碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

『世界しあわせ紀行』エリック・ワイナー著(4)

2014-12-04 11:04:19 | 詩、漢詩、その他読書感想
著者はブータンに赴く。国民総生産の代わりに国民総幸福量を掲げる国だ。政体は立憲君主制ですが、議会に権力をゆだねたいと願っている謙虚な王様を持っている。そしてこの国はゆるい宗教国家だとみなされている。(ワシが思う)仏教が国教として大きな影響を持っているからですが、原理主義ではない。(仏教が宗教であるかどうかは別にして)仏教(チベット仏教)の文化が強くその文化を国民の統合の原理として守っている。したがって国内ではその仏教文化が政治的なあるいは経済的な合理性(西欧的合理性)より優先されている。つまり政治や経済より文化が大事なんだという、もっともプリミティブな(西洋社会から見れば)国家なのだ。世界を支配する資本主義なかんずくグローバリゼーションを微笑みながら意識的にスルーしてしまったように見える国です。ブータンの人は声高に資本主義やグローバリゼーションを批判するわけではない。それについての知識や経験がないからだと思われるかもしれませんがそうではない。指導的な人々は、西欧の大学で学び、生活してきた人達だ。もちろん国民は外国について知らないわけではなく、首都のティンプーにはディスコもある。インターネットもある。何処かの国のような鎖国的な情報統制をしているのではない。しかし全くのフリーでもない。それは彼らの文化を損なうものを警戒し排除していると思われる。親が子供にポルノを見せたがらないようなものだと言ったら語弊があるかもしれませんが。そんなブータンには交通標識や広告塔がない。そのかわり道路に手書きで次のような看板があるそうだ。

最後の木が切られて
最後の川が干上がって
最後の魚が捕まったとき
そのときはじめて、人はお金が食べられないことを知る

この看板が英語で書かれていたのかゾンカ語で書かれていたのかは、この本には書いてありませんが、もし英語なら外国人に向けて書いたと思われます。日本でもお寺の門のあたりにある掲示板みたいなところに、お釈迦さんの言葉とかお経の一言が書いてあるのを見かけますが、ウーンとうなるような名文句を見たことがない。それに比べれば内容が濃いなあと感心したしだいです。著者はこの国の賢人カルマ・ウラに会ってインタビューをする。
「カルマさんあなたご自身は幸せだと思いますか」
「人生を振り返ってみると答えはイエスでしょう。現実的でない望みを抱かなかったので、幸せに暮らしています。
「アメリカでは希望を高く持つことが、幸せの追及そのものだとさえ思われている。」
「私の考えは、それとはまったく異なっております。私には上り詰めるべき頂上はありません。生きることそのものが試練だと思っています。ですから、一日の終わりに充足感があって、何かをなしたと感じられ、よく生きたと思うことができれば、軽いため息とともにこうつぶやきます『これでよいのだ』と」
「つらい日々はありませんでしたか」
「ありました。しかし取るに足らないことだと考えて、胸に収めておくことが大切です。何か大きなことを成し遂げたとしても、それは心の中の劇場で上演される一幕のドラマにすぎません。あなたがそれに意味を見出しても、実のところだれの人生を左右するものではありません」
「カルマさんあなたのおっしゃる意味は、人生の大きな成功も大きな失敗もどちらもとるに足らないと言うことでしょうか」
「そうです人間はとかく自分が達成したことを特別だと考える傾向があります。それもよいでしょう、一週間という短い期間の間では、もっともな考えだと言えるかもしれません。しかし四十年たったらどうでしょうか、三世代後には、あなたという存在は忘却のかなたに消えているでしょう」
「そう考えることによって心の平安が得られるでしょうか。私にはひどく苦しい考え方のようにおもえるのですが」
「そんなことはありません。仏教では慈しみの心に勝るものはありません。何か良いことをすれば、その時は満ち足りた心になれるでしょう。私は毎日何匹ものハエや蚊を殺します。マラリアが怖いからです。でも時には殺さないこともあります。その時は一呼吸おいてこう考えます。『この虫は私に悪意を向けたり、私を脅かそうとしているわけではない。無防備な存在だ。どうして殺す必要があるだろうか』と。そして蚊を逃がしてやります。すると、一瞬間があって、無意味な行為だと充分に分かっていても、心にいつの間にか平安が訪れます。ただそれだけのことです。」
不安はそれを神経症というかたちであらわれてくる。著者も神経症にかかったことを告白し、そのことについてカルマはこう述べる
「毎日5分間、死について考えることです。そうすれば症状が改善されて不安が安らぎます。西洋の豊かな国の人々は、死体に触れることがありません。血が滴る傷や、腐敗した肉体を目にすることがありません。ここに問題があります。どれも人間の自然の状態です。自分がこの世から消えてなくなることへの準備が必要なのです」
この時カルマは自らの癌について話した。著者は言葉が出てこなかった。

著者はエピローグで次のような結論をのべています。

幸福に関しては次のようにしか言えない。まずお金は重要だ。でも考えられているほど重要ではない。私たちが考えているような形で重要なのではない。そして家族は大切だ。友人もしかり。嫉妬は毒であり、考えすぎるのもよくない。砂浜はオプションであって、あってもなくてもよい。一方信頼は欠かせない。感謝の気持ちもしかり。

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