碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

ラオス ルアンパバーンの旅8

2022-11-17 12:26:39 | ラオス旅行

2022/10/31

すでに陽は急ぐように暑さをまして、表通りを歩く人々の影が子犬ぐらいの大きさで、足元にまとわりつくころ、ルアンパバーンの街は南国の光のなかに活気を見せる。旅人が博物館へ向かう途中に古い民家のカフェの前を通ると、古い木の板の色になつかしさと優しさを問いかけるように、街路樹が影を映している。年取った旅人は遠くを見るように立ち止まる。開け放たれた入口は誰でもちょっとのぞいて見る気にさせるほど広くて、奥に見える庭には池があり木陰に涼しそうな席が用意されている。期待していなかった驚きと旅人の好奇心はその瞬間、歩みを店の中に進めるのであった。よしよしと心の中で頷いて、木でできた小さなテーブルを前に席に着くのさえ小さな喜びであった。そこで飲む一杯のコーヒーこそ旅のご褒美と満ち足りた気持ちの笑顔がうかぶ旅人の隣では、半分以上出したファランの女性の背中に木漏れ日が映える。古い池の水面には青空が映える。そのような普通の素朴な景色が妙に落ち着くのは何故だろう。旅人はふと気が付けば何でこんなところにいるのだろうと思うくらい、忘我の時間を過ごしていた。すでにルアンパバーンの時の流れに身を任せるようになっていたのかもしれない。もちろん決して彼女の背中に忘我していたわけではないはず。こんな時間があると旅は旅らしくなる。これが本当は求めていた時間なのではないかと思ったりする。ME(シチリアーノ)

 

民族工芸博物館があるルアンプラバーンの街の中心部には小高プーシー山があり、その山の裾を登るようにして暑い日差しの中を歩いていくと、すぐに小さな博物館はあったが、階段の上の入り口にはクローズと書かれた紙が一枚貼ってあった。なんということだ。今日は休館日だとは知るよしもなく、一気に汗が噴き出るような思いがした。紙切れ一枚で坂道を登ってきた苦労は無視された。くやしいけれど諦めて今来た道を戻るよりほかはない。全てが自分の都合通りに行くことはないと分かっていても、やはり心の中で「糞ったれ」とつぶやくのは自分への慰めだ。人生で何回この言葉をつぶやいたか・・今来た汗ふき坂を脱力感を感じながら下って行く。スゴロクで振出に戻った気分で登り口についたが、さてこれから右に行くか左にいくか分かれ道。右は賽の河原左は三途の川だと思うのは、ここの地形がふたつの河に囲まれた細長い半島のような形をして、その付け根あたりに小高い寺院ワットプーシーがある。どちら側に行っても河に出る。昔は天然の堀としてあるいは聖と俗を分ける境界の役割があったのだろうと察しながら、賽の河原はもう御免こうむりたいと、左へ三途の川へ向って歩きはじめるのだった。その名をカーン河(カーンは方向、側、横を表すと解釈した)という。そのほとりに沿って下って行くと、日差しは強くても木陰は涼しいのが有難い。右にはカーン河左は斜面に家々が立ち並び、レストランやゲストハウスや小さなショップなどを見ることができるがメコン側よりも閑静な街並みであった・・木陰のカフェでは大きなつばの帽子をかぶった女性が一人でコーヒーを飲んでいる・・ME(instrumental)

 


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