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★十二所神社★ 横須賀風物百選巡り

2006-12-17 | ◆西地区
横須賀風物百選めぐり。今回は芦名にあります『十二所神社』へ行ってきました。
佐島方面からですと、天神島を過ぎ、芦名マリーナを通り、海岸から離れようとするあたりを左に入ります。


これが目印。この道を奥へ入ると・・・



鳥居が見えてきます。奥に見える階段の上が神社になります。


 
狛犬





階段を上って左手にあるのが拝殿。



百選の看板。以下写し。
『明治初期の頃までは、三浦十二天、または十二明神と呼ばれていました。
 祭神は、天地創造の神話に登場する、天の神、国常立尊から七世代、地の神、天照大神から五世代の神々です。
 神社の確実な創建年代については不明です。現在の大楠小学校、門前に城山と言われる台地があり、
そこに三浦大介義明の弟・三郎為清の館があったと伝えられ、その鎮守として、祭られたのが、
この神社であると言われています。
 また、一説には、この神社の裏山から、平安時代・末期の布目瓦が出土しており、
すでに相当規模の集落をなしていたことが、明らかになっております。当神社のいわれに
「平安時代には十二天といわれ」と、あることがうなずけます。いずれにしても、
古い歴史をもった、神社であることがうかがえます。
 寿永元年(1182)八月、源頼朝は、妻・政子の安産祈願のため、箱根権現や伊豆山権現など、
近国の十二社に、特使を派遣しました。この神社も、その一社に選ばれました。源平合戦・一の谷で
勇名をとどろかせた、三浦大介義明の子、佐原十郎義連が、頼朝に代わって、参詣しています。
 天正十九年(1591)十一月には、徳川家康から社領として、朱印二石の寄進を受けています。
 更に、文政二年(1819)三月十三日には、会津藩士・松平容家の代理として、
郡奉行・石沢義則が、盛大に祭りを行ったことが、記録として残っています。』



この『十二所』というのはそもそも何なのか気になり、少し調べてみると、鎌倉にも十二所という
地名があることが分かりました。神社が天神七柱・地神五柱の計十二柱の神様を祭ったところから、
十二所という地名ができたそうです。
そうしてみるとここ『十二所神社』も天の神が7世代、地の神が5世代祀られています。
十二の神々ということですね。他にも各地(新宿・姫路・武蔵村山など)に十二所神社があります。



拝殿左手の道沿いには、弘法大師が焚いた護摩の灰から作ったと伝える「帯解(おびとき)地蔵尊」が
あります。安産祈願に訪れる人も多いそうです。


さらに詳しく
Google検索→横須賀 十二所神社
Google画像検索→横須賀 十二所神社
当ブログ横須賀風物百選特集は→こちら

とても興味深いのが、源頼朝と妻 北条政子の子の安産祈願の為に、頼朝に代わり
三浦一族の佐原十郎義連が参詣していることです。三浦一族と源頼朝のつながりを考えれば
当然の事なのですが、頼朝亡き後、北条氏によって三浦一族は滅ぼされてしまう事を考えると
何とも言えないものがあります。頼朝を支え、鎌倉幕府を興し子供が生まれる・・・
時代としては一番いい時代だったかもしれませんね。

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