昨日、静かな森と池のほとりを1人歩きながら思ったこと。
このことを、私と同じような人に向けて言いたいと思った。
私は、福岡で、人が集まる所にいると暗くなる。顔が曇って、明るくなくて、笑顔が少なくて、言葉を発しなくて。
他の人たち:この人暗い。なにが不満なんだ。もっと笑顔で明るくしてないと、とっつきにくいったらない。さぞかし内面が暗い人なんだろう。
私:こんな所で、どうして明るく笑顔でいれるのか、わからない。どうして、こんな酷い殺伐とした、バラバラの人間関係の中で 何事も起こっていないかのように平和ぶって明るく陽気でいられるんだろう。
私は、人の集まりにおいて、それが心地いい関係であるならば、明るく、朗らかで、笑顔が多く、言葉もよく発する。対等で自由でフレンドリーでやさしい そんな関係の場であるならば。
対して、その人の集まりが表面では体裁よく取り繕っているものの、実態は 敵対的で緊張感で張りつめていて マウンティングだらけで 裏腹で 誰ひとり信頼関係がなくて仲間関係がなくて バラバラで殺伐としている そんな場所では 私は窒息感につきまとわれ 暗く 顔が曇り、笑顔が少なく 言葉も発しなくなる。
こんなに末期的にひどい人間関係の中で、平気で楽しそうに笑っている人たちの方こそわからない。誰かの犠牲の上で成り立っている、偽物の平和。笑っちゃうくらい正真正銘、偽物。平気でいられるのは、自分たちがその誰かの頭を踏みつけている側だから。いつだって加害者側は平気な顔してる。自分の安泰さえ確保すればそれでいい人達。
目に見えないものを、強く感じる。
私が森で1人なにを思ったかというと、
暗い人は その人の内面が暗いのではなく 明るいものを求めているからこそ暗いのだ ということである。
もし、ああいう 殺伐とした関係を 「そんなもんだ」と思っているならば、他の人達のように平和ぶって明るく陽気でいられるだろう。
でも、「そんなもんだ」と思ってない いい関係というのは全然これじゃない これはまともな姿じゃないと、明るいものを知っている 心から求めているからこそ そうでない場所では反応するのである。
その人は暗い人どころか、逆である。
また、こうも言える。
暗いのは、自分が加害者側に回らないから、自分がやられる側に押しやられているから。あるいは自分が引っ被り役にはなっていなくても、他になっている人たちがいて、その構図がはっきり見えているから、平気で笑顔になんかなれないのである。
私には、あんな濁り腐った水の中で平気でいられる人達の方が根っから暗い人 なのである。
このことを、私の仲間(ソウルメイト)に向けて言いたくなった。