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Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

高額セミナーに行く前に、部屋を片付けろ

2017-09-30 | 楽しい・ワクワク

私の友人で、心屋仁之助という人にはまっている女性がいる。

その子の悩みの核心に近づきたくて、この人のブログを覗いてみた。要は、すべての原因を自分自身の心に帰せる というもので、たしかに一理も二理もある部分があるけれど、それですべてを片づける というやり方が乱暴過ぎる。「すべては自分の心のあり方が原因である」という内容のことを、悟りきった風情で、詩的に唱える。 んなわけねーだろw 深淵ぶった、改行の多用が無性にうざい。

スピリチュアルに違いなく、傾倒するのは危険である。

その子の家の中は、ものすごく散らかっていて、異臭がして、とにかく汚い。めちゃくちゃ汚い><

私は彼女に今度言おうかと思っている。

心屋の説教に傾倒する前に、部屋を片付けろ。もしよかったら、私一緒に片づけるよ?って。

自己啓発セミナー以前に、部屋を片付けろ。

その子、私に前言った。「いつもいい匂いがする」って。 だろうねw。だってこの家、すごく変な臭いがするもん><

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ホメオスタシスを脅かさない少しの変化

2017-09-26 | 楽しい・ワクワク

ゴムを引っ張って、手を放すと緩む。tension&release 緊張と解除 は至る所でみられる、普遍性をもった法則である。

自己啓発などが、その時だけ高揚感をもたらし、間もなくするといつもの通りに戻るのは、普遍の現象である。

人は、いつものパターンに戻りたがる という性質を本能的に持っている。ホメオスタシス( 生体恒常性)である。

今までの状態というのは、それなりの理由があって、そうなっている。

例えば過酷な家庭環境で生きざるを得ない子どもが身につけた脳内処理方法が、その時はたしかに生きる術として機能したとしても大人になって、当人を苦しめ、人生に支障をきたす ということは、よくあることである。その時は、その子を防衛しなんとか生かしたやり方が、大人になってその子を苦しめ続けるのである。

今までの方法や状態が、自分の望みを阻害している場合、変化を起こしたいと思う。

しかし自己啓発的な唐突な変化には必ず、抵抗が起こる。これはホメオスタシスがはたらくからである。今までの文脈、where Icome fromをほっぽり出して横から唐突な変化を起こしても、一時的なアドレナリンの大放出はあるものの、やむなくして今までの状態に戻る。

そこで、私が思うに、今までの状態が自分にとってよくないものとなっている場合、めざすべきは変化でなく、進化である。進化は、今までの文脈を無視したりしないが、今までとはなにかが違う というものである。

抵抗を脅かさない、小さな違いを施すこと これが重要なことである。

自己啓発的な劇的な変化は、tension(緊張)であり、どこか不自然さ、無理やりさ、とってつけ感 があり、これに対しては漏れなく抵抗で返ってくる。

抵抗が発動しない、小さな違いを与えることで、ホメオスタシスが自然にスライドする

のを図るのがよいと思う。

tensionによる駆動は、うまくいかない。

しかし、世の中は、文脈を無視した、大きな変化への号令であふれている。振り子たちが、今までの状態の否定と今すぐ劇的に変化しろという駆り立てを絶えずしている。「そのままではいけない」「それでは不足だ」「これがあれば変わる」というメッセージを至る所に散りばめている。資格などもそうだろう。

tensionで、本質的に変わる ということはありえないように思う。

where I am standing on を無視したいかなる試みも、一過性のアドレナリン放出とともに、散って消えて行くだけである。

今までのやり方、パターンに少しの違いを与える 抵抗が発動しないように、静かにこっそりと。

猿が道具を持った瞬間を、映画は劇的なシーンとして描くが、実際には、猿が石でコツンとやっただけで、そこになんのtensionもない。でも、そこから決定的な違いが始まったのである。

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respect

2017-09-10 | 楽しい・ワクワク

私は家で引きこもりをしているが、家にあった贈り物の綺麗なエプロンを服の上に着るようになって、その優れた効果を感じている。

それは、日常生活をrespectすることと繋がっている。家の中でも唇を色づけるのも同じである。

(参考:ハレ と ケ という概念は間違ってる 覚醒状態への入り方) 

母は、仕事が忙しく、社会的活動にも心骨削って献身していて、家庭での日常生活をrespectはしていなかった。今この時に感じていること(vibrationと呼ぶことにした)を大切にしない人だった。また共働きで、父よりも仕事は多忙で給与もやや上であったが父が一切家事をしない(福岡男には当然のようにまかり通ることである。しかも父は、差別や格差に反対する立場の人なのに…このダブルスタンダードも、九州ではよくあることだ。)ので1人でやっていた。しかも、そこまで完璧にしなくていいのに、母も生まれ育ちによる思い込みがあり、料理なども手を抜かなかった。でも、どうしても、やっつけ仕事を完璧にやったような、苦い胆を嘗めてるようなキリキリ感があった。家事が「労働」であると女性の運動家たちは言い、母も私にもよくそう話していた。もちろんその通りで、家事は労働である。異論なし。

