林真理子 著 「野心のすすめ」
好きな作家のひとり。
姫たちにも是非読んで欲しいと思った。
野心を持つことは悪くない!
むしろ人間は野心を持っつからこそ努力をする。
達成に向けての事例や方法が紹介されてる。
ほうほう、そうだそうだ、なるほど。。。。って感じる点が多々あったし、
「やってしまった事の後悔は日々小さくなるがやってない事の後悔は日々大きくなる」
なんて、名言だと思いませんか?
他にもラインを引いときたいセンテンスがたくさんあった。
だから、図書館から借りた本だったけど、手元に置いときたい1冊。
ちょっと前の「情熱大陸」を見て、日常も垣間見た。
スーパーウーマンには違いないけど、美人とは言えないし、かなり太めだし、片付けダメそうだし。。。
そんなところも彼女は魅力にしてしまってるのかもしれない。
桜木紫乃 著 「ホテルローヤル」
普段短編はあまり読まないのだけれど、直木賞受賞作だから読んでみた。
いまだに直木賞の基準がわかっていないものだから、なぜこれが?感は否めないけど、
さらぁっと読める。
さしたる感想はないかな。
この作品よりも作家に興味を持った。受賞後のインタビューと、先日「わらっていいとも」に出演したのを見た。
なんか、ほわぁんとした感じで、受けを狙ってないのにどこかちょっと違う?っぽい、どこにもいそうな、
そんな印象を受けた。金爆のファンで、ライブで号泣ってのも、おかしさがこみあげてくる。
好きな作家のひとり。
姫たちにも是非読んで欲しいと思った。
野心を持つことは悪くない!
むしろ人間は野心を持っつからこそ努力をする。
達成に向けての事例や方法が紹介されてる。
ほうほう、そうだそうだ、なるほど。。。。って感じる点が多々あったし、
「やってしまった事の後悔は日々小さくなるがやってない事の後悔は日々大きくなる」
なんて、名言だと思いませんか?
他にもラインを引いときたいセンテンスがたくさんあった。
だから、図書館から借りた本だったけど、手元に置いときたい1冊。
ちょっと前の「情熱大陸」を見て、日常も垣間見た。
スーパーウーマンには違いないけど、美人とは言えないし、かなり太めだし、片付けダメそうだし。。。
そんなところも彼女は魅力にしてしまってるのかもしれない。
桜木紫乃 著 「ホテルローヤル」
普段短編はあまり読まないのだけれど、直木賞受賞作だから読んでみた。
いまだに直木賞の基準がわかっていないものだから、なぜこれが?感は否めないけど、
さらぁっと読める。
さしたる感想はないかな。
この作品よりも作家に興味を持った。受賞後のインタビューと、先日「わらっていいとも」に出演したのを見た。
なんか、ほわぁんとした感じで、受けを狙ってないのにどこかちょっと違う?っぽい、どこにもいそうな、
そんな印象を受けた。金爆のファンで、ライブで号泣ってのも、おかしさがこみあげてくる。
まゆみさんちのジャガイモは、とてもキメがよくてきれい。
そんでもって雪だるまみたいにかわいいのがUPされてましたね。
ところがウチのはどうでしょう
珍品コンテストに出品してみようかしら?
そんでもって雪だるまみたいにかわいいのがUPされてましたね。
ところがウチのはどうでしょう
珍品コンテストに出品してみようかしら?
お盆に、友達がそうめん流しの竹を譲ってくれたので、桜の木陰でやってみました。
トマトは弾んで弾んで。。。。。
大人だけなのに、妙に盛り上がりましたよ
たった1回じゃもったいないってことで、昨日は近所の子供たちとパパママたちとで、そりゃぁ賑やかなそうめん流しになりました
トマトは弾んで弾んで。。。。。
大人だけなのに、妙に盛り上がりましたよ
たった1回じゃもったいないってことで、昨日は近所の子供たちとパパママたちとで、そりゃぁ賑やかなそうめん流しになりました
荻原浩/著 誰にも書ける一冊の本
なんでも、「死様」をテーマに6人が競作したうちの1冊らしい。
父が書き遺したものは、事実か創作か。
平凡に思えた男の人生を、その死を通して描く。
「何を言われようが、私は自分の心の声に従った」
子は親の背中を見て育つと言うが、言葉でしか伝えられないことは多い。
「父親と息子」の関係は私にはまったくわからない。
「母親と娘」の関係とは何から何まで違うのだろうか?
父と弟、夫と亡き義父、従兄弟と叔父、友達とその父、いずこもあまり仲良し(?)ではないなぁ。
どちらかというと、なるたけ一緒に居たくない!って雰囲気が見える。
それって、父親が超えるべき「壁」だからなのかな。
でもそんな父と息子の関係は、きっと我々の世代とその父世代までなんじゃないかな。
なんでも、「死様」をテーマに6人が競作したうちの1冊らしい。
父が書き遺したものは、事実か創作か。
平凡に思えた男の人生を、その死を通して描く。
「何を言われようが、私は自分の心の声に従った」
子は親の背中を見て育つと言うが、言葉でしか伝えられないことは多い。
「父親と息子」の関係は私にはまったくわからない。
「母親と娘」の関係とは何から何まで違うのだろうか?
