snowstorm 雪風の先
第77話 決表act.5-another,side story「陽はまた昇る」
キャンパスは白かった。
煉瓦造り、石造り、木造、それからコンクリート。
古いも新しいも白銀に静かで眠るような気配は優しい、けれど学生すれ違う。
この雪でも学びに来る仲間がいる、それが何か嬉しくて周太は雪のキャンパス片隅に笑った。
「ん…来て良かった、」
さくりさくり登山靴に大学の雪を踏む。
ここに初めて来た日も雪だった、あれは3月春の初めの雪。
あのとき隣で歩いていた友達は今、この場所に毎日を通うため模擬テストに向かう。
『自分で自分のこと選んでみたいって今、本気で想えるの。だから私、絶対に諦めたくないな、』
3月終わりの雪のなか初めて青木准教授の講義を聴いた。
始まりは新宿の交番、あの場所で青木と出逢いあのラーメン屋で再会した、そして受講証と本を受けとった。
きっと美代なら一緒に行きたいだろう?そう想って気軽に誘った樹木医の公開講座が一人の女性の未来を変えていく。
『私、東大の理科Ⅱ類に合格する。農学部に進んで森林科学専攻に行きます、私の夢を本気で自分で掴みに行くね、』
親に言われた通り農業高校へ進んでJAに就職した。
大学へ進むなど誰にも言えなくて、そんな理由に本気で努力したことが無かった美代があの一日で運命を選んだ。
そんな記憶ごと歩くキャンパスは静かで、いつもの講義棟も雪のなか音が無い。
―今日は青木先生も来てないよね、JRはダイヤ乱れてるし…地下鉄だけなら良いけど、
いま自分が住む場所からここは歩いても帰られる。
東京理科大学も歩けてしまう、箭野も散歩しながら帰ってきたと笑っていた。
『大学に行ってきた帰りだよ、卒研の合格と専攻科への進学が内定したんだ、』
雪の道に笑ってくれた言葉は嬉しかった。
箭野は進学する、そんな言葉に自分も夢を見つめて今の美代を想って樹医の言葉が響いた。
『君が、東大に入るんです。よかったら私の研究室に入ってください、挑戦前に諦めたらダメですよ?』
3月の雪に青木准教授が笑った言葉に美代は足掻くことを決めた。
そして今1ヵ月後にセンター試験を控えている、きっと2次試験への切符も掴むだろう。
その前哨戦となる模擬テストの今日に箭野の進学を聴いて、だから自分も大学に来たくなって歩いてきた。
大学院進学、この夢に自分も挑めるだろうか?
「…賢弥と約束したんだ、僕も、」
そっと独り言葉にして歩く道、雪さくり踏みながら学舎を仰ぐ。
冬枯れた梢の向こう研究室の窓は静かで、映る白い空に遠い山を見てしまう。
同じ都内の雪の森、あの場所から始まった自分の夢は叶えられるのだろうか?
“周、きっと立派な樹医になれるよ?本当に自分が好きなこと、大切なことを忘れたらダメだよ?諦めないで夢を叶えるんだ”
幼い冬は9歳だった、あのとき父は祈るよう微笑んだ。
あの笑顔が大好きで自分の世界だった、けれど父の死と同時に約束ごと忘れてしまった。
こんなに大切な夢と言葉をなぜ忘れてしまったのだろう?その真相の欠片がある場所へと陸橋を渡った。
やっぱり図々しいだろうか?
