久しぶりの南三陸
遠藤さんという方がご自身のことを”語りべ”ではなく、あえて(体験を人に)”繋ぐ者”として、震災後3年半になる南三陸を
回りながらお話をして下さった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/65/c54117df782a9409370575dc2dd9ae08.jpg)
地震発生時刻、止まったままの南三陸町立戸倉中学校の時計。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/60/46bce9ce465503fb1d75c71f4146b86a.jpg)
珍しい閉校記念碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/68/05668f445a7cb57af36664581914c2fb.jpg)
破壊された校門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/04/b4ca01edac89a57375fe3f9fff8c281b.jpg)
残すか?残さないか?現在決めかねているあの防災庁舎
いつも多くのバスと人で混雑していたここも、訪れる人は少なくなったよう・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/84/9ff906ea4ca6bf2bdc913714faa318ca.jpg)
2012年4月、一階に積もり溜まった生々しい土砂・瓦礫除去選別作業をしたショッピングセンター・サンポートも、その前にあった志津川病院も
今は跡形もなく、平地に。
その隣になる高野会館(結婚式場)が外観を残し、南三陸町の中心地にポツンと建っていた。
今はホテル観洋さん所有ということで、社員の方と一緒に、この云わば危険?な高野会館内に入り
当時の様子をあらためて説明していただいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/42/cc24e8c75c194045f1578c065c7423c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ca/a54d1ad0feb94b0ce7b9d616d15a5b1d.jpg)
意外に綺麗に残った階段の絨毯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/19/23d174658a2331b43a52864d1ff53750.jpg)
屋上から見た今の南三陸
仮設商店街・南三陸さんさん商店街
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/af/dd5c54f7c64aa16e85f1391a83821fe6.jpg)
いつの間にか?駐車場の一角にモアイ像が!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b8/18053b431b4406d521fee98311884c5d.jpg)
2013年5月16日、支援のためチリから贈られたイースター島のモアイ像。
高さ3m、重量2t
あれ?目が入っている・・・
1991年チリ地震の津波でも被災、友好を深めようとチリから
チリ本土の石で造られたモアイ像が贈られたが
2011年震災で損壊、今度はチリ大統領からイースター島の石で造られた
新しいモアイ像を贈られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/23/6e304ae1f2a14b9091fba08b3dbb0bbf.jpg)
役場にある木造のモアイ像、町をあげて制作、モアイ像を百体あちこちに設置する予定らしい。
一日目(20日・土曜日)は早朝新幹線でくりこま高原、バスで南三陸。
遠藤さんと戸倉中学校など訪問。
さんさん商店街で各自昼食
午後から初めての傾聴ボランティア?
仮設住宅を訪ね、当時のビデオを見たり
皆さんとお話をした。
主催者JTB側もこうしたボランティアはまだ手探り状態で始めたばかり。
高齢の方が多く、やはり男性陣はお一人も見えなかった。
こちらは26名、被災者の方々は10名にも満たなかったか?
当地では「お茶っこ」といって普通にお茶飲みしましょうということだった。
前向きな皆さんとお話している時は感じなかったが、気を遣っていたのか?
