見つめる、このひと時に
第50話 青葉act.3―another,side story「陽はまた昇る」
黄昏が稜線の際まで下がり、紺碧色の夜が天穹を覆っていく。
星が輝きだす山頂、避難小屋の前で光一と英二は焚火を起こす遣り方を見せてくれた。
「今回はね、訓練でビバークの練習だからさ、」
からりテノールの声が笑って、一枚の許可書を見せてくれた。
原則として山での焚火は禁じられビバーク、緊急時のみ許可される。だから山中での焚火は、周太にとって初めてだった。
同じように今回が初めての瀬尾も、ふたりが枯れ草や枝を積み上げるのを手伝いながら微笑んだ。
「すごいね、宮田くん。山は初任教養の山岳訓練が初めてだったんでしょ?まだ経験は1年未満ってことだよね、」
「そうだよ。だけど卒配されてからは俺、専属の先生がいるからね、」
綺麗な笑顔が咲いて、光一の方を指し示す。
その指に雪白の貌が明るく笑んで、楽しげに言った。
「だね、最高の先生だろ、俺って、」
「確かに最高だよ、」
笑って答えて英二は組み上げた枯草にと着火した。
小さな炎を上手に育てて、大きな炎へと立ち上げていく。
そうして出来上がった焚火をぐるり囲んで、山の食事が始まった。
「研修中ってさ、酒がダメなのが残念だよなあ?でも、気分だけでもさ?はい、」
からっと笑って藤岡がノンアルコールビールを配ってくれる。
これを藤岡は背負って登ってきた、自分と体格が変わらない藤岡のパワーに感心してしまう。
自分も鍛えたらこうなれるのかな?そう見ている隣から、きれいな低い声に笑いかけられた。
「周太は、そこまでパワー付けなくても大丈夫だよ?俺がいるから、」
何で考えていることが解かるのだろう?
驚いて周太は訊いてみた。
「どうして今、俺が考えていることが解かったの?」
「うん?なんとなく、」
綺麗な笑顔が答えてくれる。
けれど、なぜ英二がいると力を付けなくていいのかな?
不思議で首傾げた時、隣から青いウェアの腕が伸びて白皙の頬は小突かれた。
「ほら、エロ顔になってるね?どうせまた、周太がパワー付けたら押倒せなくなる、とか考えてるんだろ?」
言いながら光一の、底抜けに明るい目が愉快に笑っている。
その目に応えて英二も、綺麗な低い声で悪びれずに言った。
「ごめん、光一。おまえがパワフルで、好きに出来ないからさ。周太もなったら、困るなって、」
「俺、パワフルで良かったよ、って思っちゃったね。おまえ、ほんとエロ別嬪だね、」
「うん、俺はエロいよ?だから光一のエロさに、誘惑されるんだろ?」
「人の所為にしないでよね、変態色情魔の別嬪さん?」
なんていうかいわしているの?
いま皆もいるのに?ほらもう顔が赤くなってしまう、どうしよう?
ひとり赤くなって困っていると、優しいバリトンボイスが英二に尋ねた。
「気を悪くしたらごめんね?宮田くんって、ゲイなの?」
ちょっとストレートすぎるんじゃない瀬尾?
驚いて見つめた視線の向こう、優しい目が微笑んだ。
その顔に関根も藤岡も、そろって大きな目を尚更大きくして見つめている。
このなかで、周太と英二のことを話していないのは、瀬尾だけだな?そんな事を考えている隣で、綺麗な低い声が笑った。
「ゲイ、っていうより俺、バイセクシャルじゃないかな。女の子とも出来るし、嫌いじゃないから。でも恋する相手は、周太ひとりだけど、」
…言っちゃった
心裡、ぽつんと呟いた言葉に溜息がこぼれた。
初任総合が終わるまで、あと1ヶ月ある。その間を瀬尾に秘密を負わせてしまう、それが申し訳ない。
なにより瀬尾がどんな反応をするのか、気になって見つめると瀬尾は笑ってくれた。
「そっか、ごめんね、間違えて。でも湯原くんのこと、やっぱり好きなんだ。ふたりは両想いなんだね、」
「え…、」
両想い、そう言われて周太は瀬尾を見つめた。
やっぱり瀬尾は気づいていた?でも気づかれて当たり前なのかな?
途惑って首筋が熱くなるのを感じながら、周太は口を開いた。
「あの、瀬尾は俺が、英二を好きって…いつから思ってたの?」
「うーん、山岳訓練の頃かな?あの頃からは、ほとんど毎晩一緒にいるみたいだったから、」
優しい笑顔の答えに、かくんと肩の力が抜けた。
…そんなことまでばれてたの?
驚いて頬まで熱が駆け昇る、ほらもう真赤になっている。
あの頃は「好き」という自覚も無くて、ただ来てくれたら嬉しかった。
どちらにせよ恥ずかしい、なんて答えていいのか困ってしまう。けれど英二はさらり笑って答えてしまった。
「瀬尾、気づいてたんだ?でもね、俺と周太が付合い始めたのは、卒業式の夜からだよ、」
ちょっとまって英二?
いま「卒業式の夜から」って言っちゃったでしょ?
…そんな答え方ってまるでもういかにも、ってかんじだよね?
心裡めぐる言葉に頭が真白になりそう?
こんなときノンアルコールビールなのは、ちょっと恨めしい。お酒だったら酔っぱらって寝ちゃえるのに?
恥ずかしさに俯いていると、優しいバリトンボイスが言ってくれた。
「そうだったんだ。良かったね、幸せそうだよ?だから宮田くん、すごくカッコよくなったのかな。特に背中、カッコいいよ、」
「うん、周太のお蔭だと思うよ。俺、周太の人生も背負っているんだ、」
そんなことまで話しちゃうの?
瀬尾は自分も仲が良いし、信頼できると思っている。
けれどその話まで急にされると、ちょっとまって心の準備が出来ていない。
どうしようと途惑っているうちに、瀬尾は素直に笑って英二に尋ねた。
「そうなんだ?それって、養子縁組とかするってこと?」
「うん、瀬尾も法学部だから知ってるよな、男同士で結婚するなら、って遣り方、」
「ひと通りはね。そっか、真剣なんだね、良かったね、」
「おう、真剣だよ。俺、周太が初恋なんだ、」
俯いている間に話が進んでしまう。
こんなの気恥ずかしい、でも、本当は嬉しいとも思ってしまう。
こんなに堂々と話してくれる英二が眩しくて、愛しくて、やっぱり大好きだと幸せになる。
けれど光一は、どう想っているのだろう?