そんな迷いごとエントランスで登山靴の雪落とす。
今日は雪の土曜で大学も休み、公開講座も当然ないから手伝い日でもない。
呼ばれてもいない日にいきなり研究室を訪ねることは申し訳ない?その思案にも一歩入って階段を見あげた。
「…いちおう研究生ではあるけど、ね?」
農学部と同じに文学部も籍はある、そう差配してくれた。
それが厚意だからこそ甘えたら申し訳なくて、迷うまま佇んだ背から声かけられた。
「周太くんじゃないか?やっぱ雪の中でも来るんだなあ、」
低く明るい声に呼ばれてもう誰だか解かる。
こんなふう迷うたび呼んでくれる相手に周太は振り向いた。
「こんにちは、田嶋先生…こんな日に伺ってすみません、」
遠慮がち挨拶した前、くしゃくしゃ髪の笑顔ほころばせてくれる。
ワイシャツは第一ボタン外して緩めたネクタイ、いつもどおり着崩した教授は闊達に笑った。
「なに言ってるんだい、君を研究生にひっぱりこんだのは俺だぞ?ほら行くぞ、」
ぽんっ、ダッフルコートの肩かるく敲いて階段を上がってくれる。
その手はコンビニの袋提げているのにコートを着ていない、こんな日の薄着に尋ねた。
「先生、その恰好で買物に行ったんですか?」
「うん?そうだが何だい?」
なんでこんなこと訊くんだろう?
そんなトーン笑ってくれる気さくな笑顔に訊いてみた。
「あの、寒くないんですか?雪なのに、」
スラックスにワイシャツとネクタイ、しかも相変わらず袖捲りしている。
それでも足元だけは登山靴で、このアンバランスな恰好した学者はからり笑った。
「確かにちょっと寒いな、でも雪止んでるし不自由はないぞ?」
くしゃくしゃ髪の浅黒い顔は元気に笑ってくれる。
端正な笑顔、けれど年齢よりずっと若い貌に愉しくなって尋ねた。
「田嶋先生ならマッターホルンも寒くなさそうですね?…アイガーもグランドジョラスも、」
「ははっ、確かに他のヤツラよりは薄着だったかもしれんな?」
低く響く声からり笑ってくれる、そのトーンは自由な闊達が温かい。
こんな聲と笑顔に父の若い日は明るかった?そう想うだけで嬉しくて、だからこそ哀しくなる。
“ But thy eternal summer shall not fade, ”
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」
この詩を父の碑銘に選んでくれた人、そんな彼こそ父の「thy」だったろう?
このこと今日こそは伝えてあげたい、そして自分も教えてほしい事がひとつある。
だから来てしまった研究室の扉に着いて、かたん、開錠されて祖父の教え子は笑った。
「紅茶を淹れてあげるよ、相変わらず散らかってるがな?」
I give it to an epitaph of savant Kaoru Yuhara.
そう父を讃え碑銘を贈ってくれた人、その笑顔が「紅茶」と笑ってポットの前に立ってくれる。
こんなふう父も雪の日に淹れてくれた、あの幸せな時間のままに冬の研究室で夏の詩が謳いだす。
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
夏の限られた時は短すぎる一日だけ。
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
清らかな貴方の美を奪えない、
貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、
永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
人々が息づき瞳が見える限り、
この詞が生きる限り、詞は貴方に命を贈り続ける。
この詩は本来14行詩、だけど田嶋は4行目から父に贈ってくれた。
短すぎる、そう告げる一行から始めてくれた想いは愛惜が温かい。
そして父も同じ想いで生きていた、その真実を伝えたくて微笑んだ。
「田嶋先生、先日は父の本をありがとうございました…母も喜んでいます、」
「おっ、見せてくれたのか?」
手もと動かしながら振り向いて笑ってくれる。
闊達に若い貌は愉しげで、ふっと悪戯っ子に瞳が笑った。
「そうだよなあ、君がいるってことは馨さんにも奥さんいるんだもんな?あの馨さんが恋愛ちゃんと出来たんだなあ、」
可笑しそうに笑いだす貌は尚更に若くなる。
父と変わらない齢のはず、もう五十は過ぎている、それなのに笑顔は少年のまま明るい。
そんな笑顔の声も眼差しもはずむよう若さ眩しくて、その言葉になんだか照れてしまうまま頷いた。
「父もその、れんあいちゃんとしました…ってきいています、」
「おっ、やっぱり恋愛結婚なんだな?そうだろうなあ、」
笑いながら納得したよう頷かす。
そしてティーカップ二つ窓辺の応接セットに置いて闊達な笑顔は言った。
「よし、一杯やりながら馨さんの恋話を聴かせてくれ。ちゃんと聴いてるんだろう?ロマンチストな馨さんだからな、可愛い息子に話さない筈がない、」
ああそれ僕にはいちばんの難題かも?
