碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

映画「先生を流産させる会」 カナザワ映画祭2011

2011-09-20 16:04:33 | 映画の感想
この映画の解説には、 女子中学生たちが妊娠した担任を流産させるために給食に異物を混入した。日本で、実際に起きた事件を基にした最凶の教育映画。-中略ー 新鋭・内藤瑛亮の最新作「先生を流産させる会」は極めて完成度の高い社会派娯楽作であり、パワフルなホラー映画としても一級の仕上がりである。 とあります。内容は、女子中学生の不良グループが担任の先生の妊娠を知り、流産させようとたくらみ、それを実行するのですが、その過程でさまざまな人間関係が浮かび上がります。一義的には先生と生徒の関係ですが、生徒達の持っているルサンチマンに対応しきれない教師のジレンマや、学校という職場の人間関係(事なかれ主義)や、学校と父兄(モンスターペアレント」)、父兄と生徒(親子関係のゆがみ)生徒間の関係(支配と服従)そして忘れてはならないのはその裏にある現実の我々が作り出し、そこに生きている社会との見えない関係がある。教育とは、個人をひとつの秩序にとじこめ、順応させ、その秩序の守り手にすることだとするならば、この中学生たちは、この教育にたいして、根底から疑問を突きつけている。本能的な生理的な拒否反応と言ってもいいような態度で、流産させる理由をのべる「キモいからよ」。少女がある日、生理の血を見、乳房がふくらみ、陰毛が生えてくる自分の身体の延長線上に、いつか性交と妊娠を想像しなければならない時、担任の妊娠に何を感じていたのか?「女はキモいものなのよ」と担任の先生は答えるのですが、少女は妊娠した先生のお腹を殴ってつぶすのでした。思春期の少女の気持ちは、男のワシにはよくわかりません。しかし自分に当てはめて考えると、大人の秩序にはなじめないという気持ちはありましたね。まっ反抗期といえばそうなんでしょうが、高校になれば変わるかなと期待みたいものはありましたが、かえって疎外感が強くなりました。教師を批判してばかりいました。文章で批判したり、口でたてついたり、女の教師だと授業ボイコットしたりしておりました。卒業後ウン十年して 当時の先生が今でも許せんと言って、家に怒鳴り込んできたことがありました。こっちはとうに忘れていたのですが、よほど傷ついたのでしょう。脳卒中か何かで、よくろれつが回らない言葉で、非難しておりました。その先生はその後1年ほどして亡くなられたのですが、きっと死ぬ前に積年の恨みを晴らしたかった?のでしょうか。人をむやみに批判するものではないと思いました。あの頃は理想と違う学校生活に嫌気がありました。しかし暴力をふるうことはなかった。校舎の窓ガラスを割ったり、教師に手を上げることはありませんでした。まだまだ、牧歌的な時代だったのかもしれません。話はもどりますが、生徒達の暴力に対する感覚というのが、今の時代は昔とちがって観念的な気がします。暴力というのはすべてを否定することですが、その中には自分の存在すら否定している気持ちが必ずあるのです。つまり自己否定こそ暴力の本質だといってもいいぐらいです。ですから、暴力を振るった後は、むなしいのです。悲しいのです。それを知らないと大人にはなれないと思うのです。そういうことを知っている若者がいなくなった。暴力についての教育の機会が少なくなったせいでしょうが、殺人、虐待、いじめは減っていません。えらそうなことを言うつもりは無いのですが、この映画の結末は、腑に落ちないのです。先生と暴力を振るった生徒が仲直りするようなことは無いのではないかと思う。殺人(胎児殺し)まで犯した者とその被害者の溝はそんなに浅くないはずです。監督は暴力を観念的に見ているような気がするのです。別の意図があったのかもしれませんが。この映画は多分劇場で公開されることは無いとおもう。題名だけで、拒否されるかとおもいます。昨今暴力を排除する社会風潮が強まっておることもありますが、妊婦の腹をつぶす中学生の姿は、おそらくPTAが黙っていないでしょう。R指定しても、むつかしいと思います。しかし、この映画は見るべき映画です。この映画を見ずして学校教育は語れません。この映画を見ずして暴力は語れません。この映画を見ずして女は語れません。そしてこの映画を見ずして内藤瑛亮監督は語れません。ヨイショ
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