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「話は終わったわけではないね。メフィストフェレス様の眼の黒いうちは、娑婆の悲哀を見届けてやろうと思ってね。そりゃ、だれにとっての悲哀かと言うのは、神のみぞ知るってぇわけだがね・・とはいっても神なんか雪の上のウサギの糞ほどにもありがたくないね。他人の不幸は蜜の味さ。ワシも歳だからだんだんボケが来て、人間のようになってきた。この頃よく知らないことが起きて、理解するのが難しい時もあるが、娑婆ってそんなもんさ。早い話牧師が死んだのはモナーク蝶のせいだというのだが、メキシコから飛んできた蝶たちにいろいろ訊いた話じゃ、あの場所を飛んでいた蝶はせいぜい2~3千翅で何故かセドナにたくさん引き寄せられていたらしいが、繁殖地のメキシコは遠いから、そんなに密集しているわけではないし、何が起きていたのか分からないということだったね。もしモナーク蝶の仕業なら復讐したわけさ、人間どもにね。つまりこれが本当のバタフライ効果ってわけさ、虫けらにも五分の魂ってね、長生きはしてみるもんさ・・・そんなことより、ジェーンの話だが、結婚してすぐにお相手が亡くなって、おまけにインディアンの捨て子まで抱えてどうするつもりなのか、ワシャ楽しみが増えてニヤニヤしているんだがね。女ってのは何をやらかすか分からんのでな。ワシのもくろみではジェーンは不幸の坂を下って行くと思っているがね。なぜならもはやジェーンは現実の中で生きているのではないような気がするからね。ワシにはそれが分かるのさ・・それが無敵のジェーンの生き方さ。愛だとか赦しだとか再生だとよ。干からびた荒野にはお似合いさ・・」
教会での葬儀のあと共同墓地に二人目の遺体が埋葬された日はちょっとした騒ぎだった。小さな町にとっては大きな出来事だった。町中の人々が彼の死に驚きと悲しみをもって弔問に訪れた。長い独身生活から結婚を決意したハンス牧師とこの町の顔なじみのジェーンのカップルに驚いたのだが、結婚の後すぐにハンスが亡くなるという信じがたい出来事が人々の心を打ったのだった。狭い墓地の小路に列をなすほどの人出で、教会の前の道路は駐車場のように車が並び一方通行になっていた。墓地を取り囲む野楡の生垣の間から人々のざわめきが今は亡きハンスの家の方まで聞こえていた。葬儀の日にジェーンはかつてこの家の主がしたように窓際の椅子に座ってこぼれてくる涙も拭かず外の人たちを眺めていたが、コレイア牧師の声に我に返ると確かめるように彼に尋ねたのだった。
「もう戻れないよね。私達」
「ああ、時はいつも一方通行で、神はいつも気まぐれさ。そして人はいつも泣かされるけど、時は痛みを和らげて、神は望みを与え、そして人はいつか笑っている。それが真実なんだと思うけど・・」
「それは牧師さんらしいお言葉ね。私ね決して子供を手放さないと自分に誓ったの、ハンスが死んで私の背中を押した気がしたのよ。弁護士さんとしてのお言葉はどうなの?」
「我々は共謀し、共犯者であるかも知れないけど、どこにも被害者はいない。手続きの問題さ・・ひょっとして君はつぎの手を考えているのかい。例えば三度目の結婚とか!」
「場合によってはね。」
「おいおい、早すぎるよ・・・あっ、待ってくれよ三人目は私ではないだろうね」
「その通りよ。もう戻れないわよ」
「オーマイガッ!!」
「そのあなたの神様とよく相談してみてよ。」
コレイア牧師はそれには答えずあわてて台所の冷蔵庫に在るミネラルウォーターを出してコップに注いだが、水があふれそうになってひと口ふた口飲んでから居間の方に戻ると、ちょうど、ホーソーンの町の関係者が何人かがやってきた。彼らはジェーンにお悔みの言葉と葬儀のことについての話を伝えながら亡くなったハンスの功績をたたえるのだった。
「ハンスがこの町に来たときは、正直、最後の牧師さんになるかと思っていたけど、今じゃ若い人も教会に来るようになって喜んでいたんだ。惜しい人を亡くしたよ」
「そうだね。彼の話は若い人に人気があった・・うちの家内がね彼の話がどれくらい面白いかって、娘に訊いたことがあってね。そしたら学校の先生の話よりはマシだと言うんだ。彼女は学校で国語を教えているのだけどね・・」
そんな会話が飛び交って、ジェーンの知らないハンスの一面も見ることができたがしかし、彼女にとっては、かえってハンスの死を突き付けられているようでつらかった。
「みなさん、温かい声をかけていただいて感謝してます。亡くなったハンスもホーソーンの町の中で生活できたことに誇りを感じていると思いますわ。私もいつかこの町に戻ってくるつもりでいますが、その時はまたよろしくお願いしますね。」
とは言ってみたものの、この町に帰ることができる確証があったわけではない。あるのはジョンの思い出とハンスの励ましだったが今はもう遠くに在る雲のように白く光る点のような気がしていた。そして弔問客が引き上げるとまた窓際の椅子に座って外を眺めるのだった。
「子供のことだけど、僕はね、そんなに心配してないよ。手続きが長引き、複雑になるだろうけど、クリア―出来ない事ではないさ。それより君のことが気になるよ、なんかよく分からないけど突っ張りすぎじゃないかなって最近思うのでね・・」
コレア牧師がそう言うとジェーンは振り向いて
「あら、そんなふうに思ってたの。私は普通よ。今までと変わらないわ。子供を育てるのが目的になってから、おかげでなんか吹キレたの」
「そうかい、良く分からないけど、女は弱しされど母は強しということかな」
「そうかもしれないわ。でも私は強い女ではないのよ、いつも泣いてるし・・」
「君が選んだ道だから、これからどんなことが起きても後悔はしないさきっと『求めよさらば与えれん』と聖書にも書いてある。」
「ありがとう・・そう言って下さるのはうれしいわ、コレア牧師さんこの先よろしくね」
「喪服のお前さんはどうするのかな」
足元にすり寄ってきた黒猫をコレア牧師が抱き上げてその顔を覗き込むと猫は小さなかすれた声で鳴いた。
「その猫は私が預かるわ。キャットフィールドカフェのアイドルになるかもね。まさか引っ越しの手続きなんかしなくてもいいわよね。」
「命あるものは、母なるものに、信じるものは、神のもとに。救われるものは幸いなり。母なるジェーン・マリア・ブライトンに神のご加護がありますように・・」
「ありがとう。私牧師さんに個人的にお祈りされたのはじめてじゃないかしら」
「そうだったかい、お祈りで感謝されるならうれしいね。いくらでもお祈りを言うよ。神様は減るもんじゃないからね」
「まぁ 安売りされるとありがたみが無くなるわよ」
その日、コレイア牧師は午後にサンフランシスコへ帰って行った。ジェーンはしばらく帰っていなかった自分の家へもどり、一晩だけ泊まることにしていた。
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