釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

『富岡製紙工場』と女工哀史

2014-06-22 13:57:43 | その他の雑談
私は此の国の現・近代史に全く疎いものだが、何で知ったのか分からないのだが、富岡製紙工場と言えば直ちに女工哀史とい文字が私の頭の中では直ちに関連用語のようになって連想されてくる。

おそらく其れは昔そのような映画があって私は其れを観たからだろうか。

今や其の映画の存在自体も曖昧だが、私の記憶の底に沈殿している『富岡製紙工場と女工哀』というイメージは決して明朗なものではなく、或る重苦しい雰囲気がまとわりついている。
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当地の今朝の新聞の第一面に富岡製紙工場が世界遺産に登録されたことが書かれていた。その登録理由として『日本を近代工業国に導いた意義を高く評価した、云々』とあった。

世界遺産が如何にして決められるか私は其れも無知だが、私は此の記事をみたとき、イヤな気分が・・・丁度、腹がもたれたような気分が・・・した。上に書いたように富岡製紙工場という語彙は私の中では決して快い響きをもっていないからだ。

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『金の卵』という語彙も昔あった。

その語彙も私には『富岡製紙工場』同様に明朗な気分に決してさせてくれない。
私の心の片隅では、其れらの語彙は或る重苦しい雰囲気がまとわりついている。 

其れは観た(かも知れない)映画の故かどうか自分でも判然としない。



妄想に憑り付かれる人々』(リー・ベア著、渡辺由佳里訳、日経BP社)

2014-06-11 07:52:26 | 本の感想
2005年12月1日、日光市の小学校から下校中の少女(当時7歳)が行方不明になった。
彼女は通学路の三叉路で下校途中の同級生3人と別れ後に行方不明となった。
これは私の住む県内の事件であったので、当時、TVで詳しく報道されたから私はよく覚えている。

行方不明になった少女が同級生から分かれた三叉路が何度も映像で紹介された。
この三叉路が、いかにも野村綺堂の怪談集にでも出てきそうな、昼でも薄暗そうな人気のない陰気な林の中にあったから、余計、私は印象深く覚えていた。

野村綺堂の怪談集『影を踏まれた女』にも行方不不明になる少女が登場する。
どういうわけか、神隠しにでもなるような存在は少女が多い。F.フェリーニの『悪魔の首飾り』でも「悪魔」は少女であったし、その他怪異譚に登場するのも少女が多いように思う。
だから私は此の事件は或る不気味さを感じていた。神隠し? まさか。

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しかし『今市事件』と称される此の事件の現実は以下のように展開した。
行方不明から約23時間後、約60キロ離れた茨木県にあるヒノキ林内の斜面で遺体が発見された。
その後、県警の捜査が続けられたが、別件で逮捕されていた或る男(現在32歳)が今月3日、この少女殺害の関与を自供した。
当地の新聞報道によれば此の容疑者は小学生のとき来日したが馴染めず「引きこもり」だったという。
私は此のような事件について全く無知な者だが、概して殺人容疑者ないし犯人は「普通の人」が多いように思う。新聞報道を読む限りにおいて、此の事件の容疑者も殺人に至る極めて特殊な外部乃至社会状況があるようには思えない。むしろ「普通の人」故に陥りやすい行為と言えるのかもしれない。

つまり、我々誰にでも陥る可能性のある事件ではないだろうか。
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人間ならば誰でも多少なりとも持っている心の闇。
たまたま私や貴方が此のような容疑者にならなかったのは、あるいは偶然と言えるかも知れない。
このような『人間の心の闇』について書かれた本がある。掲題の本がそれだが此れは以前紹介した本だが良書だと思うので再び紹介しよう。

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この本は、精神病理の素人向けに書かれた本だ。
著者はハーバード大学心理学の脅迫性妄想の専門医で、臨床経験も豊富なようで、本書では症例の具体例を挙げて其れを丁寧に説明している。

この本で著者は『妄想に取り憑かれる』とはどういうことかを、E.A.ポーの短篇『天の邪鬼』を引用して説明している。 このポーの説明が最も完璧にして優雅な表現だと、著者は言う。

そのポーの説明を簡単に説明すると以下のようになるという。

『人間には生得的に相矛盾する行動をとらせるモノが内在しており、 それを「 天の邪鬼 」とでも呼んでおこう。 そいつのせいによって人間の或る特定の精神が在る特定の状況におかれたとき其の人間の不合理な行動への衝動は抗いがたいものになる。』

ここで上記の事件にもどると、彼の『不合理な行動への衝動』は少女殺害ということなる。但し未だ容疑者段階だが。

この天の邪鬼に取り憑かれると『脅迫性障害』という病名がつく状態となるそうだ。

人間は誰しも此の天の邪鬼は極くありふれたものとして自身に内在していると著者はいう。
『決してしてはならないことをしてしまう、おぞましい想念』が此の『天邪鬼』の正体であり其れは多少なりとも誰もが持っている、というのだ。

多くの人にとって其れは『シャクのタネ』程度ですみ無くなっていく。

ところが或る種の人々には其の天の邪鬼は凶悪化し其の人々を苦悩させ自身を破滅へと導く。  
『決してしてはならないことをしてしまう衝動』の対象は自身だけではない。他人にも及ぶ。 わが子にも及ぶ。 ホロコーストから児童虐待など其の例は山ほどあるのだろう。
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『決してするな』と言われたら、いや言われたればこそ、してしまう人間の心の闇は
謡曲『黒塚』等の主題でありポーの『天邪鬼』説をまつまでもないことかも知れない。

そして此の本によれば、興味深いというより怖ろしいことに、此の『おぞましい想念』は人類の遺伝子に組み込まれており、そのような想念をもつ理由を進化論で説明できるという。

