釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:歳をとる、ということ。その3

2014-03-05 14:55:05 | その他の雑談
エリック・クラプトンの2001年日本公演の様子を私は録画していて、其れを此れからも私は何度も視聴するだろう、ということは既に述べた。

実は此のライブで彼が一瞬見せた表情を私は見逃がさなかった。 この何気ない一瞬の彼の表情を私は今後忘れることはないだろう。

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彼は曲の演奏が終わると、アリガトとかドーモとか呟くように言うことが、たびたびあった。

彼がイスに座って何かの歌を歌い終わったとき、例のごとくドーモと小さな声で言った。

そのとき彼は観客を見ていなかった。

ふと、うつむいてステージの床をボンヤリと一瞬見たのだった。 
そのときの彼の表情は・・・確かに或る虚脱感を表していた。

この日本公演は海外公演の最後ということだったから、彼は疲れていたのかも知れない。

しかし私は其れだけでは無いような気がする。

彼が見せた一瞬の其の虚脱表情は、恐らく、彼の内面の深いところから由来しているものだと思われる。しかし其の由来の真実を知るものは恐らく此の世で誰もいまい。

 (およそ人の真実とは決して他人には知ることの出来ぬものだ。)

彼の虚脱表情を換言すれば、彼の孤独性と言ってもよいだろう。

あの時、彼の一瞬の表情は誰も知り得ない彼の孤独性を一瞬垣間見せたのだ。

この出来事は数秒に満たなかった。エリック・クラプトン本人すら気づかなかったに違いない。

しかし、私は其れを見逃がさなかった。

『歳をとる、ということ』。

この厳然たる真実を、私は彼の其の一瞬の表情から我が身を刺されるように感じとった。

雑談:歳をとる、ということ。その2

2014-03-05 14:50:34 | その他の雑談
私は我が半生を顧みるとき、多くの人がそうであるように、音楽は『旅は道連れ』以外の何ものでもなく、時にはマーラーに傾倒することはあったものの、結局は私の耳を素通りしていった。

勿論、その音楽の幾つかは、私にとって、『世は情け』になったのは言うまでもない。

そういう私の半生の音楽体験において、ブルースとかロックとかは全く無縁であった。

今や神棚に祀られている観のあるビートルズでさえ、私は特に関心はなかった。

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ところが先日NHK・BSでエリック・ハンプトンの2001年の日本公演の様子が再放送された。私は暇つぶしに覗いて観た。そして全く意外にも感銘を受けた。

私はエリック・ハンプトンが如何なる人物で如何なる音楽者であるか全くの無知であった。

にも拘わらず、私は彼の此のライブにおいて、彼の音楽に底流する或る悲しみを私は感じた。繰り返すが此れは私にとって意外なことであった。

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枯れる、ということは恐らく日本独特の、もっと正確に云えば恐らく室町時代に確定した『美学』であろう。

枯れる、ということは日本人にとっては・・・尤も今や一部の、と付け加えたほうがよいだろうが・・・肯定的な形容詞になり得るが、他の国の人々にとっては恐らく否定的な形容詞以外のなにものでもないだろう。

私が此のライブで、エリック・ハンプトンに見たものは其の『 枯れの美学 』と称してもよい。

彼の歌や演奏から滲み出てくるものに私は彼の悲しみを感じ取った。

彼は私と一歳違いである。すでに古稀だ。
枯れて、当然だろう。

今や古い部類の日本人である私は、枯れる、ということに或る美学を感じている。

それは換言すれば実は『 悲しみ 』でもある。

ここらへんの言葉の綾を説明するのは大変難しい。

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私は古稀になって、やっとブルースとかロックという類の音楽が実は悲しみの音楽でもあるということを初めて知った。

