萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 春鎮 act.19-another,side story「陽はまた昇る」

2017-03-02 22:25:10 | 陽はまた昇るanother,side story
Incense of the guidepost
harushizume―周太24歳3月下旬



第85話 春鎮 act.19-another,side story「陽はまた昇る」

かすかな芳香どこか甘い、きっと行く先の香。

「じゃあ湯原くん、開けます、」

吐息ひとつ彼女が見あげる、その視線まっすぐ研究室の名前。
こんな会話さっきもしたな?すこし前の記憶と香に微笑んだ。

「うん…青木先生きっと喜ぶよ?」
「だといいなあ、問題だらけの学生だけどいいのかな?」

大きな瞳くるり笑う。
その唇はしっこ上げた仕草が似ていて、思い出して口開いた。

「そういえば美代さん、さっき光一からメール着たんだけど…あ?」

もしかしてあのメール、そういう意味?
そうだとしたら知られている?

―もう美代さんのお家から話いってるって意味だ、あのメール…賢弥には誤解されちゃったみたいだけど、ね?

めぐらす考えに立ち止まる。
つい思考はいりこんだ隣、かわいい声が呼んだ。

「湯原くん?光ちゃんからメールってなあに?」
「あ、うん…読んでみる?」

うなずいてダッフルコートのポケット探る。
スマートフォン画面ひらいた前、扉がちゃり開いた。

「おいおい、廊下で喋ってないで入れよ?青木が待ちぼうけてるぞ、お?」

ネクタイゆるんだ無精髭にやり笑う。
その鳶色の瞳ふっと動いて、低い徹る声が訊いた。

「ふん?周太くん、そのメールどういう意味だい?」

見られた、でも、ちょうどいいかもしれない?
また考えこんだ隣、ふわり黒髪ゆれて言った。

「あ、これって光ちゃんもしかして?」

ほら彼女も考えこむ、たぶん同じだ?
推論と困惑の前、ネクタイゆるんだ教授が笑った。

「おらおら小嶌さんも早く入れ、テレビでは見たけど待ちかねてるぞ?」

あ、もう?

「田嶋先生…また僕、あの、」
「おう、小嶌さんと大喜びしているとこ中継ばっちりだ、」

大らかに鳶色の瞳が笑う、でも笑えない。
だってどうしよう、また目立ってしまった。

―どうしよう伊達さんに迷惑かけるかも、僕…こんな、

こんなことになるなんて?
ともかく連絡はしたほうがいいのだろうか、それとも知らぬふりのほうがいい?

―かえって騒がないほうが刺激しなくていいのかな、他人の空似って言い張って…?

また考えめぐりだす。
そんな戸口くぐって一歩、研究室が拍手した。

「合格おめでとう小嶌さん!」

穏やかな声はずむ、拍手わっと明るい。
デスクに白衣姿とニット姿が立ちあがる、その笑顔に朗らかなソプラノ笑った。

「ありがとうございます、って、青木先生も手塚くんもテレビで判断したんですか?」

コート脱ぎながら笑ってくれる。
笑顔すっきり明るくて、でも赤い左頬が痛々しい。

「中継してるなって観てたら見ちゃったんだよ、びっくりしましたよね先生?」
「驚きましたね、もしかして映るかなと思ってましたが、」

赤い頬のむこう恩師と友達が笑う。
そんな研究室のデスク、ワイシャツ袖まくりした手が紅茶だしてくれた。

「まずは乾杯しよう、紅茶ですまんがな?青木の研究室は酒ゼッタイ禁止なんだと、」

鳶色の瞳にやり笑って、ふわり馥郁やわらかに甘い。
一時間前も優しかった香に座って、鳶色の眼ふっと細まった。

「小嶌さん、その頬っぺたどうした?左だけ腫れてるぞ、」

低く響く声に隣、気配ふっと硬くなる。
ちいさな横顔ゆっくりうつむいて、ちいさな手そっと左頬を隠した。

「すみません田嶋先生…せっかくお茶を淹れてくださったのに、」
「そんなこと謝らんでいい、どうした?話してみないか?」

低く落ち着いたトーン訊いてくれる。
声に赤い頬すこし上向いて、合った眼ざしに学者は微笑んだ。

「話すだけでも楽になるかもしれんぞ?俺も青木も逃げたりしない、大切な学生の本音を聴かせてくれんか?」

ゆるんだネクタイ、くしゃくしゃ赤茶色の髪、けれど眼ざし篤く問いかける。
見つめる鳶色の瞳まっすぐ澄んで聡い、その眼ざしに彼女は口開いた。

「田嶋先生、青木先生、私…大学のこと大反対されて…親不孝者って父に叩かれました、」

ソプラノ告げて静かにふるえる。
うつむきそうな瞳ゆっくり揺らぐ、そっと一滴、紅い頬つたった。

「末っ子なんです私…姉と兄とは齢が離れてて、ふたりは大学でて…でも私は遅いときの子だから、早く嫁にって高卒で勤めに出されました、」

とぎれそうな声、それでも小さな唇そっと語る。
きっと電車の中でも堪えていた、その涙一滴が紡ぐ。

「でも諦められなくて私、ずっと勉強こっそりしてたんです…母や姉は気づいていたと思います、祖母も…きっと味方してくれると思っていました、もし受験ばれても、仕方ないなあって笑ってくれるかなあって…父も、ほんとに受験したら応援してくれるって、信じてたのに…、あんなに怒った父はじめて、で、」

