私がこのトンネルを訪れた時は何も知らなかったのですが、実はこのトンネルは・・・・!
16号、京急田浦駅より来ますと、途中脇道に入り坂を上ると前方にトンネルが見えてきます。
通行量はそれほど多くなさそうな感じがします。
実はここの「梅田トンネル」、横須賀市では軍用を除いては、最初のトンネルだったのです!
それも行政の手を借りず。地元の方が身銭を切って掘ったトンネルなのです!
時は明治19年、船越新田から田浦村および浦郷村にかけて、海軍水雷営と水雷修理工場ができ、
田浦、船越、浦郷の海岸はほとんど海軍用地となって上陸禁止となりました。今まで漁業で生計を
立てていた人はこの工場に通うこととなります。地元の方は、船を使うことができなくなった上に、
「谷戸」のけわしい山坂を越えなければなりません。
トンネルの必要性を感じた、地元の有志の私財により明治20年に素掘りで開通しました。
工事費の軽減から監獄の服役囚延べ4千人を使ったともいわれています。また、トンネルの
掘削で出た残土は榎戸の渡船場周辺から日向にかけての埋立てに利用されたそうです。
工事費は当時の四百八十三円で。労働者は延べ4025人に達し、一日当たりの賃金は平均
十二銭ほどだったそうです。一方、前後の道路工事に千六十八円六十銭かかったので、
あわせて千五百五十一円六十七銭。そのうち、地元の浦郷村の有志が八百円、近隣の
町村有志が、残りの七百五十余円を負担したそうです。( ふるさと横須賀より)
私が訪れた時は知らなかったのですが、浦郷側に「梅田隧道之碑」(大正4年建立)があります。
完成 明治20年 全長 204m 幅 5m
google画像検索→横須賀 梅田トンネル
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当ブログ横須賀のトンネル特集は→こちら
いやぁ~、私財を投入してトンネルを掘ってしまうなんて凄い話です。
それほど必要性に迫られていたという事でしょうか。
そうやって現在のトンネルを見てみると、今では主要道路ではない脇道のトンネルですが、
当時の地元の方が「どうだい、俺たちが掘ったトンネルは!」と
誇らしげに語りかけてくるような気がします。
梅田隋道は私の町です。良く良く調べてくださり、有難う御座います。とても嬉しいです。私も昨日、ライブドアではなく、もう一つのブログ(招待制)で書いたばかりです。私も横須賀、大好きなのです。軍港でもありますが、歴史の宝庫です。また、見させてください。なんか、感激です。
このトンネルは調べてみて非常に驚いたトンネルです。
地元の有志により素掘りで開通させたトンネルというのは凄いです!
またこの辺りをいろいろ探索してみたいと思っています。
まだ「梅田隧道之碑」を見に行っていませんので、
行ってきましたら写真を追加します。
大好きな街、横須賀を少しずつめぐりながら勉強しています。
これからも宜しくお願いいたします。
コメントありがとうございます!