…光一だって英二のこと、好きなのに…えいじのばか、
そっと婚約者を心で罵って、周太は幼馴染を見あげた。
見上げた先で雪白の貌は焚火に照らされながら、愉しげに英二を眺めている。
大好きな人を見つめて楽しい、そんな無垢な笑顔が心に響いて、そっと周太は尋ねた。
「…光一は、嫌じゃないの?」
「うん?何が嫌なワケ?はい、焼けたよ周太、」
明るいテノールが笑って、こんがり焼けた串を渡してくれる。
大らかな優しい笑顔を見つめながら周太は、思ったままを言葉にした。
「光一の気持ち、英二は知ってて。なのに英二、俺のことばかり言って…嫌じゃないのかな、って、」
こんなこと言うのも変かもしれない、烏滸がましいかもしれない。
光一と英二のことは2人の問題、だから周太には意見する権利なんて勿論ないと解かっている。
それなのに英二を怒っている自分は、傲慢にも思えて。そんな想いに溜息を吐いた隣から、透明なテノールが笑ってくれた。
「あいつを大好きだよ、そして君のことも大好きだ。大好きなヤツが、大好きな人のこと話して、幸せに笑ってるんだ。眼福だね、」
どうして光一は、こんなに無欲なの?
こんなに無垢な人がいることが不思議で、愛しくて、まぶしい。
そして嬉しい、こんな人だからこそ大切な婚約者を任せていける。この優しい信頼に周太は微笑んだ。
「ん、ありがとう、光一。俺も光一のこと、大好きだよ?」
「うれしいね、そう言ってくれるの、」
底抜けに明るい目が幸せに笑んでくれる。
この人の笑顔も自分は護りたい、そんな想い微笑んだ時、逆隣から長い腕に抱え込まれた。
「周太?俺のことも大好き、って言って?」
白皙の頬よせて、綺麗な低い声で英二がねだってくれる。
こんなふうに言われたら嬉しい。けれど同期の前で恥ずかしい、それに少しだけ今、怒ってる。
そんな想いについ、素っ気ない声が出た。
「しらない、今は言いたくないの。後にして、」
「え…周太?」
ほら、きれいな切長い目が困りだす。
こんな貌は本当は弱い、笑いかけて「大好きだよ、」と言ってしまいたい。
けれど今は少し、色々と腹が立ってしまって、周太は体ごと光一の方を向いてしまった。
「光一、これ美味しいね?光一の畑で採れたの?」
「プチトマト旨いだろ?まだハウスだけどさ、夏になったら露地物を食べさせてあげるからね。もっと旨いよ、」
夏になったら。
この言葉の意味を光一は、解かって遣ってくれる。
夏になったら、秋になったら?それでも昼間の約束のままに「ずっと離れない」と言ってくれる。
この言葉を贈る想いが嬉しくて、素直に周太は微笑んだ。
「ん、食べさせてね?楽しみにしてるね、」
またひとつ「先」の約束を、大切な人と結ぶ。
こうして大切な約束を結んだら、きっと無事に帰ってくる意志が強靭になっていく。
そうして心も体も無事に「あの場所」から戻れる、そう信じていたい。
…信じていたい、なにより英二の為に
そっと心つぶやく想いに、肩越し振り仰いでみる。
見上げた先、白皙の貌が困った顔のまま寂しげに、こっちを見ていて驚いた。
「…英二?ずっとそうして見ていたの?」
「うん、」
素直に頷いた顔が何だか、実家の近所のゴールデンレトリバーを思い出させてしまう。
美犬で有名な5歳オスの大型犬、いつも大好きなご主人様を待っている。
その顔は少し寂しげで、けれど帰りを待ちわびる期待と喜びが可愛い。
そして英二の顔も「待っていました、ご主人さま」と言っている。
…英二、ほんとうに恋の奴隷?
心に零れた言葉に、困ってしまう。
こんなふうじゃ本当に「いつか」離れる時はどうなるの?
そんな不安に熱が瞳の奥に昇りかけて、ひとつ瞬くと周太は微笑んだ。
「英二、これ美味しいよ?ひとくち食べる?」
「うん。周太、食べさせて?」
笑いかけて差し出した串焼きに、綺麗な笑顔が幸せに咲いてくれる。
でも「食べさせて?」は恥ずかしいな?すこし困ったとき不意に、青いウェアの腕が伸びて周太の串焼きを取ってしまった。
「うん、確かに旨いね。いちばん良い焼き具合のだったね、周太、」
悪戯っ子の笑顔が愉快に英二を見、薄紅のきれいな唇はさっさと全部食べてしまった。
ずいぶん光一は食べるのが速いな?感心してみている隣から、英二が抗議の声をあげた。
「光一?それ、俺が貰ったのに勝手に食うなよ、」
「あ、ごめんね?焼き加減を確かめたくってさ。ほら、こっちやるよ。焼きたて熱々、」
「そうじゃなくって、俺は周太のが欲しかったのに、」
「なに、間接キス狙いってワケ?おまえ、食ってる時までエロかよ?嫌だね、盛ってるオトコって、」
また始まってしまった。
皆の前で困ってしまう、どうしよう?
もう放っておくしかないだろう、でも放っておくとまた、とんでもない話を始めるかもしれない?
あまり変なことを言わないでほしいな?本当に困りながらも周太は、瀬尾に話しかけた。
「瀬尾、今週末は彼女さんと逢わなくて、大丈夫だったの?」
「大丈夫、ちょうど彼女も旅行なんだ。といっても、大学のゼミの合宿だけどね。来週は逢えるし、」
話す貌が幸せそうで、こっちも嬉しくなってくる。
本当に彼女のことが好きなんだな、嬉しい気持ち微笑んで周太は尋ねた。
「彼女さんが卒業したら結婚する、って前に言ってたよね?…この先のこと、彼女さんは何て言ってるの?」
瀬尾の5年後に控える進路変更を、彼女はどう思ったのだろう?
