とんとんのヒトリゴト

のんびり成長中のムスメの成長記録と趣味や日々の徒然話など。

「風のガーデン」から思う

2008-12-15 | 映画・ドラマ
最近はあまりしっかり連続ドラマを見ていなかったのですが、今クールは木曜夜10時から放送されている「風のガーデン」を見ています。
しっかり録画もしてチェックしている熱の入れようです・・・

死を目前にした男が絶縁していた家族のもとへ戻っていく物語を通して“生きること・死ぬこと”を描いていく人間ドラマ・・・と銘打っているこの作品。
最初はあまり意識せずに見ていたのですが、途中余命幾許もない主人公の男が自分の家族の元へ帰ろうとする辺りから目が離せなくなった。

「人は最期に何処へ還るのだろう」
ドラマの核を表すこの言葉を見るたび、私は一昨年亡くなった父の姿を思い出すんです。

このドラマの主人公は、とある事件をきっかけに父親から勘当され娘や息子と引き離されて生活をしていた。
でも、自分が病に侵され命の期限を突き付けられた時、彼は最期の時を家族と共にありたいと願い故郷へ帰って行く。

以前のエントリーで書いた事があるけれど、私は父の最期の時に立ち会う事はなかった。父が死んだことを知らされたのはお役所からの電話があったからと言う事も間違いない。
でも、実は父の命がそう長くないという事を私たち家族は知っていたんですよね。
父の知り合いという人から病院に入院して危ないという連絡を受けていたからなんですけれど・・・。

何処に入院しているかも私たちはその時に教えられていた。
でも、私たちは会いに行かなかった。
ここでは話せない複雑な事情があり、今さら父に会う事は様々な問題を引き起こしかねないという意見で一致したからなんです。
その位重い物を父は背負ってしまっていた。その事は私にも充分分かっていたんです。
それでも、心のどこか片隅で「顔だけでも・・・」と思ったんですよね。
どう表現していいか分からないけれど、肉親だからこそ憎い部分もあるし、許せない部分もあるけれど、無条件に求めてしまう気持ちも捨てられない。
心がざわつく気持ちを認めずにはいられなかったんです。

でもそんな風に思っても、私は会いには行かなかった。
その事に間違いはないはずだとずっと思っていた。

でも、このドラマの中で主人公の娘が久々に再開した父に「憎かったけれど・・・時折とても会いたくなった」というセリフを聞いた時に、胸がギューっと痛くなってボロボロ泣いちゃったんですよね。
そう、私もそんな気持ちだったんだって・・・なんかあの時わずかに出来てしまった傷口のかさぶたをベリッと剥がされたような気持ちになったんです。

私たちは最期の別れをきちんとすることは出来なかった。
仕方がないとはいえ、それはやはり後悔としていつまでも私の心に残っている。
でもこのドラマでは何とか修復して最期の時を家族と共に過ごして旅立つことが出来るようです。
ドラマを見ながら自分の過去の後悔と向き合い、そしてせめてこのドラマの中では幸せな最期が迎えられますようにと祈らずにはいられない。

一人で寂しく旅立った父だが、今は共同墓地で静かに眠っている。
兄の家では義姉がきちんと父の遺影にお神酒をあげてくれている。
そして意外だったが母の部屋には、義理の両親とその横に父の写真が飾られていて、「お父さんが可哀想だから、最後は共同墓地から出して一緒のお墓に入れてあげたい」とまで言っている。
父と結婚して苦労ばかりしてきた母だけれど、情を交わしわずかな間でも家族として過ごした父の存在はやはり母にとっては大きいものだったのだとこんな会話一つからも私は感じてしまう。

そして入院した父が最後の最後連絡先として選んでいたのは、自分の兄弟ではなく離縁した母だった。父にとっても母はおそらく私たち子供以上に特別な存在だったのだろう。
やはり縁って不思議なものですよね・・・。

情愛も憎悪も表裏一体。
両親を見てそんな事を考えるとんとんなのです。




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