サンダー杉山blog

まあいろいろと。音楽主体かな。あと本とかアニメとか。

個人的な話し(1)

2007-10-13 00:42:29 | Weblog
あまり昔話は好きじゃない。

ただ、自分自身のスタンスを語るために、さまざまな出会いをさけて通ることはできない……。

けして過去に浸る訳でなく明日をさがすために必要なことだけ話したいと思う。

1984年の冬から1985年の夏にかけてとにかくいろんなことがあった。
12月にロフトで始めてスターリンを見た。当時30歳を過ぎていたということだけで既にジジイとよばれていたミチロウ。
16歳の僕や周りにいたハタチそこそこのコドモたちからすれば30歳になることなんて想像もできなかった。

まだ西新宿にあったロフトには300人くらいのコドモたちがいた。

それから半年もしないうちに西荻窪のライブハウスに出て、夏休みには8トラック・マルチでレコーディングをした。

いまだになんだったんだろう、と思う。

若いと言う勢いより時代とシンクロしたい、と言う思いがあった。

まだJRでなくて国鉄だった頃、駅には駅員がいて切符やら定期を目視で確認していた。国鉄の定期をもっていればそれはどこへでも行けるフリーパスだった。堂々としていればキセルがばれない時代だった。僕らは土曜日の放課後、毎週のように横浜、渋谷、原宿、新宿に繰り出した。買える物は渋谷ラモスカで売ってる缶バッチかインディーズのソノシートくらいの物だった。だけど缶バッチのバンドやぺなぺなのソノシートが時代の最先端だった。サイドベンツの学ランとピタピタに細い学生ズボンに中田商店の安全靴。東急ハンズで買ったチェーンやら原宿のデッドエンドで買った切れるはずもない安物のナイフ。往復四時間で東京滞在は一時間くらいだけど、ひたすら歩き回った。

ホンとにコドモだった。

神奈川県藤沢市。東京で時代が動いているのに藤沢は本当に不毛の地だった。ただ、そこには一件だけライブハウスと楽器屋と練習スタジオが一店舗でビルになっていた「青木楽器」というのがあった。高校の期末テストが終わった日はかならずみんなでスタジオに入って大暴れをした。なんであんなにハイになれたのか今となっては思い出せない。大きい音が出せる、ということが精神に影響を与える物だと考えるしかない。

かっこいい、とかなんとかよりコドモだった。

スタジオはいるのにチラシ作ってた。まだ友達の兄ちゃんのベース借りていたのにレコーディングをした。ライブハウスでブッキングマネージャーに怒鳴られた。なんかいろんなことがチグハグだった。

正直言って僕の17歳18歳のころを考えると、亀田兄弟なんてスゲー立派なオトナだよ……。

とりとめがなくなってきたので、また次回。