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」】
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第77話 決表act.5-another,side story「陽はまた昇る」
キャンパスは白かった。
煉瓦造り、石造り、木造、それからコンクリート。
古いも新しいも白銀に静かで眠るような気配は優しい、けれど学生すれ違う。
この雪でも学びに来る仲間がいる、それが何か嬉しくて周太は雪のキャンパス片隅に笑った。
「ん…来て良かった、」
さくりさくり登山靴に大学の雪を踏む。
ここに初めて来た日も雪だった、あれは3月春の初めの雪。
あのとき隣で歩いていた友達は今、この場所に毎日を通うため模擬テストに向かう。
『自分で自分のこと選んでみたいって今、本気で想えるの。だから私、絶対に諦めたくないな、』
3月終わりの雪のなか初めて青木准教授の講義を聴いた。
始まりは新宿の交番、あの場所で青木と出逢いあのラーメン屋で再会した、そして受講証と本を受けとった。
きっと美代なら一緒に行きたいだろう?そう想って気軽に誘った樹木医の公開講座が一人の女性の未来を変えていく。
『私、東大の理科Ⅱ類に合格する。農学部に進んで森林科学専攻に行きます、私の夢を本気で自分で掴みに行くね、』
親に言われた通り農業高校へ進んでJAに就職した。
大学へ進むなど誰にも言えなくて、そんな理由に本気で努力したことが無かった美代があの一日で運命を選んだ。
そんな記憶ごと歩くキャンパスは静かで、いつもの講義棟も雪のなか音が無い。
―今日は青木先生も来てないよね、JRはダイヤ乱れてるし…地下鉄だけなら良いけど、
いま自分が住む場所からここは歩いても帰られる。
東京理科大学も歩けてしまう、箭野も散歩しながら帰ってきたと笑っていた。
『大学に行ってきた帰りだよ、卒研の合格と専攻科への進学が内定したんだ、』
雪の道に笑ってくれた言葉は嬉しかった。
箭野は進学する、そんな言葉に自分も夢を見つめて今の美代を想って樹医の言葉が響いた。
『君が、東大に入るんです。よかったら私の研究室に入ってください、挑戦前に諦めたらダメですよ?』
3月の雪に青木准教授が笑った言葉に美代は足掻くことを決めた。
そして今1ヵ月後にセンター試験を控えている、きっと2次試験への切符も掴むだろう。
その前哨戦となる模擬テストの今日に箭野の進学を聴いて、だから自分も大学に来たくなって歩いてきた。
大学院進学、この夢に自分も挑めるだろうか?
「…賢弥と約束したんだ、僕も、」
そっと独り言葉にして歩く道、雪さくり踏みながら学舎を仰ぐ。
冬枯れた梢の向こう研究室の窓は静かで、映る白い空に遠い山を見てしまう。
同じ都内の雪の森、あの場所から始まった自分の夢は叶えられるのだろうか?
“周、きっと立派な樹医になれるよ?本当に自分が好きなこと、大切なことを忘れたらダメだよ?諦めないで夢を叶えるんだ”
幼い冬は9歳だった、あのとき父は祈るよう微笑んだ。
あの笑顔が大好きで自分の世界だった、けれど父の死と同時に約束ごと忘れてしまった。
こんなに大切な夢と言葉をなぜ忘れてしまったのだろう?その真相の欠片がある場所へと陸橋を渡った。
やっぱり図々しいだろうか?
そんな迷いごとエントランスで登山靴の雪落とす。
今日は雪の土曜で大学も休み、公開講座も当然ないから手伝い日でもない。
呼ばれてもいない日にいきなり研究室を訪ねることは申し訳ない?その思案にも一歩入って階段を見あげた。
「…いちおう研究生ではあるけど、ね?」
農学部と同じに文学部も籍はある、そう差配してくれた。
それが厚意だからこそ甘えたら申し訳なくて、迷うまま佇んだ背から声かけられた。
「周太くんじゃないか?やっぱ雪の中でも来るんだなあ、」
低く明るい声に呼ばれてもう誰だか解かる。
こんなふう迷うたび呼んでくれる相手に周太は振り向いた。
「こんにちは、田嶋先生…こんな日に伺ってすみません、」
遠慮がち挨拶した前、くしゃくしゃ髪の笑顔ほころばせてくれる。
ワイシャツは第一ボタン外して緩めたネクタイ、いつもどおり着崩した教授は闊達に笑った。
「なに言ってるんだい、君を研究生にひっぱりこんだのは俺だぞ?ほら行くぞ、」
ぽんっ、ダッフルコートの肩かるく敲いて階段を上がってくれる。
その手はコンビニの袋提げているのにコートを着ていない、こんな日の薄着に尋ねた。
「先生、その恰好で買物に行ったんですか?」
「うん?そうだが何だい?」
なんでこんなこと訊くんだろう?
