そのことから、社内恋愛中の女性ともうまく行かなくなった。
女性が男の将来に見切りをつけたのか、それとも愚痴をこぼしつづけた男に嫌気をさしたのか。
「もう、わたしたちダメね。別れましょう」
女性からのプレゼントである、ダイヤカットのライターがやけに重く感じられた。
そしてそのシルバー色がやけに冷たく感じる。
手のふるえを悟られないように、タバコに火を点けながら、「そうか」と、短く答えるだけだった。
ひとりとり残されたテーブルには、手がつけられていない冷めたスープがあった。 恋人というべき女性との別れ、その予感はあった。
社内恋愛禁止の会社において、ほかの者に知られることなく1年が過ぎていた。
社内での儀礼的な態度の反動で、週に1回の逢瀬はふたりを燃えさせる。
ふたり別々に時間をずらし、しかも入り口を変えてのホテル行き。
もちろん、毎回ちがったホテルにした。
ルームサービスの食事もそこそこに、ふたりはお互いを貪りあった。
そんな女性が、「残業が入って……」と約束を反故にすることが多くなった。
逢瀬時にも、かつてのような情熱はなかった。
なかば義務的な反応だった。「疲れてるの」と、言い訳ばかりだった。
そして今夜。
この町のレストランでの逢瀬など、ただのいちどもなかったことから不穏な空気を感じた。
そしてふたりの関係が終わった。
店を出ると雨が降っていた。
土砂降りではなかったが小雨でもない。
街灯の光に雨の筋がはっきりと見える。
男は気をとりなおすと、けさ買いもとめたスポーツ新聞を背広のうちがわに巻き付け、身体を冷やさないようにした。
先年亡くした祖父のことばを思い出したのだが、ものは試しと雨のなかを駆けだした。
できるだけビルに沿って走り、濡れないようにした。地面を見ながら、右に折れた。
体が少しビル際からはなれたとたん、前方を見ていなかった男は、信号待ちの通行人に接触してしまった。
「いや、これは失礼!
前を見ていな……、ひょっとして平井くんか? これは奇遇だなあ」
「おお、久しぶり!」
まさしく奇遇だった。大学時代の友人だった。
さほどに親しい仲ではなかったが、席が隣り合わせになるることが多かった。
「じゃ、また!」と走りかけた。
「なんだよ、入れよ。傘は2本あるんだ。ミドリ、彼を入れてやれよ」と、促した。
「いや、いいよ。ホラ、こうやって新聞紙を体に巻いているから、濡れても大丈夫なんだ」
と、背広のボタンを外してみせた。
「いいじゃないか。ああこれ妹だよ、君は、会っていないだろう。
ミドリ、彼、ミタライ君だ。
ホラ、話したろう。おもしろい名前の奴がいる、あっ、わるい!」
その男に3歳下になる妹がいるということで、名前は知っていた。
なにかの用件で電話をかけたおりに、妹が取り次いでくれたことがある。
年齢のわりには大人っぽい声だという印象だった。
スレンダーな体型で化粧っ気のないすがおは、「それなりだな」との評が飛びかった。
平井は不満げな表情を見せつつも、「まだネンネだから」と応じていた記憶がある。
そしていま、当の本人に会った男も、〝なるほど、それなりとは、言い得て妙だな〟と感じた。
しかしいまは懐かしさよりも、早くこの場をたちさりたいという気持ちの方が強い。
その男には女性の連れもいることだし。
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