それが心配で訊いてみた周太に、優しいバリトンボイスは答えてくれた。
「うん、ずっと一緒にいてくれるって。俺ね、実は、ちゃんとプロポーズしたんだ、」
そうなんだ?
驚いて目が大きくなってしまう。
けれど周りはもっと驚いたように、一斉に瀬尾を見た。
「プロポーズって、なんだよそれ、話せよ、瀬尾、」
「へえ?瀬尾、修学旅行で言ってた話の続き、ってこと?すげえ、もう結婚すんの?瀬尾、」
「ふうん、瀬尾くんって大人しそうなのに、ヤルことヤるんだね?甲斐性あるね、」
「瀬尾もそうなんだ?だから俺のこと、気づいたんだな、」
4人が四様の反応に、瀬尾の周りを囲んでいる。
やっぱり「プロポーズ」とか「結婚」なんて話は、自分たち23歳には重大事件だろう。
そんな重大事にさらり笑って、瀬尾は答えてくれた。
「叔父が1月に亡くなってね、葬式の翌日に海に行ったんだ。叔父が大好きな場所だから、そこの水をお墓に灌いであげたくて。
そのとき彼女も付いて来てくれたんだ。雪も降って寒い日だったのに、一緒に海を歩いてくれて。その時に、きちんと話したんだ、」
微笑んで瀬尾は缶に口付けて、ひとくち飲みこんだ。
どこか悠然とした大人の雰囲気がカッコいいな?そう見ていると関根が瀬尾に尋ねた。
「どんなふうに話した?」
「うん、もう大人になったから、結婚相手は自分で選ぼう、って言ったんだ、」
優しいバリトンボイスが笑って、穏やかに答えてくれた。
「俺が7歳になる春に婚約したんだよ、俺たち。まだ彼女は5歳だった。そのまま17年間、お互いに許嫁なのが当然だったんだ。
だけど、あれから俺の状況も変わったし。本当に俺と結婚していいのかどうか、きちんと彼女自身に考えてほしいって言ったんだよ。
俺ね、本当に彼女が好きなんだ。だから後悔してほしくないし、幸せになってほしい。それで婚約解消しても良い、って言ったんだ、」
大好きな人の幸せを願って、離れる覚悟をする。
その気持ちは自分にも解ってしまう、つい今しがたも心に想ったばかり。
この覚悟は瀬尾にとって、きっと辛くて重かった。だって瀬尾は違う進路に立つことを決めた時だったから。
…ほんとうなら、いちばん傍にいてほしいよね、そういう時は。でも瀬尾は、彼女の幸せだけを考えて
きっと瀬尾にとって一番辛い時だったはず、叔父の葬儀の翌朝は。
叔父の急死によって瀬尾は、自分が夢見て努力した警察官の道を捨てざるを得なくなった。
それが決定された翌朝に、いちばん傍で支えてほしい相手に瀬尾は、自由を贈ったと言っている。
どうして瀬尾はそんなに靭いのだろう?
この友人への敬意を見つめる向う、藤岡が笑った。
「でも彼女、婚約解消しなかったんだよな?」
「うん、ずっと一緒にいる、って言ってくれた。約束を守ってね、って言ってね、」
頷いて瀬尾は答えてくれる。
そして少年のまま透きとおるバリトンボイスが、幸せに微笑んだ。
「好きな人と一緒なら苦労も幸せに出来る、ってね、彼女は言ってくれたよ。お嫁さんにして下さい、ってね、」
…好きな人と一緒なら、苦労も幸せに出来る
彼女の言葉が心にふれて、そっと温かい。
いつか自分も、そんなふうに英二に言えたら良いな?そう思わされるほど、彼女の言葉は幸せだ。
こんなふうに言ってくれる許嫁がいる瀬尾は、幸せだ。
「おめでとう、瀬尾。ほんとうに良かったね、」
「うん、ありがとう、」
優しい笑顔が幸せに咲いて、焚火の灯りに輝いた。
こんな笑顔が見られて嬉しいな?嬉しく微笑んだ視界の先で、関根が瀬尾へと羽交い絞めに抱きついた。
「なんだよ、瀬尾?すっげえ幸せじゃないか、おまえ?ちっくしょう、うれしいよ俺、なんだよっ、」
大きな手で瀬尾の髪をぐしゃぐしゃにして、関根が笑っている。
関根が喜ぶ理由が自分には解る、関根も瀬尾の「5年後」を知っているから、尚更に嬉しいだろう。
嬉しい気持ちで見ている向こう、羽交い絞めのまま瀬尾も声をあげて笑った。
「あははっ、ありがとう、俺、幸せだよ?関根くんも頑張んなね、」
笑いながら瀬尾は腕を伸ばして、関根の髪をぐしゃぐしゃに仕返した。
そんな友達に快活な瞳は大らかに笑んで、嬉しそうに関根は言い返した。
「あんだよ瀬尾、てめえ、えらっそうに?でも俺も頑張るよ、くっそー、」
「うん、せいぜい頑張んなね、ぬるーく見守ってあげるよ、」
快活な笑顔と優しい笑顔が笑い合って、ぼさぼさの髪同士ふざけている。
この2人は正反対だけど、やっぱり似ているな?なんだか楽しい気持ちで見ていると、笑いながら藤岡が訊いた。
「おめでとう、瀬尾。で、なに関根?頑張る相手が出来たわけ?」
「あー…そのへんは宮田に訊いて?」
照れくさげに自答は避けて、関根は英二に話をぶん投げた。
投げられた英二は藤岡の視線ごと受け留めて、答えと穏やかに微笑んだ。
「関根はね、俺の姉ちゃんと付合ってるんだ、」
答えに、人の好い笑顔が「きょとん」とした。
いま何て言われたのだろう?そう首傾げて一拍置くと、ぽかんと藤岡の口が開いた。
「え、なにそれ?」
確かに「なにそれ」って想うだろうな?
そんな納得をしている裡に座り直した関根が、ボサボサ頭を気恥ずかしげに掻いた。
「いや、だからさ?俺がひと目惚れした相手が、宮田のお姉さんだったってこと。で、俺、おつき合いさせてもらってんの、」
「はあ?!」
やっぱり驚くよね?
