昨日、古書が届きました。「遠野の郷土芸能(上巻) 編集 類家英一郎」
今までは図書館に行って必要な部分だけコピーしていたので楽になります。笑
最初のはしがきに、踊りの庭元の話、由来書、刊行文献、町村誌等に記載されているものを
そのまま掲載しました。とありました。
その内容の是非は別だということを忘れないようにしたいと思います。
今年の郷土芸能共演会、会場の市民センターのホワイエには、ご覧のような幕。
また、ひっつみ、弁当、和菓子、コーヒーなどの販売などもあり、華やいだ雰囲気でした。
2番目は小友町の長野獅子踊りさん
代表の佐藤さん?が、この日の為の練習期間やら、踊りの説明をしました。
こうして一言頂くと、その団体への距離が縮まるような気がします。
演目名には「柱がかり ほか」とありました。
私のようにシシ踊り関係者以外の人にすれば、「柱がかり」はわかるけど、
「ほか」ってなんだろう?と思います。笑
ネットの動画などを見ていると、入端(入葉)、引端(引葉)、誉め、大切、小切などと
テロップ付があったりします。
遠野TVさんが後日、この模様を放映する際、それを関係者から聞いて、つけてくれれば
私なんかは、もっと知ったかぶりができるのですが。笑
仕事を増やすな!・・・失礼しました!汗
小友町の柱がかりに付き物の、獅子のアイ~ン!
この日の長野の方々は、何か楽しんでいるような・・・
ファインダーから笑顔が見えて、こちらも楽しくなりました。
3番目は同じ小友町の鷹鳥屋神楽さん
松田さんのお爺さんが昭和15年に復活させ、戦時中中断したが、その後再復活。
大正12年に小友町の長野神楽さんから伝えられた東和町向田瀬系の神楽です。
鷹鳥屋神楽さんは、ここ数年の間にもいろいろありました。
弓を持って二人登場なので、八幡舞
二人の内、お一人は鷹鳥屋獅子踊りをやっていて、この日の為に練習して出演。
これを機会に続けて頂ければ、うれしい限りです!
この鷹鳥屋に神楽を伝えた小友町長野(長野獅子踊りの集落)の神楽は、
明治初年に向田瀬から習得し、明治30年頃から約20年間は村内の神社の
お祭りに出た以外は、主として海岸地方に門付旅打ちに行っていたと類家本にあります。
昭和44年の本発刊当時には、神楽をやる人が少なくなって後継者養成に苦労している。
とあり、現在は中断となっています。
こうして小友町内を見ると、獅子踊りは長野から鷹鳥屋・山谷へと町内に伝えられ、
神楽は外山神楽さんが文政年間(1818~1830)に行われていたが、
嘉永年間(1848~1854)に道具を焼失し、断絶となり、以後、明治になるまで
町内には神楽は無かったということになりそうです。
但し、八幡同様に山伏が一座を組んで例祭時に演じたかどうかは不明です。
遠野の郷土芸能って新しいのもありますがそれも絶版ですね。私は遠野の民俗芸能の資料は全くないので苦労しています。PDF出版してくれるとありがたいですね。報告書なんか自治体によって完全公開していますね。個人情報さえ臥せれば可能だと思うのでやってほしいですね。
ただ保存会の由来を垂れ流すのは如何なものかなと何時も発表会などの解説で思うところです。やはりいかにも由来としては不自然なものは語らず、現状や今行っている民俗的な部分で語ってほしいですね。とかってに思ってます。モー古いからすごいと言う概念は捨てたいですね
ずっと前にオークションで見た本、まだ、あるのかなあと思って見たら、定額で、まだそのままだったので、ポチッと。安かったです。笑
古い資料のPDF化は賛成。でも、それを進める人件費が無いと云われそうです。笑
由来ですが、芸能だけでなく神社仏閣でも、古い時代に起源をおこうとする傾向がありますよね。
もういい加減、怪しいものはあまり声を大にしなくてもいいと私は思っています。