でも、私は母を見て育ったせいで、家のことは「やりたくないこと」「面白くもなんともないルーチンワーク」という意識を自分の中に巣食わせてしまっていた。私は元々、家事・house keepingが嫌なことという意識を持っていなかったように思う。人の暮らしぶりなどを見ることにすごく興味があった。家は、自分の基地 コックピット、小さな城 それを工夫して創っていく という考えに共感し魅かれる。かといって、家事を完璧にすべきだとは全然思っていなくて、私はどんな時にも決して手を抜かなかった母と違って、手を抜いていいと思っている。そのことと、家での日常生活をrespectする、謳歌することは別個のことである。

綺麗なエプロンは、家事をrespectすることの表現であり誘導になる。

ナイトウェアを大事にするイギリスの生活文化も、同じように、家で過ごす夜を大切にするという習慣であり、とても魅かれるものである。

いつ着るかわからない冠婚葬祭用の服を、高額な金を出して買ったり、人に見られる場でだけいきんだりするより、家の中でどう過ごすかを大事にしたい。

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調和した佇まい

2017-08-23 | 楽しい・ワクワク

いじめる人が悪いのは自明のことである。いじめられている人にその責任を帰すのは筋違いであり、甚だしい甘えの勘違いであることは予め記しておきつつ、

私の体験を踏まえて、いじめられない空気の纏い方について書きたい。

重ねて、いじめられる人に責任を帰すものではない。行為の責任は、他人にはとれず自分にしかとれない。いじめの責任は、それをやってる人にのみある。ヒト科の猿人たちの反応傾向から、私はいじめられない方法を知って行った。いじめられる人に、少し役に立つことを期待して。

無理しない 

自分のできること、できないこと、選択すること 選択しないことと向き合い、自分に似つかわしくないことをしないことだ 無理に似つかわしくないことをすると、不安定さが漂い、猿人たちはこぞって攻撃してくる ふさわしくないことを強いられる場所なら、"I'm not for here" といって関わらない。例えば、私は不器用で、洗練された立ち振る舞いとかばれない作り笑顔とかできなくて、(雅子さんも同じっぽいw)自分でわかってるし、それにコンプレックスももってない。自分の個性として。自信と言ったら力んでるけど、不器用な自分をありのままに思ってる。それを無理して演じたりなどすれば、たちまちその人の纏う空気は窒息感漂うものとなり、意地悪な女達から攻撃の的にされるだろう。

自分が、それをなんら悪いとか恥とか思っていない この態度が大切だ。

それ如何で、猿人たちはいじめてきたりこなかったりする。

例えば、私はつるまず1人でいる。そのことが平気である。誰かと上手に塗り固めるうわべの会話ができなくても、群れから外れていても、そのことで劣等感などない。沈黙が悪いと思ってない。私の大切な友人は、人と上手に塗り固めの会話ができないことで、自分をコミュ障と言ってびびっている。その不安に漬け込む意地悪な女たちが彼女を弱い者いじめする。彼女は私にそのことを相談する。私は、上に書いたことを助言している。

喫茶店で働いていた時、お盆に複数の珈琲やケーキを乗せて配るのはとても難しかったが、不器用なのを隠したりせずありのままでやっていた。(もちろん誠実にだけど)そうすれば、自分の居場所はできる。無理に演じることはないのだ。不器用を許してくれず型を押し付けてくる環境なら、I'm not for hereだ。

喫茶店のウェイトレスは自分のなかなかの適職だと思うが、「イケてる店員」を押し付けてくる店なら、1日でも無理だからそんなとこには身を置かない。(そういう店員って寒いんだよw)

素敵な服装をするのは好きだけど、流行の物を買ったりしない。バッグ、服、アクセサリーは世代継承した、気に入った物をよく使っている。電車の中で読む本のカバーは、菓子折りの包装紙で気に入ったのを再利用したものである。菓子店の名前と住所とか書いてあり、テープ痕とか折れ目とかある。私は自分の気に入って着ている服装や使っている持ち物になんの引け目もない。でも、見栄っ張りのカッコつけだったら、絶対こういう物は使わないだろう。虫食いをパッチで繕ったウールのセーターもそうだ。

自分がそれになんら引け目や恥じる気持ちなく自信満々で安心していれば調和した佇まいになる。

そうすると、他の見栄っ張りのカッコつけの人達ができないことを、あっさりとできる。例えば、母国では食べきれなかった料理を包んでもらって持ち帰るのが当たり前の人が、日本のレストランで「包んでくれる?」と求めたり。自分のキャラというのかフレームというのか、纏う空気が、それをごく自然に許すのである。

大学生の夏、川で女友達と2人、下着姿で泳いだことがあった。最初、かたわれの風来坊みたいな女の子(こいつ考え方がフランス人っぽかったなw)が、服を脱いで、ブラジャーと下着だけになって川に入った。通りがかる人たちがいるが、その子は風来坊だから、全然不自然じゃないし、変にHじゃない。その子が、私も来い一緒に泳ごうと誘った。私は、「え…><だって…」と躊躇すると、「●●ならOK、大丈夫。」と言った。なにが大丈夫なのかは知らないが、風来坊に太鼓判を押してもらい、キャミソールに脱いで泳いだ。(下は下着にはならなかった)