そんな偶然があるなんて、普通は思わないだろう。
だから逆に言えば関根と英理も「運命の出逢い」なのかな、と思ってしまう。
そんなことを考えている向かい側で、驚いた顔のまんま藤岡が関根に笑った。
「へえ、驚いたなあ。関根、写メとか無いの?宮田の姉ちゃんなら美人だろ、見せろよ、」
「写メとか無理、そんなの撮らせてとか言えねえよ、俺、」
「へえ、おまえって純情だよなあ?宮田は写メ、ないの?」
「ごめん、無いよ。自分の姉の写メとか、あんまり撮らないだろ?」
訊かれた英二が答えと笑っている。
きょうだい、ってそういうものなのかな?考えていると瀬尾が笑って輪に加わった。
「あれ?関根くん、写メも無いんだ?」
「なんだよ瀬尾、てめえは写メ持ってるからって、勝組みかよ?」
「うん、そうだよ?ごめんね、悔しかったら写メ、撮ってきなよ、」
優しい笑顔で瀬尾は、意外と辛口なことを言う。
こういうとこ瀬尾って面白いな?そんなこと想っている片隅で、ふと周太は思い出した。
…あ、先週、デートの服を訊いてくれた時の、
携帯を開いて受信ボックスを開くと、日付を遡っていく。
そして目当てのメールを見つけて、周太は微笑んだ。
「あ、やっぱりあった、」
「うん?」
周太の独り言に気付いて、光一が横からのぞきこんだ。
映しだされる画面を見ると、からり笑ってテノールが周太に訊いてくれた。
「へえ、可愛いね。この写メ、宮田の姉さんだろ?どうして周太の携帯に入ってるワケ?」
「ん…デートに着ていく服を選んで、ってメールくれてね?そのとき添付されてたの、」
正直に答えた周太の声に、関根が画面をのぞきこんだ。
画面ではミントグリーンのワンピースを着た英理が、上品な華やぎと微笑んでいる。
眺めた画面に関根の頬が染まっていく、そして快活な声は気恥ずかしそうに頼みこんだ。
「あのさ…なあ、湯原?この写メ、俺に送ってくんない…?」
その気持ちは解かるな?
けれど関根と英理の為に周太は、遠慮がちに断った。
「そうしてあげたいけど…勝手には、お姉さんに悪いなって思うけど、」
「だよなあ?悪りい、今の発言、忘れてくれ、ごめん、」
残念そうに、けれど潔く関根は諦めた。
そんな会話を横から訊いて、ひょい、と藤岡が覗きこんだ。
「これ、宮田の姉ちゃん?」
「ん、そうだよ?」
素直に答えた周太の、手許の携帯を見ながら人の好い顔が目を丸くしている。
とても驚いたような顔でいるけれど、どうしたのだろう?
不思議で見ていると、藤岡は視線を英二に向けて、言った。
「やっぱり美形の姉ちゃんって、美女なんだなあ?関根、瀬尾が言う通りさ、ちょっと頑張った方が良いよ?」
なんだか関根は「頑張れ」ばっかり言われているな?
そんな感想もなんだか可笑しくって、楽しい。
こんな他愛もない話が出来る友達が、自分にもいてくれる。
そして隣には大切な幼馴染と、大切な婚約者が一緒に笑って時を過ごす。この「今」は心から幸せで、温かい。
この「今」も、きっと永遠の記憶になる。
ふっと気配に瞳が開く。
眠りに落ちる瞬間を抱いてくれた腕は、名残の体温だけで消えている。
そっと見まわした山小屋の薄闇に一筋、かすかな光が細く目に映りこむ。
静かに起きあがり光を見つめると、2つの長身の影が扉近くに立っていた。
…英二と光一?どうしたのかな、
不思議で首傾げかけた時、小屋の外に気配が動いた。
誰かが、この小屋の外にいる?そう気づいた途端、脳裏に言葉が閃いた。
―…埼玉県警でもまだ、犯人は捕まっていないんだ…夕方や明け方に襲われるケースが多いんだよね
この今は明け方、ならば小屋の外に誰がいるのか?
考えられる可能性は犯人か被害者、もし被害者なら怪我を負わされている可能性が大きい。
そして、もし犯人なら?
…あくまで代用、なんだけど
そっと登山ウェアの懐に手を入れると、内ポケットからエアガンを引きだした。
これは学生時代に練習用として使っていた、けれど人に向ければ怪我にもなる。
万が一の護身には使えると思って、念のために持って来た。
でも、出来れば人には向けたくない。
がたん、
扉の外で物音が立って、扉近くの2人は顔見合わせ頷きあった。
その雰囲気は「犯人ではない」という空気がある、それなら怪我人かもしれない?
そっと息を殺して身をかがめながら見つめる向う、小屋の扉が開かれた。
「…っ、」
遠目に見た扉向うには、血まみれの人間が蹲っている。
…怪我してる!
心の叫びと同時にエアガンを懐へ戻し、英二のザックを開いた。
すぐに救急道具ケースは見つかって、ヘッドライトと携えると周太は音も無く扉口へと駆け寄った。
そして2人の傍に立ったとき、ちょうど英二がふり向いた。
「…、」
いつのまに背後にいたのだろう?
