今年も少しですが紫陽花の花が咲きました。普段は母が色々と手入れしています。きれいな花を見るのは心が和みます。
先日の不動講より
身近なところから仏教とのつながりを考えてみたいと思います。
女の子の名前にマヤ・サラといった方がいます。マヤならお釈迦様のお母さん、サラは沙羅双樹に由来するでしょう。
飴にカンロ飴があります。甘露とは甘い露、悟りの味ということでしょう。
シャリはお寿司の米粒を指しますが、舎利礼文というお経もありお釈迦様の遺骨のことになります。
「娑婆の空気はうまいなぁ」というと、怖いお兄さんの台詞かもしれません。仏教では我々人間の生きている世界のことを娑婆世界といいます。
サッカーのワールドカップ、日本は残念な結果になりましたが、スポーツの醍醐味といいますと、五味の最上級のものを表します。牛乳を精製していくと、乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味となり、牛乳・ヨーグルト・チーズとなる最高級のものが醍醐味の味となります。
愚痴といいますと、つい口から出てしまうものですが、意味は愚かで煩悩に迷うという言葉です。でもそこを出発点にすることが大事です。自らを見つめ直して進んで行くことが大切です。
伝教大師最澄上人は、二十歳で書かれた「願文」の中で、自分自身の事を「伏して己が行迹を尋ね思うに、無戒にして竊かに四事の労りを受け、愚痴にしてまた四生の怨となる。・・・ここにおいて愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄」と述べられ、修行の決意を表されています。
近所のお寺の掲示板にありました。
「グッチのバックは無いけれど 愚痴の袋は多く有り」