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フランスの文化

2017-08-16 | 楽しい・ワクワク

フランスの文化を紹介する本を読んでいて、おもしろい。

日本に馴染めない私のような人は、外国の生活文化、社会について知るといいと思う。

日本にいて自分にも染み付いている意識を、当たり前じゃない、狭い日本の考え方だと気づくと面白い。

日本で当たり前になっていて自分を苦しめている意識を、いともたやすく否定してくれる。

例えば、女は母親になったら、「子ども中心の生活になるべきだ」などと、「こうあらねばならない」という社会的な期待、要請、圧力がとても強く、これが母親を苦しめ、追い詰められてキレてヒステリーを起こす母親や最悪の場合自殺する母親をつくる。それなのに日本人たちは、そういった考え方を、生活者同士お互いに強いて、自分たちの首を絞め合っている。まことに見苦しい現象であり、僻みの強い民族だと感じる。

でもフランスでは、母親になったら「子ども中心の生活になるべきだ」などとは全く思っていない。よく、日本で「あの人は結局、女を捨てられなかったのよ」と言ったりするが、私はいつも思っていた。なんで、捨てないといけないのかって。

ただ日本には、自分にとって追い風だとみた考えには浅ましく飛びついて、根幹となる思想もなくいい所取りする節操なしのバカ女が多いから、こういう話をするには注意・配慮が必要だが、日本の考え方の前提がそもそもおかしい ことを、あっさりと気づかせてくれる。

(※日本の主な潮流の中で、それに沿わない行為をする場合、それは多難で険しい道になるだろう。猛烈な僻みの迫害を受けるからだ。また子育てにおいて、子どもに十分な配慮がないまま、親が社会の主流と異なる行動をしたり、子どもにさせたりする場合、どちらが正しいおかしいにかかわらず、子どもを板挟みにさせ、強いストレス・葛藤を起こさせることを、心理学の観点から特記しておく。)

フランスの社会、文化を知っていくと、日本との知性の圧倒的な差を思う。

日本の女は、とにかく自分だけが1人勝ちできれば 自分だけが幸せになればいい、いい所どりしたいという意識の上で、既にあるおかしな制度や文化土壌から自分に益を引こうとする、我田引水女が多い。特権があればすごい勢いで乗っかってくる。そういうのを、私は猿っぽいと言う。私が見た女たちはほとんどこの類であった。「大学出ても、知性も教養もない女性」という日記も書いた。中国や韓国を見下せるような立場に全然いない。

フランスでは、自分がどういう社会を望んでいるか という立場から行動を選択する という精神が見える。社会を自分達で作る という精神が。

また日本では、自立=経済的な自立となっていて、経済的に自立していないと、強い劣等感が常に横たわることになるが、フランスでは自立は、経済的なこととは関係がない そうだ。こういうことを、あっさりと言われると、びっくりする。

もっとフランスの社会を学びたい。

色んな自己啓発の本があるが、そういうのを読むよりも、自分に希望の光を見せてくれるものについて調べたりして追究した方がいいだろう。日本で染み付いている意識の中で、願望をイメージ とかリフレーミングとかやったって、凝り固まった意識の中でやっているに過ぎない。

そうでない他の価値観について知るのが、自己啓発の手法を実践する前にやるべきだ。

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当たり前を疑うと、面白い

2017-08-06 | 楽しい・ワクワク

引きこもっている私は、色んなことを調べたり学んだりしている。

当たり前と思ってきたことを覆す情報をである。英国やフランスでの生活文化を学ぶだけでも、日本での当たり前が、全然当たり前でないことがわかり、日本に違和感ばかり感じている私は嬉しくなる。例えば、日本ではケチケチと形容されるような、合理的な行為、経済的な行為を、フランス人は当然のこととしてやっていて、それは笑われたりけなされたりするものでは全くないのだ。日本の大量消費社会、見栄っ張りのカッコつけとは違う文化である。日本でケチケチ生活とか言う場合、そのけなしで得をするのはものを売りたい人達である。それなのに、生活者の立場の人が、同じ立場の他人の行為をケチケチとか嘲笑する。誰に媚びているのか。

私たちが当たり前と認識していることが、全然当たり前でないと知るのは面白い。

灰色に見えていた「日常」が透明感と色彩を取り戻した。生活の、ほんの些細な行為でも、そのやり方やパターンを当たり前と思わずに、変えてやるのが面白い。刷り込まれた思い込みを、はがしていく。

例えば、「化粧水」とか、売っているものを買うのが当たり前になっていたが、レモン汁や重曹の水割りや酒などを使った方が、むしろいいのではないか とか。最近は、アルコール水を顔にスプレーしている。宣伝の渦にまんまと入って、市販品を買う頭しかなかったが、実は、家にふつうにある物でケアした方が綺麗になるのかも とか。振り子は、売りたい物が売れなくなるなら本当のことを話さないで、注意をミスディレクトしてくる。車が水で走ることを発見し、世に普及させようとした人は、暗殺された。

