碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

「人生と運命」ワシーリー・グロスマン著

2012-09-05 22:17:41 | 詩、漢詩、その他読書感想

「人生と運命」なんていう題は、いかにもという感じで、大時代な感じがするのですが、読んでみると、まさに、これぞ小説、これぞ文学という重厚長大20世紀における最大の作品であるのは間違いない。その量たるや全3巻約1200ページは超える。たっぷり読み応えはあります。まして、ロシア人の名前を覚えるのは、苦労する。本名のほかに、幼名、愛称などがあるうえに、作品全体との関わりがわからないので、真面目に読むと3ヶ月はかかると思う。注釈をふくめて、厳密に読むと、3年はかかる。作者はユダヤ系のウクライナ人ソ連時代の従軍記者として、独ソ戦の真っ只中で、取材経験をもつ。ナチスドイツとスターリンのソ連との決戦場となったスターリングラードの攻防戦を背景にさまざまな人間の極限の生き方を描いております。ナチスドイツのユダヤ人虐殺の収容所のガス室や、スターリン主義の血の粛清の恐怖のなかで、人間はどう生きてきたのか、さまざまな矛盾、抑圧、暴力、のなかで、人間が生きなければならい運命の非情さ、を克明に描いております。戦後この作品の原稿はソヴィエト政府に没収されたが、マイクロフィルムに写しとったものを国外にもちだし、外国で出版された。そして長い年月をへて、ようやく日本語で読めることになった。各章を短編小説だと思って通読しただけですが、書くべき人が書くべきことを書いた。それも存在をかけて、暗闇にたいまつをかかげた。そんな印象です。   

少しだけ引用します。  ヴィクトルは物理学者で核反応の理論を発表していた。スターリン主義の体制の中でそれは、体制批判の理論とみなされていた。明日にでも投獄されるかもしれない状況の中でドミトリー・ペトローヴィッチとの会話で「私には哲学どころのじゃない、投獄されるかも知れないのだから。そんな私に哲学なんて何の関係があるのかと。しかし、いいですか、あなたのはなしを聞いて私が感じたのは喜びではなく絶望でした。なんと、ヘラクレスもくる病患者に見えるほど我々は聡明であると、あなたはおっしゃる。同じこのときに、ドイツ人が狂犬を殺すようにしてユダヤ人の老人と子供を殺しています。一方わが国ではあの1937年があり数百万人の不幸な農民の追放と飢えと食人行為とを伴った全面的集団化がありました。 中略 人間は神を見下ろすようになるだろう、あなたはそうおっしゃる。しかし、人間は悪魔をも見下ろさないでしょうか、悪魔をも超えることにならないでしょうか。あなたは生命とは自由だと言う。しかし、ラーゲリにいる人たちはそうかんがえるでしょうか。宇宙に溢れた生命が、あなたが語った生命なき物質の隷属状態よりずうと恐ろしい隷属状態の構築に、力を注いだりしないでしょうか。さあ話してください。未来の人間はその善良さにおいてキリストを超えるでしょうか。それこそが重要な問題です。! 話してください偏在し全知である存在が、現在のわれわれと同じ動物的自己過信とエゴイズム 階級的、人種的、国家的エゴイズムをもったままであるとすれば、その存在の力はこの世に何をもたらすでしょうか。その人間が、世界全体を銀河系の強制収容所に変えたりしないでしょうか。そこです、そこですよ。話してください。あなたは、善良さの、道徳の、慈悲の進化を信じますか。人間はそのような進化をする能力を有していますか」 

ここだけ読むと、観念的な小説に見えますが、実際は戦争の実態を人々の現実を記録した小説です。強制収容所のガス室へ送られるユダヤ人の子供の場面などを読むと泣きそうになった。以前から思っていたことですが、何故ユダヤ人はあんなにやすやすと大量に殺されていくのか理解できなかったのですけれど、今回この小説を読んでみて、なんとなく、当時の国家権力の強大さの前には、国家を持たないユダヤ人の状況が解るような気がした。たぶん、ユダヤ民族としての共通の基盤を持ち得なかったのだろう。それは、彼らが国家というものを相対的に考えていて、個に重心を置いていたから、それを望まなかったのか、あるいは、帰属するそれぞれ国家意識がそうさせたのかわからないけれど、ナチスドイツのウルトラ全体主義国家の前には、無力であった。国家対個人という力関係しか選択肢がなかったのだろう。そういう意味では、無政府よりは国家という枠が必要であるといえるのかもしれないが、帝国主義国家とそのメダルの裏としてのスターリニズム国家が、同じ相貌をもっているという現実を、この小説は知らしめている。おまえにとって、国家とはどういうものなのかねという質問を突きつけられているのだ。それは運命なのかねと。しかしそうは言ってもこの小説を国家論だけで見るのは間違いで、愛について、倫理について、人生について、 つまり「人生と運命」について語っています。話は余談ですが、日本の戦争文学はこのスケールはない。さすがロシア文学の伝統ですね。このような作品を中国人作家がそろそろ発表してもいい時期ではないかと思うのですが、ワシが知らないだけかもしれません。だれかご存知なら教えてください。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サッカーがおもしろいぞ | トップ | 今年のテーマは「エロス」です »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

詩、漢詩、その他読書感想」カテゴリの最新記事