やはり素直に春にはならないようで、先週後半から冬到来です。笑
足元が悪なった先週後半、元の職場の新年会。
それまでは12月辺りだったので忘年会でした。笑
乾杯! 所長を含め、この四人で何十年と結構な仕事をしていました。
恒例により、其々の家族のことと健康がメインテーマです。
中でも所長と私は、大変だったここ一年。
入院していたこともあり、退院したら何が食べたかったかという話では、二人とも鰻。
所長は入院した郡山で、一番美味しいと評判の老舗でうな重を食べたそうです。
一方の私は、お蕎麦にセットのうな丼(カットうなぎ一切れ)でした。(;^_^A
そんなこんなの話をしていたら、一口うな丼が出てきてのには、びっくり!
9時少し前、また健康で会いましょう~!
と、云うことで、まだ仕事中の時々愛妻に拾って貰うまでの間、一人で二次会へ。
ミイラ取りもミイラになって帰宅です。笑
先週土曜日は青空が見えたことから、散歩を兼ねて町中のひな祭りへ
何十軒もの商家でひな人形を展示していた頃と違い、観光バスが何台も来る時代は終わり、
ご夫婦や友人と一緒に、と云った具合で少人数単位ながら、来て頂き感謝です。
蔵の道ギャラリーでは、まだ帰っちゃイヤ~ンと云われました。笑
有料ながら見ごたえのある博物館のおひなさま
これ以上はお見せしませんが、310円払う価値はあると思います。
時代ものの人形が無い場所では吊るし雛。これはこれでいい感じです。
瀬戸物屋さんだった場所では、ご覧のような広告絵がありました。
そこに新里嘉助の名前。
嘉永年間に軍馬育成と献金により遠野南部家臣となったのが新里庄右衛門(初代善兵衛)、
その三代目庄右衛門の娘と嘉助が分家となり、古着や陶器販売を営んだのが広告絵の店。
絵の嘉助は、おそらく二代目嘉助かと思います。
この嘉助家や庄右衛門家などの遠野新里家から国華や浜千鳥、岩手商工が生まれます。
別な場所での興味深いもの。雛飾りのひとつだと思いますが、三味線。
バチには向かい鶴紋があり、三味線の胴には遠野南部家の裏紋の丸に九曜紋と、花菱紋。
花菱紋をよく見ると、一般的な花菱と違います。
南部変り花菱、正式には日輪花菱と云うようです。
参勤交代には盛岡本藩の家臣の他、遠野八戸氏(遠野南部家)の家臣も参加。
その際、本藩家臣と同姓の遠野家臣が同じ家紋の使用が認められないということで、
陪臣である遠野家臣には、この南部変り花菱紋の付いた羽織が貸し与えられたそうです。
明治維新にて遠野南部家が禄を離れる時、遠野南部家臣には家紋の入った品を、
本同心衆にはその看板羽織が下げ渡されたと云います。
3月5日まで町家のひなまつりは開催されているようなので、
寂しくなった通りを賑やかしに散歩してみては如何でしょうか。
何もここまで来ていて、辻褄も帳尻もあわせなくても良かったのに・・・と大半の人は思っているかと。
個人的には、今日もどこか郷土芸能を観られる施設に行こうと思っていましたが、
申告を終わらせたいので、我慢しました。笑
遠野の冬チカラ全開ですね~^^
人形を飾ったのっていつまでだったかさえ、忘れました。笑
折角だから、事務所へ持ってきて飾ろうかと考えたこともありましたが、
我が家の女性達は、人目につくところには出したくないようです。(;^_^A
市内には我々のように持ってはいるけど自分達では飾れないという家も結構あるはず。
テレビに多くのひな人形を飾るイベントがあったりするので、遠野でも市役所の赤じゅうたんの階段に沢山飾っても面白いかもしれませんね!
その前に松崎町で飾っていた芸能人形を町中のどこかに飾って見せれれば最高でしょうね~!
あ、そうそう、2月初め頃、とらねこさんが夢に出てきましたよ~。笑
市販の安いものではありますが・・・(^_^;)
今は閉じましたが、仙台の事務所からUターン後は、ずっと、袂に居りました。笑
今は法律でがんじがらめになっているところがあり、昔と違い、面白みのない時代になった気がします。
うちのひな人形も、しばらく明るい処に出たことがありません。笑
なつかしや・・・
ひな祭りだね・・・我が家にも江戸後期と思われる夫婦雛がありますが、久しく明るい場所に出たことが無いですね。