精神科医こそ、当たり前や常識を超越してみるべき人種だと思うのだが、私が見た精神科医は全員、当たり前を強く信じ込んでいる視野の狭い人であった。日本の精神科医の書いた本でも、当たり前への思い込みが強いジジイの書いた本は、読んでいて苦痛で不愉快になってくる。人の分析よりも、己の分析をして、猛烈な囚われを自覚して欲しいものだ。

当たり前の沼から抜け出して、もっと自由に生きれるようになりたい。

変性意識をコンフォートゾーンにしたい。子どもの時は、そうだった。

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もう、物は買う必要がない

2017-08-01 | 楽しい・ワクワク

先日、自分のもっている服を点検して把握した。

大学の頃買った服は、今でも着れる。中高生の頃の服で、今でも残って現役で着ている服がある。デザインとか気に入らないのを、うかない顔して無理に着ることはないが、ふつうに着れるから着る。(私、後で着れなくなる服選ばないし)この先も、体型は変わらないから、私は一生服を買う必要がないことがわかった。靴も、一生、買う必要はないかもしれない。バッグ、帽子も。この先まったく買わないと宣言するものではないが、物理的には必要ないことは知っておきたい。

他にも、家の中を見渡して、消耗品以外物を買う必要はもうない。Well-Kept(よく手入れ)されたものが私の心を満たすのだから、ほつれたり、破れたりしたら、縫えばいい。毛糸の服も、虫食いに遭ったら、パッチして繕えばいい。一ヶ所虫食いに遭ったら終わり という考えが、どうしても私は馴染まなかった。見栄っぱりよりも、Well-Keptの方が、素敵でイケてる。

こんな格言がある。「必要なものは、すべてある。どこにあるのかわからない」

必要な時に、物が出せるように整理・管理しておけばいい。私はどんなコアな書類でも、必要な時にすぐに出すことができる。アクセサリー、服、あらゆる物の居場所を決めて、管理する。物が捨てられないなら、一度、自分の物をすべて居場所を決めて整理してみるとよい。

自分がどこに何をどれだけ持っているか把握できていれば、余計な物は買いにくくなる。物を買うということは、家に物が増え、生活が複雑になり、心理的負担が増えるということだ。メリットよりも、デメリットが大きいので買わない。

私の生活に足りないものは、グランドピアノぐらいだ。他は、足りてる。

この世の中には、物を買わせようとする振り子たちが幅を利かせているから、買わせない振り子の加勢をしたしだいである。捨てろという振り子も幅を利かせているが、これは結局買わせようとする振り子と連動していることが考えられるので、捨てるのは煽られてしない方がいい。

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すごく楽しい時間

2017-07-30 | 楽しい・ワクワク

うちに、友達が2人遊びに来た。

私達は、お互いに仲間であり、いい友達である。彼女たちはまともな人で、地味な恰好をしていても精神が上品だから、この社会(特に福岡)では踏み散らかされ食い物にされる役回りになる人だ。だから互いによく、話が理解できる。この中で、私が一番汚れている。私は、かつてこの2人のようだったけど、苦しや哀しみや傷つきを無数に繰り返して、随分すれた。この人たち見てて、「なんでそんなに清らかなままなの?」と思う。彼女たちは、今でも踏み散らかされているのに。でも、私はクズ相手にはそれなりの対応をするが、そうでない人には、本来の姿勢で通じるからそれで臨んでいる。

一緒に、うちで話をしたり、ピアノとバイオリンを合せて弾いたりして、とても楽しかった。

こういうのをなんと呼ぶのだろう。

この、安心して、温かくて、信頼できる人間関係のことを。きっとフランス語あたりだと、あるんだろうな。呼び名が。どうして、空気までがまるみをおびて、幸せなうすピンクとうす水色になるんだろう。どうして、空気の質が、こんなにも変わるのだろう。

社会の人間関係がこんな風だったら、誰もうつ病にならないのに。

私は、そのバイオリンを弾く子と一緒に組んで音楽を演奏することにした。私たちは、とてもいいコンビ。よき友達だから。

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意識と無意識が同じ方向を向いてるなら、清々しい

2017-07-26 | 楽しい・ワクワク

前記事でも書いたが、(参照:福岡の病院で根強い、患者に対する上下意識)意識と無意識が一致していない人の行為は、私に頭痛を起こさせる。
意識では、自分はいい人のつもりやさしい良識ある人のつもり でも無意識では、強い上下意識で相手を自動的に下に見ている。看護師など医療スタッフの患者への行為に、本人気づいてないけど如実にあらわれていることがよくある。

でも、意識と無意識が同じなら、潔くてすっきりしていていい。

この前、田舎の小さなJAガソリンスタンド(給油が1台ずつしかできない牧歌的なGS)に入れに行ったら、店番のおっさんが、知り合いっぽいおっさんとしゃべっていて、目の前で気づいてるのに放置した。待っていても、ずっとしゃべってるから、私は(女だからなめてんの?)とか思って「ねえ!早くして?!」って車の窓から呼んだ。