そんなトーン笑ってくれる気さくな笑顔に訊いてみた。
「あの、寒くないんですか?雪なのに、」
スラックスにワイシャツとネクタイ、しかも相変わらず袖捲りしている。
それでも足元だけは登山靴で、このアンバランスな恰好した学者はからり笑った。
「確かにちょっと寒いな、でも雪止んでるし不自由はないぞ?」
くしゃくしゃ髪の浅黒い顔は元気に笑ってくれる。
端正な笑顔、けれど年齢よりずっと若い貌に愉しくなって尋ねた。
「田嶋先生ならマッターホルンも寒くなさそうですね?…アイガーもグランドジョラスも、」
「ははっ、確かに他のヤツラよりは薄着だったかもしれんな?」
低く響く声からり笑ってくれる、そのトーンは自由な闊達が温かい。
こんな聲と笑顔に父の若い日は明るかった?そう想うだけで嬉しくて、だからこそ哀しくなる。
“ But thy eternal summer shall not fade, ”
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」
この詩を父の碑銘に選んでくれた人、そんな彼こそ父の「thy」だったろう?
このこと今日こそは伝えてあげたい、そして自分も教えてほしい事がひとつある。
だから来てしまった研究室の扉に着いて、かたん、開錠されて祖父の教え子は笑った。
「紅茶を淹れてあげるよ、相変わらず散らかってるがな?」
I give it to an epitaph of savant Kaoru Yuhara.
そう父を讃え碑銘を贈ってくれた人、その笑顔が「紅茶」と笑ってポットの前に立ってくれる。
こんなふう父も雪の日に淹れてくれた、あの幸せな時間のままに冬の研究室で夏の詩が謳いだす。
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
夏の限られた時は短すぎる一日だけ。
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
清らかな貴方の美を奪えない、
貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、
永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
人々が息づき瞳が見える限り、
この詞が生きる限り、詞は貴方に命を贈り続ける。
この詩は本来14行詩、だけど田嶋は4行目から父に贈ってくれた。
短すぎる、そう告げる一行から始めてくれた想いは愛惜が温かい。
そして父も同じ想いで生きていた、その真実を伝えたくて微笑んだ。
「田嶋先生、先日は父の本をありがとうございました…母も喜んでいます、」
「おっ、見せてくれたのか?」
手もと動かしながら振り向いて笑ってくれる。
闊達に若い貌は愉しげで、ふっと悪戯っ子に瞳が笑った。
「そうだよなあ、君がいるってことは馨さんにも奥さんいるんだもんな?あの馨さんが恋愛ちゃんと出来たんだなあ、」
可笑しそうに笑いだす貌は尚更に若くなる。
父と変わらない齢のはず、もう五十は過ぎている、それなのに笑顔は少年のまま明るい。
そんな笑顔の声も眼差しもはずむよう若さ眩しくて、その言葉になんだか照れてしまうまま頷いた。
「父もその、れんあいちゃんとしました…ってきいています、」
「おっ、やっぱり恋愛結婚なんだな?そうだろうなあ、」
笑いながら納得したよう頷かす。
そしてティーカップ二つ窓辺の応接セットに置いて闊達な笑顔は言った。
「よし、一杯やりながら馨さんの恋話を聴かせてくれ。ちゃんと聴いてるんだろう?ロマンチストな馨さんだからな、可愛い息子に話さない筈がない、」
ああそれ僕にはいちばんの難題かも?
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」】
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