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昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百二十七)

2022-05-03 08:00:59 | 物語り

 店の中から女給たちの嬌声に送られて男たちが出てきた。
皆が皆、高揚した観で、緩みっぱなしだ。
中には女給に抱きついて「キスしてくれなきゃ帰らないぞ」と懇願したりする者もいた。
「もう一度入る?」。「こらこら、もう帰るぞ」。そんな会話が聞こえる中、別の一団がボーイに促されて店内に入っていく。
大きなドアが開いたとたんに、中からブラスバンドの音が漏れてきた。
と、今の今まではしゃぎ回っていた正三が、突然黙りこくった。

 キャバレーと聞いた折に正三の頭に浮かんだのは、初めて東京の地を踏んだあの日のことだった。
「生バンド演奏を聞きたいわ」。駅のホームに降り立ってすぐの、小夜子のことばを思い出した。
あの日は、小夜子に振り回され続けた一日だった。腹立たしいはずの、屈辱的な一日だった。
はずなのだ。しかしそれが正三の胸を甘酸っぱさで一杯になっている。

 そしてあの再会では、一方的に詰られた。
正三の不実を、これでもかとばかりに責め立てる。
正三の情交を、汚らわしいものと責め立てる。
そしてひと言の弁解も許さない。
最後にとどめとばかりに発せられたことば。「男らしくありませんことよ!」。
正三の胸にぐさりとくる言葉だ。

“ぼくを非難するけれど、小夜子さん、あなたはどうなのですか。
みたらい某という男とは、どのような間柄なのですか? 
もう、もう、もう……。あなたの操は……”
“他人を非難しても、己を正当化することはできないんですよ”
 喉まで出かかったことばを、ぐっと飲み込んだ正三だった。
それを口にすることは、己の非を認めることになる。
己の発したことばに、正三自身が縛られることになる。

 複数のトランペットが高らかに鳴り響く店内、その喧騒の中をボーイの先導でボックスに着いた。
そこで山田が噛み付いた。
「何だ、この席は。馬鹿にしているのか、我々を。
高級官僚としての道を順風に歩いていられる坊ちゃんを、こんな席に押し込めるとは。
課長! 出ましょう、こんな無礼な店はだめだ」
「お、お客さま。大勢さまのお席は、ただいまのところ此処だけでございまして。
少しの間、ご辛抱願えませんでしょうか」
 先導したボーイがあわててあやまった。

「許せん。なるほど、この込み具合だ。多少のことは我慢しよう。
しかし手洗いのわきというのは、言語道断だ」
「きみ、マネージャーを呼びたまえ。山田くん、ボーイ相手では如何ともできんよ」
 見かねた杉田が口をはさんだ。
「ターちゃん、いらっしゃ~い! あらあら、何をおこってるのかな、ハンサムボーイたちは」
 妖艶な雰囲気をただよわせる女給が、課長の杉田に抱きついてきた。
よりによってこんな席にと、その笑顔の下では思っている。
入りたてのボーイでは対処できないだろうと、あわてて接客中の席から飛んできた。



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