するとおっさんはこっちを見て「知り合い」と言った。だからなんだと言うのだ。その知り合いのおっさんが客の対応を促したので、やっと来て、面倒臭そうに給油して、レシートないから領収書をくれた。私は、その内容を確認した。リッターいくらかな、まさか私への腹いせにぼったくってないよねとか。そして車を出すと、「早く行け!バカ!」とそのおっさんが、車(私)に向かって言った。

私は、車を走らせながら「なんて店員?!JAみい め。あんなクソジジイを店番におきやがって」「客にバカって、最悪!」「接客業として、ありえない!苦情言おう」などと思っていた。

でも、途中で笑いに変わった。

ここまで我が道いく、アメリカ西部劇のワンシーンのような自由な荒くれ者のおっさんは、「もういいや」って。この人に日本の接客の常識とか、もういいや。この人は、資本主義、能力主義、競争社会 常識 そういうのに入ってない、土埃の匂いのする風来坊のおっさんなのだ。

そして、その突き抜けた天晴さに、大笑いに変わった。

意識と無意識がロンパっているのに気づいてない良識ぶった人よりも、こいつの方が好感もてる。こういうのは私がいつも揶揄する「田舎猿」とは違う。本物の、クロマニヨン人だ。それなら、いい。

「早く行け!バカ!」か。

しかも、私JAカードとか持ってなくて通常価格のはずなのに、会員価格にしてくれてたことが後でわかったwお前、ええ奴や

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No97% Yes3% in Japan

2017-07-24 | 楽しい・ワクワク
若い時に犯した、最大の過ちから、(参照「自分を説得しないといけないなら、それはあなたの物ではない」②)選択については、私の大きな関心事になっている。選択とは、生き方への問いである。

経済的に自由ならば、また全然違ってくるだろうが、私は貧乏人なので、選択の大きな要素に値段 という制限がかかってくる。中古グランドピアノ選びの時がそうだ。歴史と芸術を感じる素敵な佇まいで、鍵盤もタッチも私好みで、音がよく鳴る中古のベヒシュタインがあっても、¥680万ならそれは「私の為のものだ」とは思わない。私の貯金通帳を著しく圧迫するなら、どんなものでも「Yes」とは思わない。私がお金持ちだったら、そのベヒシュタインをちょっと触っただけで「Yes」と思うだろう。

お金が物を言わない選択なら、瞬時に内なる声が「Yes」か「No」か見分けることができるようになったと思う。例えば、人 とか。昔の大きな過ちがあったから。日記だからありのままを書くのだが、福岡で「Yes」と感じる人にあまり会わない。福岡人を見ていると、どんづまり感を感じて苦しくなる。Noをひねり潰してYesに無理やり仕立てあげる欺瞞に満ちた福岡では呼吸がしにくい。また、ある場所には私がYesと感じる人達が集まるというのがある。例えば天文台とか、科学研究所とか。

では、私が特にNo と感じる人達が多いのは、病院 弁護士 裁判所 警察 検察 医学部 とかで その他日本においてはだいたいNoと感じる。

だから、Yesと感じた出会いは、とても貴重である。
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「自分を説得しないといけないなら、それはあなたの物ではない」②

2017-07-24 | 楽しい・ワクワク
私は、森が好きだ。

木がたくさんあって、木や葉っぱや虫や川など自然の音でざわついている所が好きだ。

そんな場所に建っている文化的な館に入ると、ドキドキワクワクする。これは昔からそうだ。例えば、森の中にあるコテージや、珈琲店や、天文館、美術館、音楽館などである。

人や人工物の多すぎる場所ではなく、森や湖があって人の灯がある場所に魅かれる。こういう場所にいると、内なる自分が「Yes」という。もし、こういう場所にずっといることができるなら、私は「Yes」と言うだろう。

不思議なもので、人が神経をとがらせて敵対的にひしめき合っている場所では、その感情たちが電気でも放つように、迫り伝わってくる。負の電磁波 とでもいうのか。しかも、それは互いに影響し合って増大する。そしてその場で振り子ができる。知性のない流されやすい人達がその場の構成員である場合、振り子がすぐにできる。

森は、人が少ないから絶対的にこういう現象から逃れることができる。森にカルト教団を建てた場合は別だけど。

今まで引越しをたくさんして住む場所を選んできたが、自分を説得して決めてきた。長所を並べ、短所も整理し、総合的に決断をくだす みたいな。でも、このことは私にとってとても不自然であった。どれも、頭ではベストな選択をしたんだと考えても、内なる声は「No」と言ってきた。(参照:「自分を説得しないといけないなら、それはあなたの物ではない」

昔、私はその中でも最たる過ちをおかした。パートナーのことだ。

学生時代に知り合いはじめて交際した相手で年下の男性だ。理性や第3者的な一般論では申し分のない、完璧すぎる彼氏であった。社会的にも上手で、安定感があった。私と逆だ。私がいろいろと能力がないのを、彼はカバーして私には「できないことはしなくていい」と言って、なにも要求しなかった。「そんな男性は滅多にいない。出来過ぎた彼だ」と他人の口から言われた。