とっても疲れを感じ、夕食後21時前には床に就き、すぐに眠ってしまった。
二日目(21日・日曜日)
一日、農業支援
田んぼを再生するため、地を掘り起し、石ころを取り除く作業
決してノルマや強制はなく、休憩時間以外でも自分のペースで休みながらの作業
ボランティアという言葉は、ちょっと偽善者っぽくて?抵抗が無くもないが
私自身は日ごろの罪滅ぼしのような感あり
温泉に浸かる楽しみあり、決して褒められた考えではない。
凡人の自己満足といえるかも。
ボランティア参加者も随分減少傾向にあり、主催者も苦労しているよう。
リピーターの方々が引き続き参加というのが主流?の中
初めて参加という方々もあり、少しホッとした。
今も「忘れ去られることが一番辛い」と被災者の皆さんの心情は変わらず・・・。
その言葉が強く心に残る。
遠藤さんという方がご自身のことを”語りべ”ではなく、あえて(体験を人に)”繋ぐ者”として、震災後3年半になる南三陸を
回りながらお話をして下さった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/65/c54117df782a9409370575dc2dd9ae08.jpg)
地震発生時刻、止まったままの南三陸町立戸倉中学校の時計。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/60/46bce9ce465503fb1d75c71f4146b86a.jpg)
珍しい閉校記念碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/68/05668f445a7cb57af36664581914c2fb.jpg)
破壊された校門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/04/b4ca01edac89a57375fe3f9fff8c281b.jpg)
残すか?残さないか?現在決めかねているあの防災庁舎
いつも多くのバスと人で混雑していたここも、訪れる人は少なくなったよう・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/84/9ff906ea4ca6bf2bdc913714faa318ca.jpg)
2012年4月、一階に積もり溜まった生々しい土砂・瓦礫除去選別作業をしたショッピングセンター・サンポートも、その前にあった志津川病院も
今は跡形もなく、平地に。
その隣になる高野会館(結婚式場)が外観を残し、南三陸町の中心地にポツンと建っていた。
今はホテル観洋さん所有ということで、社員の方と一緒に、この云わば危険?な高野会館内に入り
当時の様子をあらためて説明していただいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/42/cc24e8c75c194045f1578c065c7423c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ca/a54d1ad0feb94b0ce7b9d616d15a5b1d.jpg)
意外に綺麗に残った階段の絨毯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/19/23d174658a2331b43a52864d1ff53750.jpg)
屋上から見た今の南三陸
仮設商店街・南三陸さんさん商店街
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/af/dd5c54f7c64aa16e85f1391a83821fe6.jpg)
いつの間にか?駐車場の一角にモアイ像が!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b8/18053b431b4406d521fee98311884c5d.jpg)
2013年5月16日、支援のためチリから贈られたイースター島のモアイ像。
高さ3m、重量2t
あれ?目が入っている・・・
1991年チリ地震の津波でも被災、友好を深めようとチリから
チリ本土の石で造られたモアイ像が贈られたが
2011年震災で損壊、今度はチリ大統領からイースター島の石で造られた
新しいモアイ像を贈られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/23/6e304ae1f2a14b9091fba08b3dbb0bbf.jpg)
役場にある木造のモアイ像、町をあげて制作、モアイ像を百体あちこちに設置する予定らしい。
一日目(20日・土曜日)は早朝新幹線でくりこま高原、バスで南三陸。
遠藤さんと戸倉中学校など訪問。
さんさん商店街で各自昼食
午後から初めての傾聴ボランティア?
仮設住宅を訪ね、当時のビデオを見たり
皆さんとお話をした。
主催者JTB側もこうしたボランティアはまだ手探り状態で始めたばかり。
高齢の方が多く、やはり男性陣はお一人も見えなかった。
こちらは26名、被災者の方々は10名にも満たなかったか?
当地では「お茶っこ」といって普通にお茶飲みしましょうということだった。
前向きな皆さんとお話している時は感じなかったが、気を遣っていたのか?
とっても疲れを感じ、夕食後21時前には床に就き、すぐに眠ってしまった。
二日目(21日・日曜日)
一日、農業支援
田んぼを再生するため、地を掘り起し、石ころを取り除く作業
決してノルマや強制はなく、休憩時間以外でも自分のペースで休みながらの作業
ボランティアという言葉は、ちょっと偽善者っぽくて?抵抗が無くもないが
私自身は日ごろの罪滅ぼしのような感あり
温泉に浸かる楽しみあり、決して褒められた考えではない。
凡人の自己満足といえるかも。
ボランティア参加者も随分減少傾向にあり、主催者も苦労しているよう。
リピーターの方々が引き続き参加というのが主流?の中
初めて参加という方々もあり、少しホッとした。
今も「忘れ去られることが一番辛い」と被災者の皆さんの心情は変わらず・・・。
その言葉が強く心に残る。