碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

大きな樹の物語2部3

2022-07-23 19:01:26 | 大きな樹の物語

ハンスはサンフランシスコのジャクソン通りをアルタプラザ公園へと歩いていた。近くにある教会から、友人であり同僚でもあるがハンスより3歳ほど若い牧師のブレーノ・コレイアと二人でその公園へ行くのは、彼ら二人の習慣みたいなもので、陰気な教会にいるのが好きではないブレーノ・コレイアにとっては息抜きであり、牧師というペルソナをちょっとずらして一息する機会でもある。ハンスにとっても、それは同じであり、都会の中の高台の緑地の方が暗い教会の中にいるより居心地が良かった。ブレーノはカリフォルニア大学の法科で学び弁護士の資格を持ったが、法律の条文より人類学や神学に興味を覚えて、フラー神学大学院に学んだあとこんどは牧師の資格を得てオハイオやコロラドの教会に副牧師として勤めた。そしてコロラドにいた親しい信徒の勧めでニューヨークで法律事務所の職を得ることになり、生きた馬の眼を引き抜くようなニューヨークの弁護士事務所の仕事に忙殺されていたのだが、しかし数年後、その法律事務所のロサンゼルスの支所へ移籍を勧められた。呈のいい左遷というわけだが、一度ニューヨークで仕事をした者にとっては、ロサンゼルスの仕事は満足することはではなかった。本格的な訴訟案件などには携わる機会が少なく、コンサルティング業務がほとんどで、その意味では楽な仕事ではあったが、彼にとっては満足のいくものではなかった。そのうち不満のはけ口として神学や心理学にまた興味が移って行ったのは、彼に言わせれば神のお導きであったということになる。もともと裕福な家庭に生まれたブレーノは自分の興味とかライフスタイルにたいする執着を持っていたので、故郷の西海岸の陽を浴びると彼の心の中で、そのことにあらためて強い感情を覚えるようになっていたのだった。そして数年で弁護士事務所をやめると南米に行き、アマゾンの流域にある町や村に暮らし始めた。その時の経験が彼を牧師にした。と言ってもそれは、その時にキリスト教の福音に目覚めたというような話でなく、むしろその逆で、宗教全体の中のキリスト教の立場がそれまで思っていたほど偉大ではないと感じていたのだ。その頃の話は時々ハンスは聞いたことがあるが、そこで何が起きたのかは詳しくは知らなかった。なにか血なまぐさい出来事を経験したらしい。けれどそれはハンスにとってのベトナム戦争と同じくらいの強い動機であったろうと感じてはいた。陽のあたるアルタプラザ公園の階段を登りながら、ハンスがブレーノに尋ねた。

「君は昔、私が牧師の資格を持ちたいと言ったとき、牧師にならない方がいいって止めたけど、いまでもそのように思っているのかい」

「ああ、そう思っている。僕は人に言わせれば無神論者だからね、教会の人たちからそう言われてる。サタンだと言われないだけましかもしれないけどね。君が牧師をやめる気になったのは驚かないよ。誰だって一度や二度はやめたくなる時があるさ、みんな仮面をかぶってごみ溜め掃除をやってるようなものだからね。不安や悩みや恐れと付き合ってそれを取り除くことが仕事なんだから。内輪の話でつまり正しい教義って誰も分からないうえに勝手に解釈すると批判されるわけだ。昔はサタンだ魔女だが、今でも、異端だ背信だって。その上そんなに多くの収入があるわけではないしね。しかも四六時中休む暇もない。みんな無理をしてやってると思うよ。昔は少しは尊敬されたけどね・・」

ブレーノは吐き捨てるように言った。

「じゃあ君の場合はどんな気持ちでやってるのか教えてくれないか」

牧師にとってそんな質問はたとえ親しい同僚であっても口に出さないのが暗黙の了解なのだが、ハンスはブレーノの気持ちを聞きたかった。

「それは、神のみぞ知るさ。ハッハッハ・・いや口の堅い牧師さんだから言うけどね、一言でいうと趣味なんだ。多くの収入を得たいと思えば弁護士をつづけてるし、名誉を得たいと思えば大学の先生になってる。けれどそれは僕のスタイルじゃないと思っている。フィールドワークが好きなんだ。今の立場からいえば教会で座っているのが本来の仕事なんだろうけど、好きじゃないね。酔っ払いの愚痴を聞くバーテンダーの方が性に合ってるからね」

公園の高台から見える海が白く光っているのを見ながらブレーノはそいうのだが、それが本当の理由かどうかハンスは問いただそうとは思はなかった。内心もっと強い理由が聞きたかったのだが陽の当たる公園で聞く話ではないとも感じていた。

「それで、君が牧師をやめる理由は聞かないけど、やめた後なにか仕事でもするのかい。たしかその歳で結婚するって聞いたけど。」

「ああ、そうなんだ結婚するつもりさ。遅ればせながらね。それについて君に頼みたいことがあるんだ。」

ハンスは結婚の理由について正直にすべてをブレーノに話して聞かせた。彼は興味を覚えたのか、少し考えるように空を仰いでからハンスに向かっておどけた風に。

「もっと個人的な理由かと思ったけど、立派な理由があるわけだ。それで、ひょっとして立ち会いの牧師になってくれとでも言うのかい。それとも悪事の片棒を担げと言うのかい。」

「できたら両方だ。もちろん断ってくれても構わない。些細な事のように思えるけど、ルール違反をしているわけだから」

ハンスとしては内心は彼の協力より、誰かに自分の気持ちを伝えておきたいというのが正直な気持ではあった。

「私は元弁護士だ。そして今は教会の牧師だ。法律に違反するようなことは絶対にしてはいけない立場ですから、これから行おうとしている悪事を見逃すわけにはいきません。したがって、あなた方がやろうとしている悪事の合法的なやり方を調べてみます。つまり片棒を担げるか調べてみましょう」

普段信者に語るように、少し威厳を持ってブレーノはそう言った。しかしその口元は微笑んでいた。悪事の告白を聞くことは慣れているが自分がその片棒を担ぐのは初めてのことで、退屈な教会のデスクにいるよりは心は弾んでいたのは間違いなかった。いたずら坊主が新聞受けに蛇を入れるのを思いついた時のような眼にもなっていた。

「ありがとう。たとえそれが合法的でないとしても、私はやってみるつもりでいます。もちろん彼女も。決して君がめいわくを被らないようにするつもりだ。」

「メフィストフェレスのセリフじゃないが、その逆に君は『常に善を欲し、常に悪をなす、あの力の一部です。』と言うわけだ。神は『良い人間は、たとえ自らの暗い衝動によって突き動かされても、その中にあって必ず正しき道を見出すのだ』というからね。それを自分自身で確かめてみるのも悪くないさ。」

「ああ、悪魔は歳をとってるっていうからね、我々もその資格はあるということだ。はっはっは・・」

「今度コヨーテのメフィストフェレスに会ったらよろしく言っておいてくれ、きみの望みの喜びを聞きたいって」

二人の初老の牧師たちは不良少年が悪さをするときのように、ウキウキしていた。そして多少の不安が薬味のようにその気持ちを印象深いものにしていた。そんな午後の日差しのなか、眼下に見下ろすサンフランシスコ湾に向かってオレンジ色の蝶が風に乗って渡って行くのが見えた。

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大きな樹の物語2部2 | トップ | ヴェトナム旅行1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大きな樹の物語」カテゴリの最新記事