その人は、私と一緒にいたいと言って、私はその人と一緒にいた。でも、心から楽しい と感じることはなく、私の表情も魅力的じゃなかった。当時若い私は、心から楽しい と感じ一緒にいたい と思う関係を、知らなくて、他の可能性を欲しがったり試したりもしなかった。ちなみに性的なことは、どうしてもできなかった。それさえも彼は受け容れて、それでも一緒にいたいと言った。当時は、私が性的なことに欠陥があると私も彼も思っていた。(でも実際は、彼とはできなかっただけである)そしてその人と結婚する話になった。彼は、私のことを愛しているし、彼ほどに愛を注いでくれる人はいないだろう と考えた。周りもそう言った。また、彼が最初の相手で、なんにも知らなかったから というのが大きい。すると、いよいよ土壇場になって、頭が割れる程の激しい頭痛にみまわれた。

結局、結婚は破談にした。本当に申し訳ないと思っている。その時に、彼は私の行く末を心配して、自分なら私に不自由ない生活を提供できると言って引き止めたが、私は彼と別れた。

たしかに彼の案じた通りの「地に堕ちた」状況になったが、それでも彼を選ばなかったことに後悔はなくただしかったと思っている。あの後、人との出会いで、心から楽しい と感じることや、一緒にいたいと思うことがどういうことか、知った。

重要な選択の局面で、頭での思考が、内なる声と程遠く解離しているまま押し通そうとする時、それをさせない最後の手段を、内なる力がしてくる。

犠牲になるものが少ない、小さな選択なら、この激しい抵抗は発動されない。例えば、私にとって全然資産(人生を豊かにするもの)じゃないのに在庫処分の全然ぐっとこないし要らない物を買う時とか。(今ではそんな買い物はしなくなったが)
でも、その選択と引き換えに払う代償が莫大である場合、激しい抵抗が発動される。これは、私の意識による思考を超えた、賢明な力が起こすものである。

映画「君に読む物語」は、強烈に問いかけてくる。What do you want?って。
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「自分を説得しないといけないなら、それはあなたの物ではない」

2017-07-21 | 楽しい・ワクワク
選ぶ ということにまつわる術は、私が興味を引かれることである。

選ぶことは、自分への問いかけであり、おおげさかも知れないけど、生き方そのものだ。

何かを自分の為に選ぼうかと検討する際、「自分を説得しにかかり、優れた点を雄弁に並べ立てて言い聞かせている自分に気づいたら、それ以上執着せずに手放しなさい。それはあなたの為の物ではないから。」と書いてあった。

「選択する時に、悩んではいけない。感じろ。/それがあなたの為の物なら、「これが欲しかったものだ」と思うだけ。/ちょっとした不安感や気詰まりや、疑念や重苦しさが少しでも胸をよぎるなら、それはあなたの為のものではない。/それがあなたのものならば、自分を説得する必要はない」 って。とても興味深いし、きっとその通りなのではないだろうか。

これは、不動産や住む場所やパートナー選びにも言えるだろう。

実は、先日こんなことがあった。私は中古グランドピアノを探しているのだが、ディーラーから電話がかかり、「あなたの予算内でいい中古が入ったから、真っ先にあなたに知らせる。なにしろ音が、すごくいいんだ。状態もすごくいい。金持ちが弾かないのに買って、長年放置されていた」と。すぐに車を走らせ見に行った。

最初見た時、テンション上がらなかった。私の好きな鍵盤じゃなかったから。私は、プラスティックの工業製品っぽい(欧米人が日本製ピアノをこう揶揄する)鍵盤にどうしても燃えない。芸術性が感じられない、詩的さがない、プラスティックの大量生産な感じが、味気ない。

弾いてみると、音がとてもよかった。ひんやりして、ブリリアントで、でも金属音じゃない、KAWAIの音。でもこもってない。たしかに、すごく音がいい。タッチはプラスティックで軽くて好きじゃない。私は、音がいいとMyWayを弾きたくなる。手さぐりで適当に弾く簡単な曲だが、音がいいと、MyWayがとても詩的に聴こえる。

華麗でロマンチックな曲で試弾するより、器しだいで深遠に鳴ったり、粗末に聴こえるだけの曲の方が、音がわかる。

私は、自信満々のディーラーの期待の前に、顔がくもり、決断に迷い、しまいには激しい頭痛がした。

私は、色んなことを頭で考えて葛藤して頭痛がしているこの状態は、「これは私の物じゃない」ということだとして、買わないことを選択した。もし私の物なら、「Yes」とだけ思うだろうって。

昔、神戸のお金持ちの男性の邸宅拝見をTVで見た。妻も映っていたのだが、画面越しでもはっきりと、全然幸せでないのがわかった。くもった顔、すっきりしない顔、自分にも他人にも言い聞かせている顔をしている。きっと、頭で「優れた点を雄弁に並べ立てて」選んだんだろうな って。内なる声(魂と言ったりする)は全然「Yes」と言ってないのにそうやって選ぶと、こんな顔して生活することになるんだな って思った。