そう切長い目が驚いて見つめてくる、その目を見つめて周太は救急道具とライトを差し出した。
「手伝う、指示出して、」
「ありがとう、」
ほっと切長い目が微笑んで、礼を言ってくれる、その白皙の掌には拳銃が握られていた。
そのまま英二は衿元を開き、ショルダーホルスターへ拳銃を戻すと登山ジャケットのファスナーを閉じこんだ。
そして周太の手から一式を受けとってくれながら、優しい笑顔で言ってくれた。
「周太、ツェルトを持ってきてくれ。保温する、」
「はい、」
すぐ返事して小屋の中へ戻る周太を、すこしの緊張が鼓動を叩く。
あの救急法と鑑識のファイルが今、現場で生かす時になる。
…あのファイルで今、英二の手伝いが出来る、
こんなふうに英二と共に現場に立って、手伝えるなんて思っていなかった。
けれど本当は、ずっとそうしてみたかった。
その願いが、今、叶う。
(to be continued)
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第50話 青葉act.3―another,side story「陽はまた昇る」
黄昏が稜線の際まで下がり、紺碧色の夜が天穹を覆っていく。
星が輝きだす山頂、避難小屋の前で光一と英二は焚火を起こす遣り方を見せてくれた。
「今回はね、訓練でビバークの練習だからさ、」
からりテノールの声が笑って、一枚の許可書を見せてくれた。
原則として山での焚火は禁じられビバーク、緊急時のみ許可される。だから山中での焚火は、周太にとって初めてだった。
同じように今回が初めての瀬尾も、ふたりが枯れ草や枝を積み上げるのを手伝いながら微笑んだ。
「すごいね、宮田くん。山は初任教養の山岳訓練が初めてだったんでしょ?まだ経験は1年未満ってことだよね、」
「そうだよ。だけど卒配されてからは俺、専属の先生がいるからね、」
綺麗な笑顔が咲いて、光一の方を指し示す。
その指に雪白の貌が明るく笑んで、楽しげに言った。
「だね、最高の先生だろ、俺って、」
「確かに最高だよ、」
笑って答えて英二は組み上げた枯草にと着火した。
小さな炎を上手に育てて、大きな炎へと立ち上げていく。
そうして出来上がった焚火をぐるり囲んで、山の食事が始まった。
「研修中ってさ、酒がダメなのが残念だよなあ?でも、気分だけでもさ?はい、」
からっと笑って藤岡がノンアルコールビールを配ってくれる。
これを藤岡は背負って登ってきた、自分と体格が変わらない藤岡のパワーに感心してしまう。
自分も鍛えたらこうなれるのかな?そう見ている隣から、きれいな低い声に笑いかけられた。
「周太は、そこまでパワー付けなくても大丈夫だよ?俺がいるから、」
何で考えていることが解かるのだろう?
驚いて周太は訊いてみた。
「どうして今、俺が考えていることが解かったの?」
「うん?なんとなく、」
綺麗な笑顔が答えてくれる。
けれど、なぜ英二がいると力を付けなくていいのかな?
不思議で首傾げた時、隣から青いウェアの腕が伸びて白皙の頬は小突かれた。
「ほら、エロ顔になってるね?どうせまた、周太がパワー付けたら押倒せなくなる、とか考えてるんだろ?」
言いながら光一の、底抜けに明るい目が愉快に笑っている。
その目に応えて英二も、綺麗な低い声で悪びれずに言った。
「ごめん、光一。おまえがパワフルで、好きに出来ないからさ。周太もなったら、困るなって、」
「俺、パワフルで良かったよ、って思っちゃったね。おまえ、ほんとエロ別嬪だね、」
「うん、俺はエロいよ?だから光一のエロさに、誘惑されるんだろ?」
「人の所為にしないでよね、変態色情魔の別嬪さん?」
なんていうかいわしているの?
いま皆もいるのに?ほらもう顔が赤くなってしまう、どうしよう?
ひとり赤くなって困っていると、優しいバリトンボイスが英二に尋ねた。
「気を悪くしたらごめんね?宮田くんって、ゲイなの?」
ちょっとストレートすぎるんじゃない瀬尾?
驚いて見つめた視線の向こう、優しい目が微笑んだ。
その顔に関根も藤岡も、そろって大きな目を尚更大きくして見つめている。
このなかで、周太と英二のことを話していないのは、瀬尾だけだな?そんな事を考えている隣で、綺麗な低い声が笑った。
「ゲイ、っていうより俺、バイセクシャルじゃないかな。女の子とも出来るし、嫌いじゃないから。でも恋する相手は、周太ひとりだけど、」
…言っちゃった
心裡、ぽつんと呟いた言葉に溜息がこぼれた。
初任総合が終わるまで、あと1ヶ月ある。その間を瀬尾に秘密を負わせてしまう、それが申し訳ない。
なにより瀬尾がどんな反応をするのか、気になって見つめると瀬尾は笑ってくれた。
「そっか、ごめんね、間違えて。でも湯原くんのこと、やっぱり好きなんだ。ふたりは両想いなんだね、」
「え…、」
両想い、そう言われて周太は瀬尾を見つめた。
やっぱり瀬尾は気づいていた?でも気づかれて当たり前なのかな?
途惑って首筋が熱くなるのを感じながら、周太は口を開いた。
「あの、瀬尾は俺が、英二を好きって…いつから思ってたの?」
「うーん、山岳訓練の頃かな?あの頃からは、ほとんど毎晩一緒にいるみたいだったから、」
優しい笑顔の答えに、かくんと肩の力が抜けた。
…そんなことまでばれてたの?
驚いて頬まで熱が駆け昇る、ほらもう真赤になっている。
あの頃は「好き」という自覚も無くて、ただ来てくれたら嬉しかった。
どちらにせよ恥ずかしい、なんて答えていいのか困ってしまう。けれど英二はさらり笑って答えてしまった。
「瀬尾、気づいてたんだ?でもね、俺と周太が付合い始めたのは、卒業式の夜からだよ、」
ちょっとまって英二?
いま「卒業式の夜から」って言っちゃったでしょ?
…そんな答え方ってまるでもういかにも、ってかんじだよね?
心裡めぐる言葉に頭が真白になりそう?
こんなときノンアルコールビールなのは、ちょっと恨めしい。お酒だったら酔っぱらって寝ちゃえるのに?
恥ずかしさに俯いていると、優しいバリトンボイスが言ってくれた。
「そうだったんだ。良かったね、幸せそうだよ?だから宮田くん、すごくカッコよくなったのかな。特に背中、カッコいいよ、」
「うん、周太のお蔭だと思うよ。俺、周太の人生も背負っているんだ、」
そんなことまで話しちゃうの?
瀬尾は自分も仲が良いし、信頼できると思っている。
けれどその話まで急にされると、ちょっとまって心の準備が出来ていない。
どうしようと途惑っているうちに、瀬尾は素直に笑って英二に尋ねた。
「そうなんだ?それって、養子縁組とかするってこと?」
「うん、瀬尾も法学部だから知ってるよな、男同士で結婚するなら、って遣り方、」
「ひと通りはね。そっか、真剣なんだね、良かったね、」
「おう、真剣だよ。俺、周太が初恋なんだ、」
俯いている間に話が進んでしまう。
こんなの気恥ずかしい、でも、本当は嬉しいとも思ってしまう。
こんなに堂々と話してくれる英二が眩しくて、愛しくて、やっぱり大好きだと幸せになる。
けれど光一は、どう想っているのだろう?
