サンダー杉山blog

まあいろいろと。音楽主体かな。あと本とかアニメとか。

うる星やつら2 ビューティフルドリーマーにみる00年代的モチーフ

2011-05-28 22:37:11 | Weblog
最近のアニメを見ていて、なんとなくこの感覚は昔見たことがあるな、とおもって思い出すのが、うる星やつらビューティフル・ドリーマーだったりする。

久しぶりに見返してみたのだけど、00年代要素がテンコ盛りですなあ。まあ実際この作品で、いわゆるオタク要素というのが確立したところはあるのだけれど。その辺は押井守監督の先見性は高かったと言える。

レオパルド戦車、ハリアー、シュビムワーゲンといったリアルなメカが出てきたり、ラムは戦うわけじゃないけど飛んだり、電流を発射するのは戦闘美少女的であったりする。

また、文化祭前日の描写はいわゆる日常系的な要素が強い。

さらに廃墟となった友引町しか存在しない世界という設定はセカイ系的であったり、時間軸は文化祭前日をループしている。

整理するなら、

・メカ
・美少女
・日常系
・セカイ系
・ループ系

という、ゼロ~テン年代的モチーフが詰まっている。ただ、重い感じがしないのは「自分探し」みたいなテーマが入っていないからかもしれない。あと、萌え要素はないですね。

この作品は1984年だからもう30年近くたつのだけど、かなり時代を先言ってたんだと思う。

個人的にあんまりラムちゃんが好きじゃないんだけどね…

アニメ「俺たちに翼はない」第8話の感想

2011-05-24 23:44:29 | Weblog
なんだかさっぱりわからないと言いつつ、何かつい見てしまう「おれつば」ですが、謎がどんどん明らかになっていきます。

とはいってもゲームやってないんで、これからどうなるかはわかりませんが…

そもそも登場人物の関連性が、全く分からなかった、というより意図的に隠されていたわけだから、ひっかかってたわけですがね。

多重人格のそれぞれの人格の群像劇、ってなんなんだろう、ってかんじなんだけど、よく考えてみれば、ゲーム的なシステムだよね。そもそもゲームっていうのはプレイヤーがゲームの世界の登場人物になるわけだから、そのキャラが複数いてそれぞれの関係性を持っている、というのはゲームの奥行きにつながるというわけだ。

その辺の構造が見えてきたところで、「おれつば」の1話を見ると、あーやられてたなあ、というところが多くて、まいったなあ、という感じだったりする。

THE VOC@LOiD M@STER16参加情報

2011-05-21 23:30:37 | 初音ミクオリジナル曲
6月12日(日)に行われるTHE VOC@LOiD M@STER16にサークル参加します。

今回は、生ぐーみん。から領布される、コンピレーションCD「ぽぷりぽっと2」おれんじに、新曲を提供しています。

収録曲、「いますぐ、きっと…(Right now,surely…)」のほうですが、現在、動画を制作中です。なんだかんだで半年ぶりのニコニコアップになるので、動画頑張ってます。

スペースは、C-65です。ただ、僕はスペースのほうにずっといられるかどうかまだわかりません。詳細につきましてはまた、こちらでアナウンスします。

いろいろ直前プロモーションも企画してますし、ネットラジオにも出演を予定しておりますのでご期待ください。


「俺たちに翼はない」7話感想

2011-05-18 01:46:23 | Weblog
なんだか、さっぱりわからなかった、というか、どちらかといえば「日常系」だと思っていた、「俺たちに翼はない」、いきなり物語が動きました。

「日常系」、「空気系」というジャンルについて、僕なりに説明する場合、ゲーム「どこでもいっしょ」を例に挙げるとわかりやすいような気がする。「どこでもいっしょ」って、トロが出てくるゲームですね。

このゲームは、トロをなでたり、クイズやったりするゲームで、特に目的がない。しかしながら、僕自身も結構はまってしまった。

つまるところ、「日常系」、「空気系」のアニメというのは、登場人物の関係性が進展しないドラマ、なのかなと思う。

で、「俺たちに翼はない」は、複数の男性主人公がそれぞれ関連性のない人間関係を持って、柳木原という街を舞台とした群像劇、という見せ方をずっとしてきたわけだったのだが、じつはこの複数の男性主人公が、実はひとりの多重人格であったことが第七話のラストで明らかになった。

アニメの面白いところは、こういう多重人格性みたいなものを完全に視聴者にばれないように展開できるところでもあると思う。そもそもこの多重人格性はミステリーの分野で発展した手法である。

はてさて、ここからが折り返しの後半戦、かなり内容が変わっていくと思われるので、注目ですね…

アニメ「俺たちに翼はない」第5話の感想

2011-05-08 23:19:17 | Weblog
ここ何年かの深夜アニメのトレンドとして、ゲーム原作のアニメというのがある。

当然ゲームの結末はどういう風にプレイするかで変わってくるわけで、アニメ版というのは、そのゲームの設定を流用して、ドラマを再構成していくわけだ。

まあ、アニメやゲームはもはやキャラクター・ビジネスなわけだから、ヒットすれば、ノべライズ、コミカライズ、CDドラマが作られ、さらにスピンオフやら続編がでてきて、いわゆるメディアミックス展開がされていくわけである。なので、ゲーム→アニメ、という流ればかりでなく、アニメ→ゲームというのもたくさんあって、どっちがオリジナル、っていうものでもなくなってきている。


ゲーム原作のアニメ、というジャンル分けも変なのかもしれないけど、このジャンルの中にはかなり面白いものが多い。

好きな作品といえば「カオス;ヘッド -CHAOS;HEAD-」や「WHITE ALBUM」、ショックだったのはやっぱり、「SCHOOL DAYS」だったりする。

そんななかで、今シーズンの「俺たちに翼はない」である。
正直、1話から3話までみて、さっぱりわからなかった。というのは登場人物の因果関係がドラマの中ではほとんど説明されていない。ゲームから入った視聴者ならわかるのかもしれないけど、キャラがどんどん出てきて、あれこれ脈絡のない会話をだらだらするだけで終わってしまう。

空気系とか日常系といったアニメの文脈がトレンドとしてあって、「みなみけ」や「けいおん」あたりが代表なわけなんだけど、これらはやっぱ名作といわれるだけあって、さっぱりわからないなんてことはない。

で、「俺たちに翼はない」第5話である。

今回は、渡来 明日香と羽田鷹志の出会いを過去にさかのぼって描いているのだけれど、途中、なぜか中世の騎士物語になったりして混乱する。だけれども男の子から見て、女の子はよくわからない、といった心理の心象風景のように挿入されているので、いちおう本題は忘れていない。

そして、最後に渡来明日香の「あなたと私では立場が違う、私、女の子」というセリフで微妙な気持ちのすれ違いにお互い気がつく、といったオチになる。

優柔不断な男の子が、気が強い女の子の本音になかなか気がつかなくてすれ違ってしまう、というよくある学園ラブストーリーになっていて、好感が持てるストーリーだった。

ちょっと、いろいろ風呂敷を広げすぎたので、今日はこの辺で…






魔法少女まどか☆マギカをみた

2011-05-05 21:59:56 | Weblog
GWということもあって、なにかと話題の「魔法少女まどか☆マギカ」を昨日一日で全12話みてしまった。

もう、アニメだからどうの、っていう作品じゃないよね。

とはいっても、タイム・パラドックスとかセカイ系な要素とか、ここ最近のアニメのトレンドがあるから、こういう世界観が強く立ち上がってくる、というのもある気がする。というのは、この作品がすごい面白い、と思っても身近にいる、あまりアニメを見ない人にはちょっと勧められないというか、わかりずらい気がする。あとやっぱ、男だと絵柄に抵抗感を持つかもしれない……。

日本のアニメ、っていう言い方はほんと、好きじゃないんだけど、どうしても避けて通れなくなってしまう。歴史的に、ロボットを出したり魔法少女を出した子供向けを装わないとテレビで放送するアニメが作れない、といった時代が長かったから、こういう絵柄で、設定でってことになるわけなのだが、逆にこういう(魔法少女)ジャンルがあるから、こういったテーマが描ける、というのもあるわけだ。

太宰治が「パンドラの匣」という小説の中で、扱った「希望」というモチーフを、「魔法少女まどか☆マギカ」は現代にもう一度、正面から取り組んだ。当然、太宰の「希望」と同じように、その両面を見つめる。つまり、希望があるから絶望が生まれる、ということだ。

普通の少女が、ぬいぐるみのウサギとネコを掛け合わせたような謎の生き物に、たったひとつの願い事をかなえてもらう、という契約と引き換えに、魔法少女となって魔女と戦わなければいけない、という宿命を与えられる。

これは、少年がロボットを与えられ巨大な力を与えられることと同じなわけだ。

まあ、これは子供が大人になる、ってことのメタファーなわけで、物語の構造としては、力を持つことにより責任を与えられ、精神的にも成長するっていうのが、いわゆる大人が子供に見せるためのうけがいいあらすじってことになる。

しかしながら、この物語は成長の物語といった側面よりも、「一度しかない今この時を後悔せずに生きる」という側面に力を感じる。

太宰の絶望が、避けることのできない人間の死に向かう運命、であったことに対し、いずれ肉体は滅んでいくが、だからこそ、どう生きるか、ということ、しんじる道を全うすることに「希望」を見出そうとしている。

まどかは、友達の絶望を目の当たりにしながら、最後にある決断を下す。これはある意味、大人になることを拒絶するわけだ。あまり書くとネタばれになっちゃうわけなんだけど、しょうじき、萌え絵に抵抗ある人にも見てもらいたいです…