条件とかメリット とかで選ぶことが馴染まない。優先順位 というのも、私にはどうしても馴染まない。そのカッターナイフみたいな言葉で、この世界を直線的に切り刻むのが、傲慢に見える。お前何様だよって。元同僚は、年収をはじめ諸条件で絞り込み検索して結婚して、満足そうだった。あれから年月経ったけど、今でも満足だろうか。

「Yes」って感じるピアノと出会いたい。
私、知ってた。あなたが私の人生の中に入ってきて、相棒になることを。 みたいな
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どんな人がこれを読んでるのか

2017-07-20 | 楽しい・ワクワク
この日記を放置していたら、「楽しみにしているから更新して」と言ってくれた人がいて、うれしい。今は引きこもっているから、よく更新している。
どんな人が、私の日記を読んでくれているのだろうか。
コメントは、福岡の記事に集中してつく。どんな検索ワードで私のブログに来るのだろうか。調べ方がわからない。

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牛乳をこぼしたら、床がきれいになる

2017-07-19 | 楽しい・ワクワク
先日、牛乳を木の床にこぼしてしまったから、拭いた。
すると、床がいい感じに照り光ったので、もしかしてと思って調べると、やっぱり。

英国では、牛乳を入れたぬるま湯で家具や床を磨いたりするそうだ。牛に申し訳ないが。

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私は、持っている物を大事に永く使うという英国家庭の文化に共感する。

Well-Kept(よく手入れされたもの)と一緒に暮らすと、癒される。

人が既に持っている物を否定したがり、買う必要のない物を買わせようとする振り子に扇動されずに、踊らされずに暮らしたい。

今持ってるものを否定して、最新式のを買わせたがる扇動であるが、言ってみれば、質においても、最新のが優れているとは全く限らない。

私は中古グランドピアノを探し求めている者だが、楽器においてはこれが典型的に言える。時代背景によって、製品の質は左右される。グランドピアノなど、よっぽどの金持ちの家にしかなかった時代に造られたものは、使っている物が上等でしっかりしてる。時代が進むとともに、質や性能が比例して良くなるとは全く限らない。だから、ピカピカに光って「高性能」「最新」と訴えているからと、騙されないようにしたい。

私が今まさに使っている木の机も、実家のいつの代からあるのか知らない年季の入った古い机であるが、とてもしっかりしていて大変気に入っている。昔からの物を使っていることで感じる満足感がある。

買うな というのには賛同するが、捨てろ捨てろ というのには賛同できない。無責任だ。一体、捨てろとまくしたてる人達は、どうしてそうおせっかいを人々に言うのだろう。捨てろ と社会に発信して得する振り子(買わせたい人たち)の寵児になっているのだろうと思うほどだ。

また、捨てる時期というのが個々人であるから、人に尻叩かれて捨てると、後々で後悔したりする。

私は、服やアクセサリーが好きで、若い頃色々買ったから持っている。あの時は、時めいて、わくわくして買うのだけど、時めきは長くは続かず、自分の物として定着して最初のわくわくはなくなる。(でも、今でもそれらを大切に着用している。体型、変わらないし)

人が買う時、「差」を求めている。持っていない状態 と 持っている状態 の差 である。差 を味わえるのは一時で、やがてその差はなくなり、たんすや収納ケースが圧迫されていく。自由になる と差によってわくわくするが、自由である のはそうでもない。(私、ひきこもりで、全部自由時間…w) 差 を求めていたら、きりがない。

どうして、人は 差 を求めるのだろうか。
今の状態が ダメ だと思ってるから。本当に、ダメなんだろうか。
買い物依存の人は、物を買い続けても満たされない。逆に、多くの物を把握・管理しないといけない心理的負担(プレッシャー)、居住スペースが狭くなる物理的負担が増えていき、満たされた気持ちとは逆になる。たんすがパンパンだと洗濯物がさっとしまえないから、置きっぱなしにして部屋が汚くなり、住環境が悪くなる。

どうして買い物依存の人は、絶えず買ってしまうのだろうか。心が満たされないから、買うのだろうが、買っても満たされないのだから、満たされない原因に対処した方がいいだろう。

どうして、買ってしまうのだろう。

大切な人を失くしたとか、夢中になれる活動をしていないとか、人との楽しいつながりがないとか、個人的な辛い事情のある人もいるだろうが、巨大な振り子による扇動、洗脳というのが大いにあるだろう。

これを買えば、素晴らしいあなたに変わる、素晴らしい生活が開ける とか。

そんなこと、ないからw 

でも、これは言える。Well‐Kept(よく手入れされ維持されたもの)と一緒に暮らしていると、心が満たされる。穏やかで、満ち足りて、やさしい気持ちになる。
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振り子たちの扇動に乗らない生活②

2017-07-16 | 楽しい・ワクワク
振り子とは、企業、政治、宗教など、意図をもって人々を動かそうとする圧力のことである。
(振り子たちの扇動に乗らない生活:
http://blog.goo.ne.jp/tigerlily0804/e/f154f8a8a0ada19ec8512581ddf07186

外国の高級ブランドの広告塔は、欧米人であることが多く、その広告が扇動するスタイリッシュなファッションに憧れ、いきんで買い物をして、武装して街を闊歩する日本人女であるが、本家のフランスやイギリスでは、日本人ほど踊らされていないのである。

