十勝の活性化を考える会

     
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アイヌ系日本人

2021-05-29 05:00:00 | 投稿

日本には残念ながら、同じ日本人である “アイヌ系日本人に対する差別が、まだ存在しています。アイヌ系日本人とは、北海道登別市に生まれ一高(現在の東京大学)を卒業したアイヌの天才青年“知里真志保”が初めて使った言葉で、東大名誉教授 江上波夫氏も、著書”アイヌと古代日本”で使っています。

アイヌと聞くと、昔、北海道の大自然の中で自然と共生し、平和でエコロジカルな生活を送っていた民族というのが一般的ですが、これは歴史的事実と少し異なっています。 例えば、中国の元王朝時代、樺太アイヌが現在の沿海州地方に出兵し、元王朝と戦争していたのです。その理由は、元(モンゴル帝国)が当時珍重されていた毛皮などの品々をアイヌから調達するために、お互いが争ったのです。

江上氏によれば、アイヌは縄文の伝統を色濃く残す民族で、本州で弥生文化が定着したあとにも従来の縄文の伝統を守り続け、弥生人に同化しなかった人々、それが蝦夷(エミシ)ということになります。そしてエゾになり、江戸時代のアイヌになったのです。だから、エミシと呼ばれた人々は、北海道や東北だけでなく広く関東地方の以北に住んでいました。

また、司馬遼太郎氏は著書街道をゆく(オホーツク街道)を読むと、日本列島に住んでいたみんなが縄文人=蝦夷(エミシ)であり、そのDNAを持っているアイヌは、縄文人の文化を守り続けた人々の後裔であると書いています。

群馬県と栃木県の一帯は、古代に毛野国と呼ばれていましたが、一説ではその毛野国は、毛人=蝦夷(エミシ)の住む地域のことをさすと言われており、東国(あずまのくに)は実は、エミシと呼ばれた人々の住む国だったのです。 私たちは、知らないことがたくさんあり、アイヌ系日本人の歴史やアイヌ文化等についても広く学び、理解を深めなければいけないと思います。

エミシは、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属などを拒否した集団で、統一した政治勢力とはなりませんでした。積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと言われていますが、次第に影響力を増大させていった大和朝廷により征服・吸収されていきました。なお、和人とは江戸時代から使われ始めた言葉です。一方、アイヌという「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、本州の人々とアイヌとの交易が増加した17世紀末から18世紀初めの時期といわれています。アイヌには北海道アイヌ、千島アイヌ、樺太アイヌ、東北アイヌなど、地域の文化の違いなどによって様々なアイヌがいます。

アイヌは人間という意味で、民族名でもあるアイヌですが、差別の目を避けるために、一時はウタリ(同胞)へと変えざるを得ませんでした。北海道アイヌ協会も、1961年(昭和36年)に“ウタリ協会”と改称し、2009年(平成21年)に再度、前の名称に戻りました。いま再びアイヌの名がよみがえったのです。

また、「北海道旧土人保護法」は、1899年(明治32)に北海道アイヌを「保護」する目的で制定された法律でしたが、逆にアイヌの差別を生むことになりました。アイヌは土人、即ち土着の人のことも言い、逆にアイヌからは和人のことを、シサムあるいはシャモと呼ばれていました。

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