「カナダにも鱒はいるでしょう。だがここときたら!
溜息がもれます。せつなくなるほどです。何しろ
ノルマンディーの鱒釣場ですからな。ご案内いたしましょうとも
大船に乗ったつもりでついてきてください。ご覧にいれますよ」
<ヘミングウェイ釣文学全集 鱒 >の冒頭部に出てくるセリフです
こんな言葉を聞いてしまったら、釣狂いならずとも、オトコは視線は遠く
定まらず、息はしだいに大きくなり、頭の中には、川面を吹く風が
通り抜けて魂は肉体を離れ、忘れていた日のことを思い出すのです。
梅雨の晴れ間の夏の日差しが、緑陰の静寂のなかに渓流の水音を響かせ、
オトコを誘ってくるのです。何年前かもう忘れたけれど、
長女がまだ小学生だったころ、やはり衝動的に朝早く起きて
渓流釣りに行こうと、準備をしていると、長女が起きて来て
「私も行きたい」というので、犬と一緒にでかけたことがあった。
釣り場の谷に入る手前に、入漁料を払う家があって、そこに
声をかけると、しばらくして、老人が出てきて、これから
谷にはいるには、ちょっと遅いのではというふうなことを
つぶやいたが、娘を見ると、納得したような顔で、料金の
はなしになった。入漁料は1年間で4000円、
1日だけなら1000円だというので、とりあえず1000円払った。
「気をつけて行くまっしね」と最後はあいそらしく送られて、
川沿いの道を車がいけるところまで行って、その近くの流れに入ることにした
この谷へは何度も来た事があるのですが、釣をするのははじめてだった、
餌釣がいいと聞いていたので、鉤にイクラをつけて、ポイントへ投げ込む
やり方で試してみた。最初は娘も棹を持っていましたが、
しばらくすると、すぐあきて、犬といっしょに川原で遊び始めていた。
前日の雨のせいか、辺りはひんやりと湿気があり、緑がみずみずしく
陽の光が谷の底に届く頃になると、夏の日のコントラストのなかで、
娘や犬を眺めながら釣り糸をたれる至福の時を過ごしていた。
釣は最初の一匹にかかっている。一匹釣れば、後は余禄というかオツリ
みたいなもんだと、かの、開高健氏は言っていた。
たとえ一匹も釣れなくても、そこにいた時間こそ
「これが、生活ってもんだ、オトコの人生さ」てなことを
つぶやきながら、充実した満足感に浸っていたのでした。
しばらくして、監視人とおぼしき年寄りが川上からやって来たが、
許可証を見せると、親しげに「子供さんと犬もいっしょで、たのしんでや」
と言って川下へ歩いていったのが、唯一の邪魔であった。
どれくらい時間がたったのか、一本の杭のように川原に立ち尽くした
かいがあり、ついに待望の一匹を釣り上げた。
娘と犬が駆け寄ってきた。見るとそれは小さな山女であった。
娘の目は輝いていた、父の口は笑っていた、犬の鼻は喜んでいた
そんな思い出の日々が梅雨の晴れ間によみがえってきたのだ。
あれから人生いろいろあったが、今日突然、ヘミングウェイの鱒釣り
の話にケツを蹴られた思いがしたのだ、オトコは。
溜息がもれます。せつなくなるほどです。何しろ
ノルマンディーの鱒釣場ですからな。ご案内いたしましょうとも
大船に乗ったつもりでついてきてください。ご覧にいれますよ」
<ヘミングウェイ釣文学全集 鱒 >の冒頭部に出てくるセリフです
こんな言葉を聞いてしまったら、釣狂いならずとも、オトコは視線は遠く
定まらず、息はしだいに大きくなり、頭の中には、川面を吹く風が
通り抜けて魂は肉体を離れ、忘れていた日のことを思い出すのです。
梅雨の晴れ間の夏の日差しが、緑陰の静寂のなかに渓流の水音を響かせ、
オトコを誘ってくるのです。何年前かもう忘れたけれど、
長女がまだ小学生だったころ、やはり衝動的に朝早く起きて
渓流釣りに行こうと、準備をしていると、長女が起きて来て
「私も行きたい」というので、犬と一緒にでかけたことがあった。
釣り場の谷に入る手前に、入漁料を払う家があって、そこに
声をかけると、しばらくして、老人が出てきて、これから
谷にはいるには、ちょっと遅いのではというふうなことを
つぶやいたが、娘を見ると、納得したような顔で、料金の
はなしになった。入漁料は1年間で4000円、
1日だけなら1000円だというので、とりあえず1000円払った。
「気をつけて行くまっしね」と最後はあいそらしく送られて、
川沿いの道を車がいけるところまで行って、その近くの流れに入ることにした
この谷へは何度も来た事があるのですが、釣をするのははじめてだった、
餌釣がいいと聞いていたので、鉤にイクラをつけて、ポイントへ投げ込む
やり方で試してみた。最初は娘も棹を持っていましたが、
しばらくすると、すぐあきて、犬といっしょに川原で遊び始めていた。
前日の雨のせいか、辺りはひんやりと湿気があり、緑がみずみずしく
陽の光が谷の底に届く頃になると、夏の日のコントラストのなかで、
娘や犬を眺めながら釣り糸をたれる至福の時を過ごしていた。
釣は最初の一匹にかかっている。一匹釣れば、後は余禄というかオツリ
みたいなもんだと、かの、開高健氏は言っていた。
たとえ一匹も釣れなくても、そこにいた時間こそ
「これが、生活ってもんだ、オトコの人生さ」てなことを
つぶやきながら、充実した満足感に浸っていたのでした。
しばらくして、監視人とおぼしき年寄りが川上からやって来たが、
許可証を見せると、親しげに「子供さんと犬もいっしょで、たのしんでや」
と言って川下へ歩いていったのが、唯一の邪魔であった。
どれくらい時間がたったのか、一本の杭のように川原に立ち尽くした
かいがあり、ついに待望の一匹を釣り上げた。
娘と犬が駆け寄ってきた。見るとそれは小さな山女であった。
娘の目は輝いていた、父の口は笑っていた、犬の鼻は喜んでいた
そんな思い出の日々が梅雨の晴れ間によみがえってきたのだ。
あれから人生いろいろあったが、今日突然、ヘミングウェイの鱒釣り
の話にケツを蹴られた思いがしたのだ、オトコは。
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