私は、枯れたエリック・ハンプトンに心惹かれたのである。

実は昨夜もBDに録画しておいた此のライブを始めから最後まで一気に観た。

そして彼の音楽にある悲しみを更に深く感じいった。

雑談:歳をとる、ということ。

2014-02-12 15:52:13 | その他の雑談
エリック・クラプトンのライブ・コンサートの日本公演の様子が先日、NHKアーカイブで放送された。

確か2001年のライブの再放送だったと思うが、番組では此れが最後の世界ツアーで其の締めくくりとしての日本公演だとの解説していた。

(しかし、ネットで調べると2014年の日本公演も予定されているらしい。)

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実は私は彼自身も彼の音楽(ブルースやロック等)も全く無知だったが、ただ私と一歳違いらしいこともあって、また他の観る放送番組もなかったので、ちょっと覗いて観た。

私は此のテのコンサートは今迄観たことはなかったが、先ず彼の演奏スタイルが気に入ったこともあって最後まで観てしまった。

海兵隊員のような短髪で、半袖の地味な紺色Tシャツとジーンズ姿。
ありふれたスニーカーを履いた足でリズムをとる何気ない演奏姿が、いかにも年輪の積み重ねを感じさせた。

そして私が最も気に入ったのは彼の顔である。歳を重ねた、まさに男の顔であった。

ギター云々よりも私は此の男の顔の味に惹かれた。

男性にも二種類あって、歳とるほど顔に味が出てくる者と、そうでない者がある。

概して男は後者が多いが、なかにはツマラナイ顔になる者もいる。

どのように生きてきたかは男は顔に歴然と現れるものだ。

歳をとる、ということは多くの男にとって無残なことではない。

なぜなら、多くの男は其の人生の積み重ねを深い陰翳として顔に残すからである。

私は其のような顔をエリック・クラプトンの顔に見た。その顔の魅力こそ私に此のコンサートを最後まで観てしまった主要な理由であった。

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女性にとって歳をとるということは、どうであろうか? 特に顔において?


雑談:『ゼロリスクの罠』

2013-12-31 15:10:11 | 釋超空の短歌
先日、紹介したホームページの書評を読んでいる。

掲題の本のタイトルは『ゼロリスクの罠---「怖い」が判断を狂わせる』(佐藤健太郎、光文社新書)だが、此の本の書評が当該ホームページの2012/09/24付けで記載されている。
興味あるかたはご覧になるとよい。

本来は此の本自体を読むのがベストだろうが、上記の書評だけでも私には充分である。

以下の文章だけでも、私自身大いに反省すべき点が指摘されていて身に染みる。いくつか引用しよう。

・「危険」は実在するが,「安全」は実在するものではない。

・つまり,「安全」とは幻影にすぎないのだ。

・私達はどう考え,どう行動すべきかについて考察するのが本書であるが,その基本思想は「現実を知り,お伽話を排除し,無知による恐怖を取り除く」ということになると思う。

・このようにして、私たちは常に7000ベクレルの内部被爆を受けているのである。このような事実を無視して、放射能を怖がっても意味がないのである。怖がるのは正しい知識を得てからでも遅くないはずだ。

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この書評を読んだだけでも、いかに私(たち)が、己の無知により翻弄されているかが分かる。

事実、当地の新聞には当地のどこそこの放射能線量が何ベクレルかというマップ掲載されていたし、また食品の放射性物質の検査結果表が掲載されていた。

果たして、私(たち)は此の放射能汚染についても、
『お伽噺』に翻弄され無用な恐怖を煽られてはいないか?

『現実( 真の知識 )を知る』ということが如何に大切か、何よりも私(たち)自身にとって。

それを教えてくれる書評である。

雑談:実に面白いホームページの紹介

2013-12-30 15:46:01 | 釋超空の短歌
既に御存知の方もおられるかも知れぬが下記のホームページが実に面白い。

http://www.wound-treatment.jp/

作者は夏井睦(まこと)というお医者さんだが、御専門の話もさることながら、エッセー、書評、映画評論の面白さは抜群である。

ご存知ない方は是非、ご覧になると良い。

私は暫く此れを読みふけるつもりである。
PCモニターで読むのは苦手だが。