碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

ヴェトナム旅行9

2022-08-20 23:41:55 | ヴェトナム旅行

2022/08/06

この日も朝は9時近くに目が覚めた。今日は美術館に行く予定を立ていた。昨日ギャラリーのマダムに場所を教えてもらったので、グーグルマップを頼りに歩く予定です。ホテルのロビーに下りて気が付いたのですが、外の道路が濡れている。今朝は雨模様だ。北の方のサパは2日前から雨だと分かっていたので、いずれハノイも降ると覚悟はしていたが、とうとう雨になった。ホテルのななめ向かいのおばちゃんの店に走りこんで、いつもの朝食をとる。バインミーとブラックコーヒーが定番になった。そこへ物売りの婆さんが売れそうにない雑貨の籠を担いで店にやってきた。雨だから外はまわりづらいので店の中にいる人間に売りこむつもりだろうと察した。その物売りの婆さんはやおら荷物を降ろして、ワシと同じテーブルに申し訳なさそうに座った。ワシに眼をつけて売り込みにきたのだと思った。横に下ろした籠を覗けば、爪切りや、靴べらや、櫛などの雑貨を売っている。もっと売れるもがあるだろうにと思うほどだ。何を売り込むのか身構えて見ていたが、一向に何も話さない、むしろ恥ずかしそうにワシの前で体を小さくしている。すこしすると、店のおばちゃんが、プラスチックのお椀を持ってきて、彼女の前に置いた。彼女はそれを持ってテーブルに備え付けのだし汁をお椀に入れた。それで初めて彼女は食事に来たのだとわかった。そして注文の品を店のおばちゃんがもってきたのだが彼女の注文した食事は小さな生春巻き3本だけだった。それを汁にひたして、がつがつと口にはこんでいた。味わうと言うより、ただおなかに詰め込んだという感じだ。春巻きはあっという間になくなった。食べ終わって、布の袋からお金を出して店のおばちゃんに代金を払うしぐさをすると、店のおばちゃんはいらないよと、そっと手を小さくふってみせたのだ。ワシは何か大きな秘密を見てしまったような気分になった。そして物売りの婆さんに対して身構えたことが急に恥ずかしくなった。押し売りが来たと思ってしまった自分が恥ずかしかった。雨の中売り上げもなくて、貧しい食事で我慢しなければならないつらさを察することができなかった。それが恥ずかしかったのだ。頭を殴られたような思いだった。そして、心は震えていた。なぜか無性に悲しかった。彼女の年齢からいえば、若いころに米軍の爆撃から逃げ回った世代だ。親が殺され、兄弟は傷つき、家が焼かれていたかもしれない。そんな人生を背負って生きてきたのかもしれないのだ。・・ワシは一言も発することができなかった。物売りの婆さんは何もなかったように席を立つと霧雨の降る町に出て行ってしまったのでした。・・

ホテルの部屋へ一旦戻って、外出の準備をして玄関へ出ると雨はもう止んでいた。少し青空が見えるので、ほっとしていると、ホテルの女将さんが今日は雨が降るから傘を持った方がいいというので、ワシは親切に傘を用意してくれるのかと思った、ひょっとしてワシに惚れてるなと感じた。けどそうではなくて近くのコンビニに売ってるからそこで買えということだった。日本人のおもてなしとはちょっと違う。二つの美しき誤解をポシェットにつめこんで、雨に濡れた歩道を美術館まで歩き始めた。まるでフーテンの寅さん気分だ。「おいちゃん、元気にやってるかい!」と自分に言い聞かせて肩をゆすってみた。美術館への道路は大きな通りです。近づくにつれて片側には額縁屋さんが何軒も並んでいる。チェンマイも額縁屋さんが多いけど、ここほど店が集まっているところはない。バーンタワイの木工団地みたいです。店の中には額縁だけではなく画も売っている。色を付けただけのような安っぽい風景画とか動物の画とか龍の画とか花の画などです。額縁のおまけみたいなお粗末な画もあります。これならいっそ何も描かなくて素地のままくれた方がうれしい。しかし、額縁がこんなに多くつくられているのは不思議です。誰が買っていくのだろうか?なにか理由があるのだろうか。何でもかんでも額縁に入れる習慣でもあるのだろうか。画は買えないけどせめて額縁だけ買うマニアックな人がいるのかもしれない。壁に掛けた額縁を眺めてニヤニヤしていたらちょっと気持ち悪い。そんな思いで額縁屋さんの通りを歩いているうちに古い美術館の建物にたどり着いた。このお役所みたい古い建物の中には、コテコテの社会主義リアリズムの戦争画なんかあるのではないかと期待を膨らませて入ったが、展示されている作品は比較的伝統的なものが多く戦争に関係した作品は、そんなに多くはなかった。ましてコテコテの社会主義リアリズムの作品は見当たらない。民衆の姿を描いてはいるが、たまたまそれが戦争期のものだったという感じで、作者の視線はイデオロギーではなく人間個人の方に向いている。決してイデオロギーのための戦争ではないのだ。そんなあやふやなもので戦争なんかできるわけがない。やはり民族解放のための独立戦争だったと理解した方が納得できるのです。

    

 

 

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