…光一だって英二のこと、好きなのに…えいじのばか、
そっと婚約者を心で罵って、周太は幼馴染を見あげた。
見上げた先で雪白の貌は焚火に照らされながら、愉しげに英二を眺めている。
大好きな人を見つめて楽しい、そんな無垢な笑顔が心に響いて、そっと周太は尋ねた。
「…光一は、嫌じゃないの?」
「うん?何が嫌なワケ?はい、焼けたよ周太、」
明るいテノールが笑って、こんがり焼けた串を渡してくれる。
大らかな優しい笑顔を見つめながら周太は、思ったままを言葉にした。
「光一の気持ち、英二は知ってて。なのに英二、俺のことばかり言って…嫌じゃないのかな、って、」
こんなこと言うのも変かもしれない、烏滸がましいかもしれない。
光一と英二のことは2人の問題、だから周太には意見する権利なんて勿論ないと解かっている。
それなのに英二を怒っている自分は、傲慢にも思えて。そんな想いに溜息を吐いた隣から、透明なテノールが笑ってくれた。
「あいつを大好きだよ、そして君のことも大好きだ。大好きなヤツが、大好きな人のこと話して、幸せに笑ってるんだ。眼福だね、」
どうして光一は、こんなに無欲なの?
こんなに無垢な人がいることが不思議で、愛しくて、まぶしい。
そして嬉しい、こんな人だからこそ大切な婚約者を任せていける。この優しい信頼に周太は微笑んだ。
「ん、ありがとう、光一。俺も光一のこと、大好きだよ?」
「うれしいね、そう言ってくれるの、」
底抜けに明るい目が幸せに笑んでくれる。
この人の笑顔も自分は護りたい、そんな想い微笑んだ時、逆隣から長い腕に抱え込まれた。
「周太?俺のことも大好き、って言って?」
白皙の頬よせて、綺麗な低い声で英二がねだってくれる。
こんなふうに言われたら嬉しい。けれど同期の前で恥ずかしい、それに少しだけ今、怒ってる。
そんな想いについ、素っ気ない声が出た。
「しらない、今は言いたくないの。後にして、」
「え…周太?」
ほら、きれいな切長い目が困りだす。
こんな貌は本当は弱い、笑いかけて「大好きだよ、」と言ってしまいたい。
けれど今は少し、色々と腹が立ってしまって、周太は体ごと光一の方を向いてしまった。
「光一、これ美味しいね?光一の畑で採れたの?」
「プチトマト旨いだろ?まだハウスだけどさ、夏になったら露地物を食べさせてあげるからね。もっと旨いよ、」
夏になったら。
この言葉の意味を光一は、解かって遣ってくれる。
夏になったら、秋になったら?それでも昼間の約束のままに「ずっと離れない」と言ってくれる。
この言葉を贈る想いが嬉しくて、素直に周太は微笑んだ。
「ん、食べさせてね?楽しみにしてるね、」
またひとつ「先」の約束を、大切な人と結ぶ。
こうして大切な約束を結んだら、きっと無事に帰ってくる意志が強靭になっていく。
そうして心も体も無事に「あの場所」から戻れる、そう信じていたい。
…信じていたい、なにより英二の為に
そっと心つぶやく想いに、肩越し振り仰いでみる。
見上げた先、白皙の貌が困った顔のまま寂しげに、こっちを見ていて驚いた。
「…英二?ずっとそうして見ていたの?」
「うん、」
素直に頷いた顔が何だか、実家の近所のゴールデンレトリバーを思い出させてしまう。
美犬で有名な5歳オスの大型犬、いつも大好きなご主人様を待っている。
その顔は少し寂しげで、けれど帰りを待ちわびる期待と喜びが可愛い。
そして英二の顔も「待っていました、ご主人さま」と言っている。
…英二、ほんとうに恋の奴隷?
心に零れた言葉に、困ってしまう。
こんなふうじゃ本当に「いつか」離れる時はどうなるの?
そんな不安に熱が瞳の奥に昇りかけて、ひとつ瞬くと周太は微笑んだ。
「英二、これ美味しいよ?ひとくち食べる?」
「うん。周太、食べさせて?」
笑いかけて差し出した串焼きに、綺麗な笑顔が幸せに咲いてくれる。
でも「食べさせて?」は恥ずかしいな?すこし困ったとき不意に、青いウェアの腕が伸びて周太の串焼きを取ってしまった。
「うん、確かに旨いね。いちばん良い焼き具合のだったね、周太、」
悪戯っ子の笑顔が愉快に英二を見、薄紅のきれいな唇はさっさと全部食べてしまった。
ずいぶん光一は食べるのが速いな?感心してみている隣から、英二が抗議の声をあげた。
「光一?それ、俺が貰ったのに勝手に食うなよ、」
「あ、ごめんね?焼き加減を確かめたくってさ。ほら、こっちやるよ。焼きたて熱々、」
「そうじゃなくって、俺は周太のが欲しかったのに、」
「なに、間接キス狙いってワケ?おまえ、食ってる時までエロかよ?嫌だね、盛ってるオトコって、」
また始まってしまった。
皆の前で困ってしまう、どうしよう?
もう放っておくしかないだろう、でも放っておくとまた、とんでもない話を始めるかもしれない?
あまり変なことを言わないでほしいな?本当に困りながらも周太は、瀬尾に話しかけた。
「瀬尾、今週末は彼女さんと逢わなくて、大丈夫だったの?」
「大丈夫、ちょうど彼女も旅行なんだ。といっても、大学のゼミの合宿だけどね。来週は逢えるし、」
話す貌が幸せそうで、こっちも嬉しくなってくる。
本当に彼女のことが好きなんだな、嬉しい気持ち微笑んで周太は尋ねた。
「彼女さんが卒業したら結婚する、って前に言ってたよね?…この先のこと、彼女さんは何て言ってるの?」
瀬尾の5年後に控える進路変更を、彼女はどう思ったのだろう?
