碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

映画「2001年宇宙の旅」を観た

2009-10-04 19:36:27 | 映画の感想
「2001年宇宙の旅」を観た方はたいがい睡魔におそわれて、
一旦は現実から離れて別の時空に旅立っていたのではないでしょうか、
それこそモノリスからでた重力波によって、以前のあなたから別のあなた
になった瞬間かもしれません。まず誰でも一番気になるのがあの
モノリス(石板)なんですが、これを解く鍵は,スタンリー・キューブリック監督
の脳に埋め込まれているとは思いますが、彼が死んだ時に、永遠の謎になって
しまった。しかし、手がかりはあるのですかならず。
まずこの映画全体で何を言いたかったのか、
考えて見なければなりません

キューブリック監督自身は「コミュニケーションの失敗」がテーマだと
言っているのですが、誰と誰のコミュニケーションの失敗でしょうか?
この映画の登場者間のコミニュケーションについて考えてみますと、

人類>宇宙船の乗員 ⇔ 人口知能>HAL9000 ⇔ 地球外生命>モノリス

それぞれの間の断絶があるのが理解出来ますが、それは映画の設定としての
断絶であって現実社会でのコミニュケーションの失敗がテーマであるという
意味からは離れていると思うのです。
監督が意図したことが観客に伝わらないことを持ってコミニュケーションの
失敗としているような見方もできるのですけれど、確かに最後のシーンの
意味についてコミュニケーションが足りないのは事実です。監督自身は
この映画を観た観客が、全てについてこの映画を理解したらそれは私の失敗で
あるといっているのですから。したがって、制作上のテクニックとしての意味
で意図したコミニュケーションの失敗をあえて作ったことを言っているのでは
ないかと思っております。それによって、観客はまんまと
監督の罠に落ちるのです。この謎を明かすために。原作の小説を読み、
比較検討し、推論する作業を強いられたわけです。それによって、
多少なりとも進化したなら、まさしくこの映画こそモノリスであっと
いうことになるのです。
小説では、ヒト猿の時代にあらわれたモノリスは、
ヒト猿を進化させるための装置であったが、映画では、具体性がなく、
形而上的な存在として設定されております。この違いがこの映画の謎をとく
一つのヒントだと思うのです。この映画の解釈はいろんな説があります。
たとえば完全犯罪説や、セックス説などの地上的な解釈では
モノリスの意味がわかりません私が思うには、<類の進化は個の変異による>
という突然変異の進化論とキリスト教的な神による創造ととの対立を
止揚する試みをしたのではないかと考えております。
モノリスは突然変異を象徴するものとして存在し、それが
地球外生命(神)の意図によるものであったというふうに。
最後のスターゲートに落ちるボーマン船長は、精子と卵子の結合と、それによる
細胞分裂、固体の発生、そして誕生の輪廻を廻っておりますが、そのサイクル
に一つずつ、変異が重なって、人類が進化し、宇宙生命体へと変わっていく
ことを示しているのではないでしょうか。大雑把に言えばこのようなことですが
いかがお考えでしょうか?みなさん
続編の「2010年宇宙の旅」「2061年宇宙の旅」をもう一度読み直してみて
みようと思います。これにどっぷりつかる気はなかったのですが、・・
これも映画祭の影響です。

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