快読日記

日々の読書記録

「木瓜の花」有吉佐和子

2014年05月22日 | 日本の小説
※ 作品の内容を予想させる表現があります。


《5/20読了 新潮文庫 1981年刊 【日本の小説】 ありよし・さわこ(1931~1984)》

「芝桜」では、世知に長けた蔦代の底知れなさ、彼女の年齢の謎、その戦争観・生命観など、身近にいたらいやだなあ、でもこういう人いるかもなあ、というかんじだったけど、今回は受ける印象が違いました。
描かれ方が変わったのか、蔦代自身の変化なのか。
正子と蔦代の腐れ縁に、読んでる側も慣れてくるからおもしろいですね。
蔦代って正子より先に死ぬ気がします。
あまり未練もなく、あっさりこの世とおさらばするタイプかなあと。


ストーリーに繰り返し織り込まれる日本髪を結っていた時代の女性の禿の話や木瓜の盆栽の話もおもしろかった。
蔦代の信心深さや植物への愛は、裏を返せば人嫌い・人間不信の表れです。
食えない女だけど、なんだか哀愁がただよいます。
結局のところ蔦代の文盲は本当だったのか、蔦代の正確な年齢はいくつなのか、蔦代と母親との関係もなんだかおかしい。
いくつかの疑問が放置されたまま終わります。
だけど、実はこれこそがリアルなのかもしれません。
人生って、答えが出ないまま終わっちゃうもなのでしょう、たぶん。


正子が時代の変化や日本語の乱れに戸惑ったりイライラしたりするところや、山田一子と蔦代のキレのいい会話、正子の過去の男が勢ぞろいする妙な愛嬌のある終わり方も印象的でした。

“年月は人を変える”
“人は年月では変わらない”
矛盾して聞こえますが、どちらも真実だ、という話だと思いました。

「若いときは、この人も未熟だったのだ。若い頃は今の十倍も美しかったけれど、彼は今その頃の十倍も優れた人間に成長している」(377p)

「時がたちますと何もかも有りがたいものに変わってしまいます」(378p)

/「木瓜の花」有吉佐和子