明日につなぎたい

老いのときめき

この人の生きる道は?

2011-02-05 12:49:31 | 日記・エッセイ・コラム

 

 この人、これからどう生きていくのか、全くの他人事だが興味がある。過日、政治資金規正法違反事件で強制起訴された元民主党代表、小沢一郎氏のことである。氏の周辺では常に億単位の不透明な政治資金が動く。ゼネコンからの裏献金、土地購入資金の出所、政党の結成、解散ごとに生まれる多額の使途不明金などなど。「自分は関与していない」「何一つやましいことはない」というが誰が信用するだろうか。政治不信を招いた罪は大きい。これからの展開がどうあろうと、この人への黒い印象はもう消えないだろう。国民は烙印を捺してしまっているように思える。

 

 こんな破目になっていることが分からないのだろうか。「離党も議員辞職もしない」「今後も議員として誠心誠意、一生懸命努力していく」という。秘書3人もが逮捕、起訴されているというのに。この人は『小沢主義  志を持て、日本人』(集英社文庫)の中で書いている。「他人に責任を転嫁することなく、みずから決断し、そしてその結果に対して責任を負う」「決断が間違っていれば潔く(いさぎよく)立ち去る」「僕が最も心配していることの一つが、社会全体にはびこるモラルの喪失だ」と。この言葉との矛盾を感じないのだろうか。責任転嫁をしたのは誰なのか、モラルに欠けているのは誰なのか。

 

 潔くというなら国会の証人喚問に応じて、政治とカネの疑惑について洗いざらい明らかにし、説明責任を果たすべきではないか。国会議員なら当然求められることである。それもできないのは政治家としてのモラルの喪失を意味する。政治家失格である。観念して別の道を選んだらと思う。「過ちて改めざる  是を過ちと謂う」。論語にある諺(ことわざ)だそうである。今までの価値観、金銭感覚も含めて、考えてきたこと、やってきたことを自己分析し、新しく生きる道を見つければよいではないか。その潔い志を求めるのは全く無理というものだろうか。まだ68歳だというではないか。


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