紅葉ももう見納めかなと思いながら大里公園にでかけました。
まだ奥の方はグラデーションがかかってきれいでした。
まだ奥の方はグラデーションがかかってきれいでした。
戸ノ上山 名前の由来は、山裾の大里の漁民が海中で光る玉を見つけ、引き揚げて浜の松の根元に置いていたところ、神のお告げがあったので枝折戸(しおりど) の上に、その玉を載せ山頂に祀ったことから呼ばれるようになったと云われています。現在、山頂には、戸ノ上神社の上宮があります。また、この山は山伏修行の行場となっていました。 地質は、古生代の弱い変成岩が主体となっています。また、山頂は老杉に覆われており、企救山系では一番高い山です。(海抜521米) |
戸の上山は弘法大師=空海(773-835年)が海峡通過の再、山頂に霊感を感じ、山の分け入り、 7日7夜、お経を唱えたと言われる山。 由来の満隆寺の跡が 戸の上神社構内にあります。 |
木鶏とは荘子の中のお話です。
紀省子(きせいし)という闘鶏を育てる名人が、王様がもっていた一羽のすぐれた鶏を鍛えていた。
王様というものは、もともとせっかちである。
十日もたたぬうちに「もうぼつぼつ蹴合わせてもいいのではないか」とせっつくと、紀省子は、「まだ、いけません。
ちょうど空元氣の最中です」と断った。
そう言われては「無理に」とも言えぬので、やむなくすっこんだ王様は、それから十日たつと、もうじりじりしてきて、「どうじゃ」と催促する。
だが紀省子は「相手を見ると、すぐ興奮するのでいけません」ととりつくしまもない。
それから十日待たされた王様は「いくら何でも、もうええじゃろう」と紀省子の尻をたたくと、「まだ、いけません。かなり自信はできたのですが、どうも相手に対して、何がこやつ!と嵩(かさ)にかかるところがあります。」
不精不精、あきらめた王様に、それから十日たって、やっと名人はオーケーを与えた。
「もう、ぼつぼつよろしいでしょう。相手が挑戦してきても、いっこうに平氣でちょっと見ると木鶏のごとく、その徳が完成しています。これからは、どんな敵が現れても戦う前にしっぽをまいて退却することでしょう」
残念ながら、日本ではヨーロッパに位置するオーストリアと南半球のオーストラリアが混同され続けております。
この問題に対し、大使館では過去の文献などを参照し検討を行った結果、Österreichの日本語表音表記を 「オーストリー」 と変更する旨、ご連絡差し上げます。
暫くの間はオーストリアとの併記が行われますが、徐々に「オーストリー」の名前は日本の皆様の間に浸透し、定着していくことと存じます。
皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。