(この本のP94~参照)。
人類に植え込まれた攻撃的で性的な衝動は、他のほ乳類と共通する下位の脳で管理されている。

この管理は脳の眼窩前頭皮質( つまり目の穴の上に乗り、大きなおでこの裏の部分の脳 )によってなされる。この皮質の役割は下位の脳が作り出した思考や衝動を行動に移すかどうかを決める。

要するに、私たちにとって重要なことは『天邪鬼』は誰にでもいる、ということ。
すなわち、私たちは『決してしてはならない、不合理な行動への衝動』は私たち自身に実は内在している、ということだ。 例えば児童虐待は決して他人ごとではなく、状況によっては貴方自身が行ってしまうかも知れないということだ。

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以上、上記については、この本の解説において私の誤解があるかも知れない。
興味あるかたは本書を読んでください。

放散虫の分裂のアニメ

2014-06-11 07:18:00 | 絵遊び
私はBASIC/98を使用した画像作りを今まで楽しんできた。
このブログにも其の画像を掲載してきし、フォト・チャンネルの画像も其の遊びの「成果」だ。

そもそもBASIC/98は此のような遊びに適してしていないプログラム言語で私は在職中覚えさせられた。

せっかく覚えたものだから私のお遊びに使うことにした。

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このブログは釋超空の歌の我が迷想から始まったが大分脱線してきた。

今回も大脱線である。

以下説明抜きに面白い・・・というのは私だけだろうが・・・アニメを紹介しよう。

Z^2+0.5 という名の放散虫が Z^2+0.5 という名の放散虫へと分裂・変貌する様子を示したアニメである。勿論、自作である。

ここをクリックしてみて→Z^2+0.5→Z^3+0.5


5秒程度のものだが此れから何を連想するかは見た人の自由だ。

雑談:フライ・フィッシングと私の絵遊び

2014-05-24 14:38:33 | その他の雑談
キャッチ アンド リリース という言葉を日本に紹介したのは開口健だと思ったが私の勘違いかも知れない。

私がもし不幸にも人間に生まれ変わったら究めてみたいものの一つにフライ・フィッシングがある。

食うために魚釣りするのも結構なことだが、魚と遊ぶという精神性には惹かれるものがある。

私も一時期魚釣りに凝ったことがある。もっぱら鯉や鱒釣りだったが「坊主」であることが多かった。

魚釣りは外見はノンビリしているように見えるのだが、多くの魚釣り好きな人もそうだろうが心中はイライラしているのが実態だろう。

ならばこそ、かのアイザック・ウォルトンが『釣魚大全』で「Study to be quiet」と書いたのだろうが、この言葉を開口健は「穏やかであることを学べ」と訳していた。良い言葉だと思う。

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私の絵遊びのキッカケとなった本の著者・C.A.ピックオーバーは其の著書の中で此の遊びを評して以下のように書いている。
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『私はときどき自分を釣り師になぞらえてみる。
コンピューター・プログラムとアイデアは釣り針であり、リールである。コンピューターで描きあげた絵はトロフィーであり、うまいご馳走である。

釣り師には、何が釣れるかがいつもわかっているわけではない。しかし、どこがよく釣れるか、どの流れに魚がたまっているか、などについての知識はもっているだろう。

しばしばびっくりするほどの大物が釣れるが、これこそまさに釣りの醍醐味である。しかし、保証はない。そのかわり予期しない楽しみもある。

読者もぜひ未知の釣り場で実際に糸を垂れてほしい。できれば、釣りあげた獲物を観賞し、さらにそれを解剖し、内部の構造を調べてほしい。』
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誠に正鵠を得た譬えである。この絵遊びの精神はフライ・フィッシングの其れと全く異ならない。

何事にも長続きしない悪癖を持つ私が30年間も此の遊びを続けているのも、数学の複素平面という実にピュアな「渓谷」があるからだ。

其処には実人生の騒音もないし、或る意味での孤独が沁みとおるように楽しいからだ。

(久しぶりにブライアン・イーノの「DAY OF RADIANCE」を聴きながら)

ホラホラこれが僕の骨だよ

2014-04-20 12:33:21 | 釋超空の短歌
っていうフレーズが昨夜寝ていたら突然私の頭に現れた。
なにかで見たな、と思って、朝、ネットで調べたら中也だった。

白い白い骨だよ、というフレーズもあるかと思ってたら
それは錯覚だった。

しろいぃぃぃしろいぃぃぃ花だよょょょょ

って歌と・・・そんな歌もあった気がするんだが・・・混乱したらしい。

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私が私の骨をぶらさげて、ホラホラこれが僕の骨だよ、と
だれかに見せるのも面白いな、と思う。

しかし現実はもっとタチが悪い。

火葬場の釜から引き出された砕かれた骨を私は何度か見せられてきたが、
あれは実際のところ悪い冗談だと思う。

真面目な顔して、箸でつまんで、
ホラホラ此れが***ちゃんの骨だよ・・・・

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私はなんの脈絡もなく釋超空の歌も思い出していた。
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『闇夜の 雲のうごきの静かなる 水のおもて堪えて見にけり』

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山深い土地で一泊の宿をとった作者はふと目を覚ます。
その宿の横には小さな川が流れているらしい。
その川の流れの音が低く聞こえてくる。

作者は、その川側にある窓を少し開けて外を見る。
外は暗闇だけれど、月明かりがして夜空には遠く雲が見える。
夜風は感じないのに、その雲は静かに動いているようだ。

作者は、川に目を移す。
よく見ると川面(かわも)の動きも見える。
あいかわらず、その川の音が低く聞こえてくる。

作者はその川面をいつまでも見つめている。
自身の心のうちを見つめているように・・・