それが心配で訊いてみた周太に、優しいバリトンボイスは答えてくれた。
「うん、ずっと一緒にいてくれるって。俺ね、実は、ちゃんとプロポーズしたんだ、」
そうなんだ?
驚いて目が大きくなってしまう。
けれど周りはもっと驚いたように、一斉に瀬尾を見た。
「プロポーズって、なんだよそれ、話せよ、瀬尾、」
「へえ?瀬尾、修学旅行で言ってた話の続き、ってこと?すげえ、もう結婚すんの?瀬尾、」
「ふうん、瀬尾くんって大人しそうなのに、ヤルことヤるんだね?甲斐性あるね、」
「瀬尾もそうなんだ?だから俺のこと、気づいたんだな、」
4人が四様の反応に、瀬尾の周りを囲んでいる。
やっぱり「プロポーズ」とか「結婚」なんて話は、自分たち23歳には重大事件だろう。
そんな重大事にさらり笑って、瀬尾は答えてくれた。
「叔父が1月に亡くなってね、葬式の翌日に海に行ったんだ。叔父が大好きな場所だから、そこの水をお墓に灌いであげたくて。
そのとき彼女も付いて来てくれたんだ。雪も降って寒い日だったのに、一緒に海を歩いてくれて。その時に、きちんと話したんだ、」
微笑んで瀬尾は缶に口付けて、ひとくち飲みこんだ。
どこか悠然とした大人の雰囲気がカッコいいな?そう見ていると関根が瀬尾に尋ねた。
「どんなふうに話した?」
「うん、もう大人になったから、結婚相手は自分で選ぼう、って言ったんだ、」
優しいバリトンボイスが笑って、穏やかに答えてくれた。
「俺が7歳になる春に婚約したんだよ、俺たち。まだ彼女は5歳だった。そのまま17年間、お互いに許嫁なのが当然だったんだ。
だけど、あれから俺の状況も変わったし。本当に俺と結婚していいのかどうか、きちんと彼女自身に考えてほしいって言ったんだよ。
俺ね、本当に彼女が好きなんだ。だから後悔してほしくないし、幸せになってほしい。それで婚約解消しても良い、って言ったんだ、」
大好きな人の幸せを願って、離れる覚悟をする。
その気持ちは自分にも解ってしまう、つい今しがたも心に想ったばかり。
この覚悟は瀬尾にとって、きっと辛くて重かった。だって瀬尾は違う進路に立つことを決めた時だったから。
…ほんとうなら、いちばん傍にいてほしいよね、そういう時は。でも瀬尾は、彼女の幸せだけを考えて
きっと瀬尾にとって一番辛い時だったはず、叔父の葬儀の翌朝は。
叔父の急死によって瀬尾は、自分が夢見て努力した警察官の道を捨てざるを得なくなった。
それが決定された翌朝に、いちばん傍で支えてほしい相手に瀬尾は、自由を贈ったと言っている。
どうして瀬尾はそんなに靭いのだろう?
この友人への敬意を見つめる向う、藤岡が笑った。
「でも彼女、婚約解消しなかったんだよな?」
「うん、ずっと一緒にいる、って言ってくれた。約束を守ってね、って言ってね、」
頷いて瀬尾は答えてくれる。
そして少年のまま透きとおるバリトンボイスが、幸せに微笑んだ。
「好きな人と一緒なら苦労も幸せに出来る、ってね、彼女は言ってくれたよ。お嫁さんにして下さい、ってね、」
…好きな人と一緒なら、苦労も幸せに出来る
彼女の言葉が心にふれて、そっと温かい。
いつか自分も、そんなふうに英二に言えたら良いな?そう思わされるほど、彼女の言葉は幸せだ。
こんなふうに言ってくれる許嫁がいる瀬尾は、幸せだ。
「おめでとう、瀬尾。ほんとうに良かったね、」
「うん、ありがとう、」
優しい笑顔が幸せに咲いて、焚火の灯りに輝いた。
こんな笑顔が見られて嬉しいな?嬉しく微笑んだ視界の先で、関根が瀬尾へと羽交い絞めに抱きついた。
「なんだよ、瀬尾?すっげえ幸せじゃないか、おまえ?ちっくしょう、うれしいよ俺、なんだよっ、」
大きな手で瀬尾の髪をぐしゃぐしゃにして、関根が笑っている。
関根が喜ぶ理由が自分には解る、関根も瀬尾の「5年後」を知っているから、尚更に嬉しいだろう。
嬉しい気持ちで見ている向こう、羽交い絞めのまま瀬尾も声をあげて笑った。
「あははっ、ありがとう、俺、幸せだよ?関根くんも頑張んなね、」
笑いながら瀬尾は腕を伸ばして、関根の髪をぐしゃぐしゃに仕返した。
そんな友達に快活な瞳は大らかに笑んで、嬉しそうに関根は言い返した。
「あんだよ瀬尾、てめえ、えらっそうに?でも俺も頑張るよ、くっそー、」
「うん、せいぜい頑張んなね、ぬるーく見守ってあげるよ、」
快活な笑顔と優しい笑顔が笑い合って、ぼさぼさの髪同士ふざけている。
この2人は正反対だけど、やっぱり似ているな?なんだか楽しい気持ちで見ていると、笑いながら藤岡が訊いた。
「おめでとう、瀬尾。で、なに関根?頑張る相手が出来たわけ?」
「あー…そのへんは宮田に訊いて?」
照れくさげに自答は避けて、関根は英二に話をぶん投げた。
投げられた英二は藤岡の視線ごと受け留めて、答えと穏やかに微笑んだ。
「関根はね、俺の姉ちゃんと付合ってるんだ、」
答えに、人の好い笑顔が「きょとん」とした。
いま何て言われたのだろう?そう首傾げて一拍置くと、ぽかんと藤岡の口が開いた。
「え、なにそれ?」
確かに「なにそれ」って想うだろうな?
そんな納得をしている裡に座り直した関根が、ボサボサ頭を気恥ずかしげに掻いた。
「いや、だからさ?俺がひと目惚れした相手が、宮田のお姉さんだったってこと。で、俺、おつき合いさせてもらってんの、」
「はあ?!」
やっぱり驚くよね?
