碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

日本の現代美術 ネオトニー・ジャパン

2009-06-04 20:31:49 | 日記風雑感
       傘を持つ少年(この展覧会の作品ではありません)

精神科医である高橋龍太郎氏の個人コレクションの展覧会でしたので、氏のポリシー
によって集められた作品ばかりでした。1990年代以降の作品が多いらしい
のですが、コンセプトのキーワードはネオテニー(幼態成熟)です。実は
このコレクションを見るために上野まできたのではないのでして、たまたま、前を通った
ら引き寄せられただけです。従がって、何の予備知識ものなくて、飛び込み観覧です。
ネオトニーなんていう言葉もはじめて知ったわけで、そういうコンセプトもあったのだ。
「カワイイ」という言葉に現れる幼児性はもはや市民権を得ているのは、確かですが
それに至った過程というのは、同時代であるがゆえに、かえって見逃してきたことかも
知れません。そういう意味では、いいヒントを与えてもらったような気がします。
いろんな表現がありました、絵画、彫刻、ヴィデオ、ファション、それぞれ個性的な
作品ですが、共通するのはネオテニーなのでしょう。ワシには作品がみんな内向きに
見えてしょうがなかった。つまり作者にしか解からない世界を、
他者とのコミニュケーションを無視した世界を外から覗き見するような
錯覚に落ちるのです。作品は他者との交換のためにあるのではなく、
自己の美意識の表現としてのみ成立しているような他者を拒否しているような、
というよりもともと他者がいないのではないかと、思われるのですが、
それが幼児性の特長といえば、それなりに納得するのですが、これがオタク文化の
本質であるのかもしれません。連想してしまうのは、1930年代ドイツでナチスが
政権をとってそれまで、ドイツ表現主義派の絵画やその他の作品が、健全なドイツ精神の
表現としてはふさわしくないとして、弾圧されて燃やされたりしたのですが、その
轍をふませないよう、子羊が狼にならなければならないようなときが来ないよう
祈るばかりです。ガラスの狼は通用しないと知った上であえて、作品化するのは
他者をしらない証拠なのではないかと思うのです。ちょっと批評する観点が
ずれているのは、感じていますが、おじさんはあえて、言いたくなるのです。
「愛しい愛しいセヴンティーン達よ、ガラスの狼に写る君の顔を見たとき
 世界に向かって射精するような快感を感じたはずだ。そしてその後の虚無を!」


本命の展覧会が長蛇の列で、誠に東京人の行列好きはロシア人が見たら
泣いて喜ぶほどで、世界で行列都市といえば東京とモスクワが上位に入るでしょう。
平日のしかも雨の降る日に1時間以上も並ばねばならないと聞いて、ワシら暇は有るけど、並ぶ気持ちはないけんネ。即、ルーブル美術館展を諦めたわけです。

ロシアの小噺があります。
社会主議者、資本主義者、共産主義者が会合することにしました。
社会主義者が遅れます
「遅れてすみません、ソーセージの行列に並んでいたで」
「行列ってなんですか」資本主義者。
「ソーセージってなんですか」共産主義者。

そういえば日本は世界で一番成功した社会主義国だという人もいましたが


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