昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第一部~ (二十六)

2020-10-29 08:00:44 | 物語り
 涙を拭いてから、居住まいを正して、茂作に正対した。
「お大尽な暮らしを望んだわけじゃないわ。
体を動かすことは好きだし、みんなのお役にも立ちたかったし。
でね、御三どんを手伝ったの。
お洗濯はね、すっごく難しいの。お芝居で着る着物でしょ? 
優しく洗ってあげなくちゃいけないの。中には洗っちゃいけないものもあったりしてね。
濡れ手ぬぐいを固く絞って、それで汚れている部分をね、叩くの。
おしょう油なんかこぼした時みたいにね。
初めは分かんないことだらけで、しかられてばっかり。
でも、すぐに覚えたから、座長さんにほめられたりもしたのよ」

「うんうん、そうかそうか」
 目を輝かせて話す澄江に、茂作は目を細めて頷いた。
「でもね、でもね、……」
「うん、どうした? なにがあった?」
「ヒマを出されたの、家に帰れ! って」
「そりゃ、どういうことだ? まさか……病にかかったとか、それで、か!」
 気になっていたことを口にした茂作だった。
まさか病気をして、それが原因でむくみが出たのでは? と、思ってしまった。
「そうなの……それでなの」
 まさか、という返答が返ってきた。

「そうなのって、澄江。病だからと追い出されたのか」
「いや、そうじゃなくて…」
 口ごもった澄江は、中々次の言葉を発しなかった。
「はっきり言うてみい。どうした?」
 茂作の頭の中に、二文字が渦巻いた。
女が男についていったのだ、当たり前のことなのだ。
しかしどうしても、口にすることができなかった。
「実は…赤ちゃんができたの。慶次郎さんの赤ちゃんが」
「なに! それじゃ、なにか。澄江が身ごもったから、働けなくなったから、それだから追い出されたと言うのか!」
 つい大声を出してしまった、澄江を詰るような大声を。澄江は体を小さくし、俯いた。

「なんてひどいことを……ううぅ…」
 吐き捨てるように言うと、カッと目を見開いて澄江に問い質した。
「いま、どこで興行してる。直談判してくる。
澄江は、ここで待ってなさい。この家から一歩も出るんじゃない」
「ごめんね、ごめんね。お父さん、ごめんね。心配ばかりかけて、悪い子だね、澄江は」
 ボロボロと大粒の涙をこぼす澄江を見て、強く言い過ぎたかと気になった。
(いかん、いかん。また澄江が家出してしまう。
澄江は悪くないんじゃ。悪いのは男のほうじゃ)
「もう休め、わしも休む。澄江が悪いんじゃない。澄江は悪くないぞ。さあ、寝よう」
「一緒の部屋でいい? 小っちゃい時みたいに、お布団並べていい?」
「もちろんだとも。そうしょう、そうしょうな」


最新の画像もっと見る

コメントを投稿