サンダー杉山blog

まあいろいろと。音楽主体かな。あと本とかアニメとか。

どないしましょ

2007-07-20 00:16:29 | Weblog
titleで書いていたコラムをある程度まとめてこっちに移そうと思ったら文字数制限に引っかかってしまった。

まあ原稿用紙換算31枚はつらいか。

このブログスタイルって読む順番が逆になっちゃうのと、違うエピソードが間に入ったりするので、まとめると否が応でも推敲するはめになって。

けっこう、色んな事をやってるようでいても、まとめてみると同じ事を繰り返しているようで……。

2003年末から3年半。出会い、音楽、家族。とりあえず一人の出会いと別れをまとめて31枚。

まあ、精一杯、生きてますね、人並みに。

悪の美学3

2007-07-06 22:17:12 | Weblog
 「グレアムヤング毒殺日記」という本を読んだ。

 グレアム・ヤングは何人もの人を殺した。物を奪ったり、レイプをしたり、問題のある人間関係を解決するためではない。毒薬が人の体にどういう影響を与えるか観察するために、毒入りのアフタヌーンティーを振る舞った。正しく言うなら、どういう影響を与えるかは知識として知っていて、それを検証するために人を殺したのだ……。

 ただ、グレアムヤングが無欲だった訳ではない。人から羨望を受けたいと言う欲求は強かった。それゆえに完全犯罪はくずれ犯罪が明るみになった。

 「人から羨望を受けたい」と思う欲求は悪ではない。場合によっては正義の行動を呼び起こす事もある。彼は毒薬を愛し、その効果にある種の「絶対的」なものを感じていたのだと思う。毒薬の効き目の確かさに美学を感じる気持ちは分からなくもない。自分が実験台になるのは当然、我慢出来ない事ではあるが。

悪の美学2

2007-07-03 12:58:08 | Weblog
 タイトルとはあまり関係がない、自分の経歴を書いてしまった。「正義とは?悪とは?」ということを突き詰めて考えたときに、まず自分の視点について整理したいと思った。

 このブログではとっちらかった頭の中を、片付けていこうと思っているので、いたしかたない。

 ついでに書くと、文章を書きたいと思い「編集・ライター養成講座」なるものに1年近く通った。そこで学んだ「文章を書くテクニック」をこのブログでは一切使っていない。読みやすく、分かりやすく書くためには試行錯誤の過程を書いてはいけない。まず結論をはっきりさせて、それを決められた長さの中で出来うる限り噛み砕いて行く。それが良い文章だ。
 
 「正義とは?悪とは?」ということは二元論でスパっと割り切れるものではない。だいたいにおいて「正義」を主張するひとはウザい。堅苦しい。つまらない。息が詰まる。

 僕は煙草を吸うのだけど喫煙マナーは最低の部類だと思う。これについては少し反省をしなければいけない、とは思っている。それを改めないでいるのは、煙草嫌いの人が正義感を振りかざして文句を言ってくるのがウザくて、つい反抗してしまうからだ。

 と書いてみて、「悪の美学」からはまた遠い話しになっている。これでは「悪の美学」でなく「ちょいワル」オヤジ的な言い訳だ……。

 脱線しながら少しずつフォーカスを絞って行きたいと思う。

悪の美学1

2007-07-02 23:17:29 | Weblog
 何事も二元論で割り切れるものではない。

 あまり大学で何かを学んだ、ということはない。とカッコつけたいところだが工学部でエンジニアリングの勉強をしたことが僕の思考パターンを大きく決定づけている事は認めざるを得ない。本当は理学部でサイエンスを勉強したかったのだが「受験」というシステムを突きつけられた若き日の僕にとって偏差値というのは絶望的なくらい大きな価値観であった。

 二浪して後が無い、ということより受験勉強がいい加減しんどい、と思った。

 忘れもしない1月の事だった。12月に行われた全国模試の結果は自己最高の結果だった。それまで行く事がためらわれていた予備校の進路相談室なるところへ行った。模試の結果と行きたい大学のリスト、試験日程……。進路相談室の相談員の顔は今となっては思い出せないが話した内容ははっきりと覚えている。

 僕の作った行きたい大学リストの偏差値と試験日程、模試の結果を並べて相談員は言った。

 「レベル的にこの中間を受けてみたら。偏差値が5くらい開いてると間が受かっちゃったりしてもったいないよ」

 結果的にそうなってしまった。受かったのは滑り止めと試験の日程でちょうど開いている日に受けた第一志望マイナス偏差値5の大学だった。しかも第二志望の大学の理学部でなく工学部。かなり複雑な気分だった。

 思ってもいないことを勉強しなくてはならなかった僕は思ってもいない価値観にぶつかった。

 「許容応力度法」

 本来はサイエンスな分野で絶対的な自然の法則を勉強したいと思っていたところに「許容応力度法」である。想定以上の応力がかかれば壊れてもしょうがない、と言われたわけだ。絶対ではない。ものづくりは「経済的」に行う。さらに「耐用年数」があり「サイクル・コスト」という概念を押し付けられ、そこでデザイン(設計)を行うのである。橋梁の設計の課題はパラメータの一つが学籍番号の下3ケタというめちゃくちゃなものだった(いまはめちゃくちゃだと思っていない)……。

 そういったことを経て二元論で絶対的な思考パターンの10代は現実的に可能なことを考える20代になって行った。

 

好き/嫌い

2007-07-01 23:07:03 | Weblog
 今日もひとりブレスト。

 好き/嫌い、という感情はとうぜんのことながらある。

 ただ、それがあふれかえっているとうんざりする。

 なにしろ、この感情はどうしようもないだけに始末に悪い。正義か悪かということなら議論の余地があるが、好きか嫌いかは結論だけだ。結論ありきなだけに好き嫌いを語る事は語り口が一方的になる。わがままな感情だけど「好きだから」しょうがないし、「嫌いだから」しょうがない。

 「しょうがない」を覆そうとすると「しつこい」となる。「しつこい」を相手にしていると暴力沙汰が起きる可能性がある。この場合、暴力的になったほうは「しつこく」、「好き嫌い」の感情をゆさぶってくる相手が暴力であると開き直れるところがあるので、大人的に「しょうがない」とあきらめるしか無い……。

 ただ、好き/嫌いははっきりしている方が共感を得やすいということは間違いない。

 面白い、つまらないかは別として(この相克についても考察する必要があるが)、突き詰めて考えて行きたい。