7月27日(土) 時々雨から曇り、青空になった。
「朝まで生テレビ」を見て、ブログを書きながら「すべては仏の手の内」を感じている。
孫悟空が千里を飛んで、その証拠に岩に小便をしてきたが、それは仏様の中指だった。
子供のころに、そんな漫画を見て、衝撃だったことを覚えている。
『何をやっても、それは決められたことなのか、人間はお釈迦様の手のひらから逃げられないのか。』と。
その衝撃だったマンガを検索したが、見つからなかった。
お釈迦様と孫悟空
あれ、小便をひっかけてきたんじゃなかったかな?
調べてみると、ウィキペディアにはこう書いてあった。
『西遊記』(さいゆうき)
ついには釈迦如来と「俺は地の果てまでも飛んでいってみせる」と賭けをする。地の果てらしき場所に立っていた5本の柱に到達したしるしとして悟空は一筆書き、柱に小便を引っかけて得意となって戻ってくるものの、実は釈迦の両手のなかをぐるりと周回しただけであった。釈迦が示した手に自分の署名を見て呆然とした悟空はその場を逃げようとしたものの、あっという間に五行山の下敷きにされてしまった。
やはりおしっこはかけていたな。 (*^ω^*)ポリポリ
ま、どんなにあがいても掌の中という・・・
インディアンも自然の中で生きているという。
美しき調和 ● by Jouko
ま、なるようにしかならないと「あきらめの境地」を感じるか、釈迦寺の住職が言っているように、「いつでも仏様に見守られていて安心」と感じるか・・・
その感情も含めて、「すべては仏の手の内」だ。
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