車でフォルソムの近くに来たのは昼過ぎになっていた。ジェーンは二人をキャットフィールドカフェへ誘ってみた。
「よかったら、私の働いているカフェに来てくれないかしら。そろそろお腹もすいたころだし、なにか食べて行ったらどうかしら・・その後でバスか鉄道の駅まで送るわよ。・・でも食事代はいただくわよ、私はスタッフだからね。」
「そりゃちょうどいいね。店を探す手間を省けるわ。もちろん食事代は払うわよ、あなたに負担をかけるわけにはいかないじゃない。」
ジョアンナが同意してくれるようにアリスの顔を見ながら答えるとアリスも同意したようすで
「いろいろ、お世話になって助かったわね、こんなに親切にしてもらったことなかったわ。ジェーンさんありがとう。」
「そのカフェはね精神科のクリニックの横にあるの、そこで働いている人の中には患者さんもいるけど、驚かないでね。患者さんのリハビリも兼ねている場合もあるのよ、愛想が悪いとか言う人もいるけど、ほかのカフェだって同じようなもんよ。愛想のない人はいっぱいいるわ。でもこの頃のお客さんはそれを承知で来る人が多いからありがたいわ。」
このカフェは出来た当時は、気違いカフェなどと陰口を言われて、患者の家族ぐらいしかお客が来なかったのだけれど、ジェーンの料理の腕前と世間の認識が変わっていったので、ジェーンの娘のエリーがちょろちょろ歩き回る家庭的な雰囲気を求めて今では地元のお客も絶えることなく来るようになっていた。庭に幾つか有るテーブル席は木陰になっていて常連客の指定席になっていたが、この日はこのクリニックの責任者であるリンダ・ガーラントが診察を終えて一休みしながら、書類に目を通していた。ジェーンたち三人が店に入ってくるのに気付くと彼女を自分のいるテーブルへ来るように呼びかけて、ジェーンの二人目の子となった赤子の顔を覗きながら、養子の手続きがうまくいったことを喜んだ。リンダには子どもがいないし結婚すらしていないので、ジェーンの貰い受けた赤子が新しく増えた自分の家族のように思えるのだった。
「このクリニックは女性ばかりになってきたわね。そのうち女性専用のクリニックを作ろうかしら。」
冗談とも本気ともとれるような言葉を言ってまわりの人の関心を集めるのは彼女のくせなのか、精神科医としてのテクニックなのか、分からないが、若い黒人であり、女性であり、精神科医である彼女の存在はリベラルなカリフォルニアであっても特異な目で見られるなかで、周りと闘ってきた彼女の強いメンタリティーの発露でもあった。いつも前向きで活動的な彼女に
「どう、たまにはこんな赤子に戻ってみたくない。」
そうジェーンが言うと
「それは、精神科医としては興味深いけど、過去よりこれから先の方がもっと知りたいわね。」
「そりゃ誰でもそう思うわよ。・・そういえば、私は未来を教えてくれる人を知ってるわよ、何なら紹介するわ。ネバダでは有名な人らしいの。」
「どういう人、ひょっとして、その人は株や投資なんか扱ってるんじゃないの。」
「そう言う関係の人じゃないわ、詳しくは知らないけど、占い師をやってる人よ、なんでも彼女の中にいるコヨーテが占うらしいわ。」
「へぇ 占い師ねぇ・・でも珍しいわねコヨーテだって。それって二重人格なのかな?」
「わたしには分からないけど、ネバダから一緒に車に乗って来た人たちよ、そのテーブルに座っている年輩の方よ・・言っとくけど患者さんを連れて来たわけじゃないのよ。この子の名付け親になるかも知れない人ねベツレヘムの馬小屋に来た東方の博士たちよ。」
「そうなの。よく分からないけど・・挨拶させてもらうわ。・・ところその伝で行くと、私は誰かしら。」
「そうね、エルサレムの王女様ってとこかな。」
「なるほど少しだけ読めてきたわ。」
ジェーンはリンダと来客のいるテーブルに近づいて座っている二人にリンダを紹介した。二人のお客はリンダがここのクリニックの責任者だと知ると、立ち上がって握手を求めたが、驚いたようすの表情を隠すことはできなかった。若い、黒人の女性の精神科医に生まれて初めて会った驚きと好奇心は隠せるものではなかったし、彼女の知的な美貌は同じ黒人女性から見ても眼を見開くくらいであった。お互いに笑顔で握手をして挨拶を交わし自己紹介したあと、ジェーンは食事のメニューを見せながら二人の注文を待ったそのわずかな時間、庭の植え込みの垣根の陰ですばやく動くものが目に入った。ジェーンはそれが何かはっきりと覚えていた。あのコヨーテだった。あのメフィストフェレスだった。
「ちょっと失礼するわ」
そう言ってすぐに彼女が生垣の裏へ回ってみたもののコヨーテはすでに走り去っていた。いつもなら、えさのほしいときには離れた場所から立ち止まってこちらを伺ってジェーンの様子を見るのだがこのときは姿を消してしまっていた。少しの間あたりを眺めていたジェーンだがコヨーテが現れることはなかった。
「コヨーテも挨拶に来たらしいわ」
テーブルに戻ってそう言うとアリスとジョアンナは顔を見合わせて、何か良からぬことが起きるとでも思ったのか暗黙の会話をしたように見えたので、リンダは精神科医としての興味からアリスにコヨーテについて率直に尋ねてみた。
「ちょっとお聞きしていいかしら、精神科医としての興味から言うのだけれど、言いにくかったら答えなくても結構なんですが、コヨーテについてどう思っていますか。」
その質問にどう答えていいのか困った様子でしばらく首を傾けていたアリスの横でジョアンナが反応して
「ああ、そうねその質問は考え付かなかったわ、さすが精神科医ね」
と独り言のようにうなずいて、その答えを興味深く待っていた。
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