しかし、ミドリのこころは大きく揺れていたのだ。
会って間もない男に、これほどに熱い想いを抱いてしまった自分が信じられなかった。
男に対する免疫不足かもしれないが、自分の肌を見られたという思いが消えなかった。
無理をすればひとりで起きられたものを、男の手をわざとわずらわせた。
酔いのせいもあったが、ミドリ自身わからずにいた。
「これが恋なの?」 と自問してみた。
が、ミドリにわかるべくもない。
タクシーの中ではふたりとも無言だった。
こんやのことは夢まぼろしのごとくに思える。
ついさっきの、口づけ。
ナイトクラブでの酒、ダンス、そしてその前の食事。
どころか、雨宿りをしながら男を待っていたことじたいが、なかったことのように思える。
しっかりとたがいの手をにぎりあいながら、おたがいを感じとろうとしていた。
お互いがおたがいの思いを持てあましていた。
やがて、男のアパートに着いた。
男は、「ほんとに送らなくていいのかい?」 と念を押したが、ミドリは「大丈夫です」とドアを閉めさせた。
男の差し出すタクシー代も受け取らずに。
たしかに兄の道夫に知られることは、まだミドリには考えられない。
「あいつはいい奴だ」。交際することを認めているかのごとき、道夫のことばを聞いた。
しかし以前にもそう言いつつも、「だめだ、だめだ。まだ早すぎる」と叱られたことがある。
車を降りて時計を見ると、11時を指していた。
やはり、送っていくべきだったと悔やまれた。
〝まさか男とのデートで遅くなったとは言えないだろう。
といって、送りとどければどうなる。
知らぬ顔をして立ち去るわけにもいかんだろうし…〟
逡巡するものの、答えは見つからなかった。
〝いまの俺は、先のない男だ。
会社を、いつ辞めることになるかもわからない。
それで麗子は、去っていったんだ。
ミドリにしてもそうだろう、いまの俺の状態を知れば……〟
いつもなら、そのまま部屋に入りベッドに直行する男だったが、その夜にかぎって郵便受けに目がいった。
白い封筒がはいっている。
切手がないところをみると、直接入れられたもののようだ。
ダイレクトメールかとも思ったが、宛名の字を見ていやな気がした。
麗子からの手紙だった。
なにをいまさらと、破り捨てようかとも思ったが、なにかしら気になり封を開けた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます