快読日記

日々の読書記録

「霊能者として生まれて生きて」宜保愛子

2014年05月28日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
《5/26読了 講談社文庫 1992年刊(単行本/講談社1991年刊) 【手記】 ぎぼ・あいこ(1932~2003)》

目次「第七章 有名人を霊視する」の項の「派手派手な人-戸川昌子」や「陽気なギニア人-オスマン・サンコン」という霊能者じゃなくてもわかる見出しに衝撃を受け、気づいたときには購入してました(ブックオフで100円だった)。
たぶん本人の手による手記(インタビューを編集者がまとめたものではなさそう)です。

ものごころがつく前から、“この家は火事になる”とか“ここんちのおじさんが死ぬ”とか予言して気持ち悪がられた、という“霊能者あるある”から始まり、成長、結婚、彼女の「霊視」 の話で幕を閉じます。

「「ねえ、愛子ちゃん、うちのおじさん、どこへ行ってしまったのか見てくれないかしら」
(略)
「おばさんちのおじさんはね、今女の人と一緒にいるよ。何だか知らないけど、とても仲良くしているから、早く行った方がいいと思う」
(略)
「玄関が狭くて暗い家で、上がると右にカレンダーがたてかけてある、黒い茶ダンスの家、そこにいるんだよ。でも、おじさんと浮気している人はおばさんと目がとてもよく似ているよ」
と言ったとたん、そのおばさんは、
「あっ、私の妹だ」
と言いながら、涙を浮かべて急いで出て行きました」(172p)

霊との対話を続けた21歳のとき、激しい悪寒と高熱におそわれ、臨死体験のようなものがあったあと、しばらく霊能力が消えた、という経験もあるそうです。

特に何か目新しいことや驚くことはないけど、高橋三千綱の解説にもあるように、その人柄のよさは伝わります。
昔、テレビで彼女が欧米人と英語でバンバン会話しているのを見た記憶があって、ひょっとして留学経験でもあるのか?と思っていたのですが、そこらへんは空振りでした。
男兄弟の話はともかく、全く交流がない姉妹というのも気になります。
まだまだ謎だらけの人です。

その「霊視」の真偽はわかりませんが、細木数子のように人を脅したり追いつめたりしない、普通の人の感覚を持った姿に当時から好感を抱いていて、そのイメージは変わりませんでした。
生きている人間同士の間には“共感”ってありますよね、宜保愛子は相手の生死に関わらず、この“共感”する力が高い人なんだと思いました。

「(略)宜保さんは、いったい何によって救われていくのだろうと考えていた。
誰がこの人を、霊界と現世の仲介役を果たして疲れきっているこの人を、救ってあげるのだろうかと」(245p 解説より)

/「霊能者として生まれて生きて」宜保愛子