そんな偶然があるなんて、普通は思わないだろう。
だから逆に言えば関根と英理も「運命の出逢い」なのかな、と思ってしまう。
そんなことを考えている向かい側で、驚いた顔のまんま藤岡が関根に笑った。
「へえ、驚いたなあ。関根、写メとか無いの?宮田の姉ちゃんなら美人だろ、見せろよ、」
「写メとか無理、そんなの撮らせてとか言えねえよ、俺、」
「へえ、おまえって純情だよなあ?宮田は写メ、ないの?」
「ごめん、無いよ。自分の姉の写メとか、あんまり撮らないだろ?」
訊かれた英二が答えと笑っている。
きょうだい、ってそういうものなのかな?考えていると瀬尾が笑って輪に加わった。
「あれ?関根くん、写メも無いんだ?」
「なんだよ瀬尾、てめえは写メ持ってるからって、勝組みかよ?」
「うん、そうだよ?ごめんね、悔しかったら写メ、撮ってきなよ、」
優しい笑顔で瀬尾は、意外と辛口なことを言う。
こういうとこ瀬尾って面白いな?そんなこと想っている片隅で、ふと周太は思い出した。
…あ、先週、デートの服を訊いてくれた時の、
携帯を開いて受信ボックスを開くと、日付を遡っていく。
そして目当てのメールを見つけて、周太は微笑んだ。
「あ、やっぱりあった、」
「うん?」
周太の独り言に気付いて、光一が横からのぞきこんだ。
映しだされる画面を見ると、からり笑ってテノールが周太に訊いてくれた。
「へえ、可愛いね。この写メ、宮田の姉さんだろ?どうして周太の携帯に入ってるワケ?」
「ん…デートに着ていく服を選んで、ってメールくれてね?そのとき添付されてたの、」
正直に答えた周太の声に、関根が画面をのぞきこんだ。
画面ではミントグリーンのワンピースを着た英理が、上品な華やぎと微笑んでいる。
眺めた画面に関根の頬が染まっていく、そして快活な声は気恥ずかしそうに頼みこんだ。
「あのさ…なあ、湯原?この写メ、俺に送ってくんない…?」
その気持ちは解かるな?
けれど関根と英理の為に周太は、遠慮がちに断った。
「そうしてあげたいけど…勝手には、お姉さんに悪いなって思うけど、」
「だよなあ?悪りい、今の発言、忘れてくれ、ごめん、」
残念そうに、けれど潔く関根は諦めた。
そんな会話を横から訊いて、ひょい、と藤岡が覗きこんだ。
「これ、宮田の姉ちゃん?」
「ん、そうだよ?」
素直に答えた周太の、手許の携帯を見ながら人の好い顔が目を丸くしている。
とても驚いたような顔でいるけれど、どうしたのだろう?
不思議で見ていると、藤岡は視線を英二に向けて、言った。
「やっぱり美形の姉ちゃんって、美女なんだなあ?関根、瀬尾が言う通りさ、ちょっと頑張った方が良いよ?」
なんだか関根は「頑張れ」ばっかり言われているな?
そんな感想もなんだか可笑しくって、楽しい。
こんな他愛もない話が出来る友達が、自分にもいてくれる。
そして隣には大切な幼馴染と、大切な婚約者が一緒に笑って時を過ごす。この「今」は心から幸せで、温かい。
この「今」も、きっと永遠の記憶になる。
ふっと気配に瞳が開く。
眠りに落ちる瞬間を抱いてくれた腕は、名残の体温だけで消えている。
そっと見まわした山小屋の薄闇に一筋、かすかな光が細く目に映りこむ。
静かに起きあがり光を見つめると、2つの長身の影が扉近くに立っていた。
…英二と光一?どうしたのかな、
不思議で首傾げかけた時、小屋の外に気配が動いた。
誰かが、この小屋の外にいる?そう気づいた途端、脳裏に言葉が閃いた。
―…埼玉県警でもまだ、犯人は捕まっていないんだ…夕方や明け方に襲われるケースが多いんだよね
この今は明け方、ならば小屋の外に誰がいるのか?
考えられる可能性は犯人か被害者、もし被害者なら怪我を負わされている可能性が大きい。
そして、もし犯人なら?
…あくまで代用、なんだけど
そっと登山ウェアの懐に手を入れると、内ポケットからエアガンを引きだした。
これは学生時代に練習用として使っていた、けれど人に向ければ怪我にもなる。
万が一の護身には使えると思って、念のために持って来た。
でも、出来れば人には向けたくない。
がたん、
扉の外で物音が立って、扉近くの2人は顔見合わせ頷きあった。
その雰囲気は「犯人ではない」という空気がある、それなら怪我人かもしれない?
そっと息を殺して身をかがめながら見つめる向う、小屋の扉が開かれた。
「…っ、」
遠目に見た扉向うには、血まみれの人間が蹲っている。
…怪我してる!
心の叫びと同時にエアガンを懐へ戻し、英二のザックを開いた。
すぐに救急道具ケースは見つかって、ヘッドライトと携えると周太は音も無く扉口へと駆け寄った。
そして2人の傍に立ったとき、ちょうど英二がふり向いた。
「…、」
いつのまに背後にいたのだろう?
そう切長い目が驚いて見つめてくる、その目を見つめて周太は救急道具とライトを差し出した。
「手伝う、指示出して、」
「ありがとう、」
ほっと切長い目が微笑んで、礼を言ってくれる、その白皙の掌には拳銃が握られていた。
そのまま英二は衿元を開き、ショルダーホルスターへ拳銃を戻すと登山ジャケットのファスナーを閉じこんだ。
そして周太の手から一式を受けとってくれながら、優しい笑顔で言ってくれた。
「周太、ツェルトを持ってきてくれ。保温する、」
「はい、」
すぐ返事して小屋の中へ戻る周太を、すこしの緊張が鼓動を叩く。
あの救急法と鑑識のファイルが今、現場で生かす時になる。
…あのファイルで今、英二の手伝いが出来る、
こんなふうに英二と共に現場に立って、手伝えるなんて思っていなかった。
けれど本当は、ずっとそうしてみたかった。
その願いが、今、叶う。
(to be continued)
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