息つぎ、言葉を選び、声にする。
そんな横顔が眼ざしが痛む、痛くて支えたくて周太はスマートフォンさしだした。

「田嶋先生、青木先生、これ読んでいただけますか?みよさ…小嶌さんの親戚からのメールです、」

ひらいた画面、ワイシャツ姿と白衣姿がのぞきこむ。
隣のニット姿も見てチタンフレーム頷いた。

「あーさっきのそういうことか…名前も男だもんな?」

なるほどな?
そんな貌に安堵ちょっと訊いた。

「そうだよ、賢弥…誤解といてくれた?」
「うん、てっきりそういう関係だと思ったよ俺、ごめんな周太?」

頷きながらチタンフレームの瞳が笑っている。
とりあえず誤解は消えたらしい?ほっと微笑んで言われた。

「でも周太?このひと、真剣に面白がるひと?」

From:光一
Subject:無題
本 文:しばらく匿ってよね、お・ね・が・い☆

「ん…でも真剣に心配してると思う、責任感は強いから、」

あの幼馴染はそういう人だ?
いつも面白がってるふうで誠実、けれど誤解も招くことすら面白がる。
いつものこと少し困らされる一通に恩師が尋ねた。

「このメールは湯原くん、ようするに小嶌さんの身元を匿ってくれっていうお願いってことかな?」
「はい…たぶん小嶌さんのお家から話を聴いて、僕に連絡くれたんだと思います、」

考え答えながら、笑顔ひとつ辿らせる。
あの幼馴染は今どうしているのだろう?

―光一も退職するんだ、僕が巻きこんだせいで、

あの底抜けに明るい瞳は今、何を想うだろう?

―あやまりたい、光一に、

会って謝りたい、あの陽気な山っ子に。
山岳救助に懸けていた笑顔に、僕はどれだけ謝ればいいのだろう?
それに、あのひとにも。

『光一のアンザイレンパートナーに選ばれたよ周太、警視庁のエースと八千峰を登れるんだ、』

切長い瞳ほこらかに笑っていた。
初めて掴んだ夢、情熱、そうして冷たかった瞳は息づいて笑っていた。
あの笑顔まぶしくて見惚れて、大切にしたいと願って、それなのに自分が壊してしまった。

「おい周太?」

あ?

「どうしたんだよ周太?ぼーっとして、」

呼ばれた視界の真ん中、チタンフレームの瞳のぞきこむ。
つい沈みこんだ想い気恥ずかしくて、首すじそっと撫でた。

「ん…なに賢弥?」
「なにって周太、小嶌さんの家族を説得する相談だろ?」

明朗な声まっすぐ見つめてくれる。
その言葉に戻されたテーブル、白衣姿が眼鏡なおしながら微笑んだ。

「それで小嶌さん、どうしてもお家には帰られないわけですね?」
「はい、帰ったら二度と出してもらえません、」

答えるソプラノすこし震えている。
まだ赤い左頬に低い大らかな声が訊いた。

「小嶌さんの寝床を周太くんが頼まれてるがな、考えはあるのかい周太くん?」
「あ、はい、」

返事して紅茶の湯気そっと唇ふれる。
あまい優しい馥郁に考えのまま口開いた。

「大叔母の家にお願いするつもりです、小嶌さん前にも来てくれていますし、母も受験の住所元になっているので、」

自分が巻きこんだこと、それでも母の性格では責任を想うだろう。
それなら母もきちんと巻きこむほうがいい、そんな思案に鳶色の瞳が笑った。

「さすが馨さんの恋人だな、俺も会ってみたいなあ?小嶌さんを俺も送っていこうか周太くん?」

あ、これは声をかけないといけない?
けれど一存で決められない、考え考え答えた。

「あの、まず大叔母に訊いてみてもいいですか?まだ今日のこと相談していないんです、」
「じゃあ電話しにいこう、俺も一服したいし、」

ティーカップ呷って、がたん、ワイシャツ姿が立ち上がる。
袖めくった腕は頑健たのもしい、この腕に父は託していた。

―…友達よりも近くて大切だね、いろんな気持があるから、

ほら、父の声が微笑む、そして謳いだす。

―…Shall I compare thee to a summer's day?

あなたを夏と比べようか?

そう父の声が謳う、幸せな記憶の木蔭。
あの時間に帰れるとしたら、自分は選ぶだろうか?

「青木、ちょっと周太くん借りるな?手塚は小嶌さんにオリエンテーションしてやれよ、」

じゃあ行こう?
笑って自分を誘いだす、その眼ざし夏が光る。
紅茶あまく優しく薫る夏、夏の一杯を淹れた瞳の記憶。
父がいた夏だ。

(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】


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歳時雑記:弥生の節句に

2017-03-02 22:12:03 | 雑談
緋毛氈×金屏風、桃色の花、黄いろ菜の花。
いつも閑かな民家園も華やぐ弥生の節句。


ひな祭りといえば桃の花ですけど、ここは河津桜。
立春から咲きだす優しい色は、雛人形と似あいます。


ちょっと帰った実家にも雛人形が飾られていました。
ひなあられと桜草(実家の庭産)を供えるあたり・我が母ながらセンス可愛いなと、笑


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