Tomotubby’s Travel Blog

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荒木飛呂彦 「スティール・ボール・ラン」 第2ステージ

2005-08-08 | 漫画... 「デスノート」と「ジョジョ」など
死刑囚、処刑人、権力者の複雑な関係を描いた莫言の長編小説「白檀の刑」を読んでいて、ふと荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」を思い出した。

「スティール・ボール・ラン」は、北米大陸横断レースを描いたウルトラジャンプ連載中のマンガ。全部でコミックス80巻を超える「ジョジョの奇妙な冒険」サーガの「Part7」に位置づけてある限り、主人公はジョースター家の血を引くジョニィ・ジョースター(ジョジョ)である筈だが、第一ステージで登場したジョニィは下半身不随の重度身体障害者であり、ジョナサン、ジョセフ、承太郎、仗助、ジョルノ、ジョリーンという歴代のジョジョたちに比べても線が細く頼りなげであった。むしろ、何らかの目的を持ち、鉄球を武器にレース優勝を目指すジャイロ・ツェペリ(角速度センサ?)の方が、歴代ジョジョの血を引く強靭な精神力の持ち主で主人公のように思えた。

第二ステージでは、ジャイロの素性とレース参加目的が明らかになる。なんと彼はイタリア・ネアポリス王国(名前からしてナポリあたりであろう)の由緒ある処刑官で、死刑判決を受けた少年マルコを救おうと、レースに優勝して国王の恩赦を引き出そうとしているのであった。一方、ジョニィの方も、奇跡を起こす「聖人」の腕の遺体を得たことで、爪を武器にする特殊能力「スタンド能力」が発現し、レース途上で残りの「遺体」を探し出すという、手塚治虫「どろろ」に登場する百鬼丸のような究極の目的を得た。こうして「スティール・ボール・ラン」は、ジャイロとジョニィのツイン・ヒーローで話が展開することはほぼ明らかとなった。

しかし、少年マンガにして「処刑人」と「身障者」がヒーローというのも凄くないか? まあ「身障者」というか、ハンディ・キャップを持つ主人公の成長物語というのは、少年マンガによくあるパターン(スポ魂モノでチビが主人公というのもこの類型と思える)だが、処刑人が主人公というのは聞いたことがない。白戸三平「カムイ伝」が階級出身の主人公カムイを描いているくらい。日本で「処刑人」や「人」というと、「身障者」も合わせて、どうも「被差別者」のイメージに向いてしまうが、荒木飛呂彦の描く処刑人は、むしろ莫言の「白檀の刑」の処刑人に近いような気がする。「白檀の刑」は、意外にも「スティール・ボール・ラン」の元ネタなのかもしれない。

荒木飛呂彦「ジョジョ」サーガの物語設定を見直してみると、
第一部 ジョナサン・ジョースター(貴族の子弟) vs ディオ・ブランドー(下層階級・吸血鬼)
第二部 ジョセフ・ジョースター(富裕層) vs 「柱の男」カーズ・エシディシ・ワムウ・サンタナ(怪物)
第三部 空条承太郎(高校生) vs ディオ・ブランドー(吸血鬼)
第四部 東方仗助(高校生) vs 吉良吉影(連続殺人鬼)
というところまでは、正邪・善悪が至極はっきりしていて、物語の展開は、友情・努力・勝利をテーマとした少年マンガにありがちな勧善懲悪・因果応報の内容で、ある意味安心して読めたが、
第五部 ジョルノ・ジョバァーナ(下層階級出身・マフィア入団) vs ディアボロ(マフィアのボス)
となると、「マフィアの中にもいいヤツはいる」という風に正邪・善悪の対立がはっきりしなくなり、
第六部 空条ジョリーン(獄囚) vs エンリコ・プッチ(神父)
に至っては、正邪・善悪の位置づけが世間一般の常識とは逆転してしまう。そして、ネタバレになるが、どうやら
第七部 ジャイロ・ツェペリ(処刑人)+ジョニィ・ジョースター(身障者) vs 米国大統領
という、アルカイーダが聞いたら喜びそうな設定が待っていそう(同じジャンプ系列では「DEATH NOTE」で既に大統領が殺されているが...)。荒木飛呂彦の行く道は茨の道かも?

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スティール・ボール・ラン・レースは1890年に開催されている。因みにこのときの米国大統領は、第23代 Benjamin Harrison



1833年生まれ。南北戦争の将軍、インディアナ州選出の上院議員。 曽祖父はアメリカ独立宣言署名者 Benjamin Harrison V。祖父はその三男 William Henry Harrison は米国第九代大統領という血統のよさ。陰謀を企てるようには見えないけど。

莫言 「白檀の刑」、面白ぃ

2005-08-08 | Asia 「圓」な旅
莫言の長編小説「白檀の刑」、少しずつ読み進んで、第三章まで来ています。意外だったのは、猫の目のように章ごとに語り手が替わることです。

実の父親・孫丙が謀反で処刑されようとしている孫眉娘が、第一章の語り手だったので、てっきり眉娘が主人公なのかと思っていたら、第二章は眉娘の舅で処刑官の趙甲、第三章は眉娘の夫で肉屋の趙小甲、第四章をめくると、孫丙を裁く県知事で眉娘の愛人でもある銭丁がそれぞれ語り手となっています。

こいつは傑作だわ。じつの父親に亭主の父親に義理の父親(県知事銭丁のこと)--三人の父親がお裁きの場で顔を合わせるなんて。三堂会審ならうちも唱ったことがあるけど、三父会審なんて、聞いたこともない。
(第一章)

「お二人のうち」と嫁さん(眉娘)は言うた。
「お一人はうちの乾爹(義理の誓いをした父親)、お一人はうちの公爹(舅)。乾爹はうちの親爹(実父)を捕まえて、うちの公爹にうちの親爹を殺させようとなさる。乾爹に公爹。うちの親爹の命は、お二人の手に握られておりますのよ!」
(第三章)

と、眉娘が言ったように、彼女はむしろ狂言回しの役割で、三人の父親を巡る複雑な人間関係を軸に話が進展していくようです。三人の名前に、それぞれ、「甲乙丙丁」のうちの一文字がふられているのも、いわくありげです(乙はないど)。

つづく