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第八位 -漢の武帝-

2006年04月11日 21時49分24秒 | 世界@名無史楽家
 第八位は、(西)漢の武帝、劉徹です。
 西漢と言うのは、日本の歴史教科書では、所謂”前漢”と呼ばれて居た時代です。
まぁ普通に漢と言った方が語感が良いので、以後は漢とします。
 劉徹は、この帝国の最盛期(最大版図)を作り出した皇帝で、
その遺業から、太陽王と呼ばれたりもして居ます。(何処かのサッカーチームみたいだ)

 劉徹は、初代皇帝で有る高祖劉邦(4位にランクイン)の曾孫に当たります。
 漢は天下統一後は、暫らくは動乱の影響や、周辺諸侯の反発等で、国内が不安定でした。
 そこへ北方騎馬民族帝国の匈奴に圧迫され、海外との派遣争いよりも、
国内の安定を重視した為、初期は匈奴へ貢物を送り、対外的な平和を維持しました。
その後、文帝・景帝と、国力増強と、国内安定に努め、
劉徹が即位する頃には、有力な諸侯を滅ぼして安定し、平和で国内も生産力増加して、
国力が充実した時代でした。
 そんな中、劉徹は若干十代の若さで即位すると、
その若さを生かす様に、自らの代では対外的に反転攻勢に移る様に、
政策を転換させました。

 有能な部下、衛青や霍去病を登用して匈奴を討伐させたり、
李広利に西方の大宛(フォルガナ)に遠征に行かせたり、
張騫に大月氏国と同盟させる為に、西方へ使いを送り、
西域諸国の状況を探らせました。
 こうして、周辺諸国に次々に遠征させ、領土を拡大して、
文字通り、亜細亜の超大国としての地位を磐石にしました。
 これに因り、東は朝鮮半島の殆どを有し、
西は西域都護を置き、西域全域に影響力を示し、
北は蒙古高原に影響力を発揮し、南はヴェトナムまでを領しました。

 また内政的には、儒教を国教として、道徳を国内に広め、
人心の安定を図りました。

 その即位年数でも、中国歴代皇帝の中でも有数の長さを誇り、
永きに渡って朝廷に君臨しました。

 この様な実績を残したので、ランクインです。
しかし順位がそんなに上位で無いのは、やはり前代からの遺産で事業を開始している事と、
余りにも長期の政権だった為に、晩年は老害の為に失政を犯した事。
特に軍事大国としては遺業を達成しましたが、その分軍事費に相当の予算を占める様に成り、
その予算を捻出する為に、増税に継ぐ増税で、庶民の生活面と言う意味では、
決して良い時代では無かったと言えるかも知れません。
 そう言う意味で、この順位に落ち着きました。

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