一度訪れてみたかった場所です。場所か分からず、地元の方に聞いて行ってみますと、
表通りからは1本入った裏道にありました。(地図は下になります)
富士見小学校近く、武山への入口にもなっています。
一騎塚という名前は、鎌倉時代建暦三年(1213)和田合戦の時、義盛に加勢した武次郎義国が、
ただ一騎この地から鎌倉に馳せ参じて戦い、討ち死にしました。
これを里人が哀れんで塚を築いて霊を弔ったという事からきています。
まず初めに目に留まったのが、この石。近くにある説明を読むと、石田波郷(はきょう)の句碑です。
「緑さす細田 掻きをり 一騎塚」 石田波郷
横須賀の文学碑もすべて回ってみたいと思っていましたので、嬉しい発見です。
(左)一騎塚の説明。クリックで拡大します。
(右)石田波郷文学碑について。読みにくかったので同じ内容のページへリンクしています。
句碑のやや上に、横須賀市内で最大の庚申塔があります。
3基並んだ青面金剛は迫力があります。
(左)庚申塔の脇の階段の上にあり武山不動の前不動の“不動明王像”
(右)さらに塚を登るとやや開けた場所に出ます。一番右にある「忠魂碑」。
他にも「聖徳太子塔」「富士山登山信仰地蔵尊像」「庚申供養塔」など、多くの塔や像があります。
一騎塚から街を。
さらに詳しく
Google検索→一騎塚
Google画像検索→一騎塚
なぜここにこんなにも多くの石造物が?と思いましたが、
この地が地域住民の信仰の重要な場所であったという事なのですね。
ただ一騎、応援に駆けつけたという武次郎義国。現代では“無謀”とも思えるその行動には、
鎌倉時代に生きる“武士の魂”を感じました。もう少し詳しく知りたくなりました。
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一騎塚の由来も判り、参考になりました。
たとえば、土地を開発する際どうしてもどかさざるをえないとき。
捨てるわけにはいきませんよね。
そこで、昔庚申様があった場所や祠があった場所に集めたのではないか?
と思います。
あとはそこがパワースポットだったりすると、大集合することもあります。
昔の人って不思議多いっすよね。
ていうか、私たちがわかんなくなっちゃったのかもしれませんね。
一騎塚の由来なんて今まで全然知らずに、過ごしてきたのが
ちょっと恥ずかしい気がしますね。
こんな歴史のある場所だったんですね。
たしかここに小さな公園があったと思うんですが
今でもあるのでしょうか?
昔はこの公園で日が暮れるまで、友達と遊んでいたものでした。
一騎塚は、私にとって子供の頃の思い出いっぱいの場所なんです。
武や武山の地名についての由来は諸説あるようです。
このあたりに“武一族”がいたというのは確かな事のようです。
本『横須賀人物往来』の中にも“武一族”について書かれています。
その他↓こちらにも由来についての記述がありました。
http://www.mmjp.or.jp/shogaigakushu/sub_new/10_news/08chimei/0508chimei1999_1-3.htm
横須賀各地の地名の由来について、調べてみるのも面白そうですね。
コメントありがとうございます!
なるほど、ここに石造物が集まっているのには、そんな理由があったのですね。
勉強になります。ありがとうございます。
確かに現代のように、物質重視の生活に偏ってしまうと、
そういったものを感じられなくなってしまうのかもしれませんね。
これから私も、そんな視点を持って街を見るように心がけたいと思います。
コメントありがとうございます!
私が行った時には気付きませんでしたが、地図で見ましたら、
近くに“3丁目公園”というのがありました。
こちらでしょうか?今度近くを通った時に寄ってみたいと思います。
この辺りはじょんびーずさんの思い出がいっぱいの、懐かしの場所なのですね。
息子さんも今ちょうどそんな時期ですね。
そういう思い出って大人になってからも忘れないもので、不思議ですよね。
コメントありがとうございます!