なんでもないようなことが、シアワセなんだと思う。

こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつけてゆきます。

最近のヒット商品

2018-04-06 09:49:16 | Weblog

 

ややカシャカシャめのビニールっぽい生地に、割とリアルな「トビウオ?」

bibi  coco  nono が、よ~く釣れます。(^_-)

 

 

今しがた、久しぶりの雨が降り出しました。

1・2・3月が例年の3倍くらいのスピードで過ぎ去ったあと、

溢れるような「桜」の大群が押し寄せ・・・だけど、心がさざめくこともなく、冷静な4月を過ごしている気がします。

母が亡くなった時から、「ちゃんと悲しんでおかないと、後になって辛くなるよ」という言葉が引っかかっていて・・・

でも現実には、次から次に出来事を処理していくにつれて、悲しむタイミングを見つけられないままに、

逆に、ケラケラと笑って過ごしてきたことが、お蔭様に思えます。

 

母を亡くしたことは残念なことだけれど、正直言って、『もっと長く生きて!』とは思わずに、

『ようやく、その時が訪れたね』という、気持ちでした・・・

『ここまで、こんなに頑張ってきてくれてありがとうね』

母の頑張りに比べると、私には介護をしていたつもりは無かったので(支援程度のことで済んでいたから)、

「支援疲れ」はあったけれど、「介護疲れ」はなかったのです。

 

結果的には、1年半も前から、「癌の末期」と言えるものだったのに、奇跡的に命に関わる症状に苦しむことなく、

「頑張らないとね」「いつまで頑張れるかねぇ」と、淡々とホームでの生活を送ってきた母・・・

そんな母を見ていて、私に何が出来るんだろう・・・母は何を望んでいるんだろう・・・と考え続けてきたけれど、

結局、わが身の可愛さと、病状からして今が安全な環境に居るわけだから・・・と、母の本意に蓋をさせてきた。

本当はわかっていたのにね・・・どうしてやることも出来ずに、私だって辛かったのよ。

ぼやけた意識の中で、ずっと言わずに我慢してきた言葉・「家に帰りたい」と繰り返したね・・・

 

私には、何の心残りもなくて、やれることはやったんだから・・・と、思いたかったんだけど・・・

これが、「後になって辛い」ってやつですか?!

 

 

この子たちに、長い時間留守番をさせなくて済むようになったことは、

唯一の『果報』です。

 





 

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