私は、これらのギャップを見るたびに、高級ブランドの広告は、そんなコンプレックス丸出しのアジア人(特に日本人)をカモって扇動しているのではないかと思うのである。田舎猿ほど、外出する時に完全武装していきまいてるのと同じで、本家の女性達は、そんなに踊らされていない。(※私は田舎の住民であり、田舎に満足して住む人のことを蔑視していない。ただ、必死で都会人きどりをして猿芝居をしている者に対して田舎猿というのである。)扇動されまくりの日本とは違う、イギリスやフランスなどの外国の生活文化を学ぶのはとても有意義だ。

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振り子たちから思い込みを刷り込まれ利用され搾取されずに、過ごしたいと思う。

まず、衣食住について落ち着いて考えてみたい。思いつく順番で、徒然にかいてみる。

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【服】

今いる九州のど田舎において

4月後半、5月、6月、7月、8月、9月、10月半ば  6ヶ月/年は半袖の夏服を着る。

11月後半、12月、1月、2月、3月前半   4ヶ月/年 は冬服を着る。コートも着る。

3月後半~4月前半、10月後半~11月前半  計2ヶ月/年 は中間的な合服を着る

この事実をまとめると

・人生の1/2は半袖の夏服で過ごす。
・人生の1/3は冬の服装で過ごす。
・人生の1/6だけ中間的な合服で過ごす。


ことが判明した。

気候の違う場所に引っ越した場合、比率は変わるが、現状で服装の比率を単純計算すると、夏服が50%、冬服33%、中間服17%となった。冬場は汗をかかないため頻繁には洗濯する必要がない、夏は頻繁に洗濯をする などの違いはあるものの、上の比率を基本において、服の管理をしようと思う。

【虫対策】
ど田舎の家に住んでいると、虫との格闘が生活において必至となるが、キンチョールのような殺虫剤があればいい。家にある台所用洗剤消毒用無水エタノールを併用すれば網羅できる。エタノールがなければ、度数の強い焼酎やスピリッツなどのアルコールでもよい。※エタノールは、家具の艶出しなどの塗剤を溶かしてしまうことがあるので、家具にかける時は注意が必要だ。

コバエ、ムカデ、ゴキブリは、上記の物で事足りる。キンチョールももしかしたら要らなくて、洗剤とエタノール(強めの酒)で事足りるかもしれない。夏場は常備していないが熱湯があれば、事足りる。よって、殺虫剤をいろいろと揃える必要はない。

【虫発生の防止】
庭に生い繁っているハーブをつんで、虫の発生しそうな所に生ける。虫は、ハーブの匂いが大嫌い。

【掃除】
重曹はオールマイティで、水との併用で食器にこびりついた汚れも、床も、トイレも、きれいになる。洗濯機に入れれば、柔軟剤になる。私は塩素の匂いが好きで、癒されるのでハイターも使う。これも、用途は多岐にわたる。また消毒用無水エタノールと、台所洗剤を水でうすめた液をそれぞれスプレー容器に入れている。エタノールは手の消毒や、なにか殺菌消毒したい時や、油性インクなどを消すのに使う。ネイルリムーバーは必要ない。洗剤水があれば、とくに掃除用の洗剤は必要ない。トイレ掃除は重曹かハイターかクエン酸で事足りる。よって、掃除用の液剤を用途に合わせて買う必要はない。柔軟剤も重曹でいい。


【保湿】
オールマイティな自然油を使えば、細かな用途に応じた保湿製品を買う必要はない。唇、目の下、手の甲、かかと、ひざこぞう、限りなく細分化された製品が氾濫しているが、私は1つの自然油ですべて網羅して事足りている。

【お香】
私は、お香をたしなむwのだが、色々とやってわかったのが、実家の仏壇の線香でいいということだ。でいいというより、がいいとわかった。もう、香を買うのはやめた。なくなったら仏壇から貰えばいい。

【ろうそく】
私は、キャンドルもたしなむのだが、色々とやってわかったのが、実家の仏壇のふつうの白い長いろうそくがいいとわかった。もう、キャンドルを買うのはやめた。なくなったら仏壇から貰えばいい。

【アクセサリー】
私は子どもの頃から、アクセサリーが好きだった。色々と買って持ってるのだが、時々母のアクセサリー棚から拝借してつけてみると、案外とてもよかったりして気に入ることがある。イギリス家庭では、アクセサリーを世代継承するそうだ。そういう装飾品は独特の意味があり、お守りのようでもありとてもいいと思う。

【服】
服も、イギリスでは世代継承をするそうだ。私も、母が着ていた服で、自分も気に入ったら、譲りうけている。例えば母が60~70年代に着ていたチェックのワンピースを着ていると、周りの人には、どこか懐かしく素敵に見えるようで、「いい」と言われることがよくある。

追って更新する
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物を持つということは、それを把握し管理しないといけないということだ。保管場所をとり住居を煩雑にする。物をごちゃごちゃと持っていることで、目に見えない負担に縛られるよりも、自分で把握し管理できることによるサッパリした軽い感じの方が、ずっといいと考える。

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