだ。小夜子にごほうびをやろう。欲しい物はあるか? なにが欲しい」
「欲しい物? ある、ある。あたしね、くつが欲しい。それもね、赤いくつが。
病院でね、お唄を聞いたの。赤いくつ、はいてたおんなの子ー。
知ってる? このお唄。タケゾーは、知らないわね」
「赤いくつか。分かった、今度の休みに百貨店に行こう。
そうだ! 草履も買ったらどうだ。この間のぬかるみで駄目になっただろう」
武蔵の意図するアメリカ将校たちのホームパーティへのデビューを考えている。
“アメさんたちも、ステーキばかりじゃ飽きるだろう。
芸者ガールに興味深々みたいだからな。きっと喜んでくれるぞ。
小夜子に日本舞踊の趣味でもあればいいんだが、そうもいかんか”
そして小夜子が思いえがく、正三との再会時の出で立ち。
“最新モードで思いっきりおしゃれしなくちゃ。
正三さん、目を丸くするでしょうね。ふふ……あのショーのときのように”
すれ違う思いを抱くふたりなのだが――小夜子の中にある正三への思い、それが夢想の世界でしか存在しえない恋慕の情だと知る武蔵だった。
そしてそれを許す己に、小夜子への思いの強さをしめす証しなのだと言い聞かせてもいた。
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