父と弟、夫と亡き義父、従兄弟と叔父、友達とその父、いずこもあまり仲良し(?)ではないなぁ。
どちらかというと、なるたけ一緒に居たくない!って雰囲気が見える。
それって、父親が超えるべき「壁」だからなのかな。
でもそんな父と息子の関係は、きっと我々の世代とその父世代までなんじゃないかな。
(中央 水色のタオルぶら下げてるのが「姫」)
7/27土曜日のこと
その日はでっかい姫の二十歳の誕生日
大学のサークルでよさこいやってて、その日は小山市のサマーフェスティバルで踊るというんで
サプライズで見に行って驚かそうってことに。
見たことないような最高の笑顔で踊ってましたねー
我々を見つけた時の顔ったら ・・・
大成功
22冊目は 重松 清 著 「かあちゃん」
23冊目は 湊 かなえ 著 「母性」
意図したわけではないが、いずれも「母」にスポットが当てられた作品。
重松清の作品は、その名のごとく「重い」のだ(笑)
以下[Amazonより]
ある女性の26年にわたる贖罪の年月が、いじめで級友を自殺未遂に追いやった中学生たちや、彼らを見守る教師の内面にさざ波のように広がっていき、確かな変化をもたらすようになる。
母親の無私の愛が、ひとり背負うことの重みが、心の深いところを揺さぶってくる一冊だ。
物語は、過ちを犯してしまった後の行動を追う。登場人物は「償いとは何か」という正解のない問いかけを、何度も自分の中で反芻することになる。
人は誰でもある日突然被害者になり得るし、加害者にもなり得る。もし、自分や家族が他人を傷つけてしまったら。危機感に近い問いに対し作者は、ひとつの答え―「忘れないこと」を提示してみせる。
犯した過ちは、できれば一刻も早く忘れてしまいたい。そして人間は、自分に都合の悪いことを記憶から消し去ることのできる生きものでもある。が、忘れない。どんなに時が経とうとも、周りから「もう十分じゃないか」と言われようとも。
償いの出発点から語り起こされた物語は、それぞれに事情を抱える母子へと視線を移しながら展開していく。
過ちに対する償いと、母と子の絆。一見結びつきそうにないふたつのテーマだが、「伝える」という意味では同じなのかもしれない。忘れないというのは後悔も喜びも全部ひっくるめて過去から未来へ繋げることだし、母から子へ思いは受け継がれていくものなのだから。
そもそも、わが子の幸せを一心に願う「お母さん」の存在を思えば、誰かを傷つけることなどできないはず。そんな愛情の抑止力とでもいうべき可能性に気づかされる作品だ。
湊かなえの作品については
湊 かなえ 『母性』 刊行記念インタビューより
女性には「母」と「娘」の二種類いるのではないか。母になることができる女性と、娘であり続けたいと願う女性。いいかえれば、「母性」を自然に持っているような女性と、どうやっても手に入れられない女性。
結婚して子供ができたら誰にでも自然に「母性」が芽生える、もっと強く言ってしまえば、女性であれば誰でも「母性」を持っている、と一般的に考えられているように思います。
果たしてそうでしょうか。
女性であれば誰でも「母」になれるのでしょうか。そもそも、形もなく目にも見えない「母性」は、本当に存在しているのでしょうか。
直感的に、私は違うと思いました。誰もが「母性」を持ち、「母」になれるとは限らないのではないか。幸せな家庭で育ち、いつまでも愛するあのひとたちの子どものままでいたい、庇護され続けたい。「母」であるよりも「娘」であり続けたい、とどまり続けたい。そう思っている女性も、きっといるはずです。
私自身、娘であり母っでもあるわけだけど、どっちの立場に立って見ても、私のこれまでの人生とは接点がほとんどないといっていい。だから非常に奇異に思えた。
こんな感覚、まったくわからないのだけれど、そういう「母」も「娘」もいるんだろうか。。。。って。
23冊目は 湊 かなえ 著 「母性」
意図したわけではないが、いずれも「母」にスポットが当てられた作品。
重松清の作品は、その名のごとく「重い」のだ(笑)
以下[Amazonより]
ある女性の26年にわたる贖罪の年月が、いじめで級友を自殺未遂に追いやった中学生たちや、彼らを見守る教師の内面にさざ波のように広がっていき、確かな変化をもたらすようになる。
母親の無私の愛が、ひとり背負うことの重みが、心の深いところを揺さぶってくる一冊だ。
物語は、過ちを犯してしまった後の行動を追う。登場人物は「償いとは何か」という正解のない問いかけを、何度も自分の中で反芻することになる。
人は誰でもある日突然被害者になり得るし、加害者にもなり得る。もし、自分や家族が他人を傷つけてしまったら。危機感に近い問いに対し作者は、ひとつの答え―「忘れないこと」を提示してみせる。
犯した過ちは、できれば一刻も早く忘れてしまいたい。そして人間は、自分に都合の悪いことを記憶から消し去ることのできる生きものでもある。が、忘れない。どんなに時が経とうとも、周りから「もう十分じゃないか」と言われようとも。
償いの出発点から語り起こされた物語は、それぞれに事情を抱える母子へと視線を移しながら展開していく。
過ちに対する償いと、母と子の絆。一見結びつきそうにないふたつのテーマだが、「伝える」という意味では同じなのかもしれない。忘れないというのは後悔も喜びも全部ひっくるめて過去から未来へ繋げることだし、母から子へ思いは受け継がれていくものなのだから。
そもそも、わが子の幸せを一心に願う「お母さん」の存在を思えば、誰かを傷つけることなどできないはず。そんな愛情の抑止力とでもいうべき可能性に気づかされる作品だ。
湊かなえの作品については
湊 かなえ 『母性』 刊行記念インタビューより
女性には「母」と「娘」の二種類いるのではないか。母になることができる女性と、娘であり続けたいと願う女性。いいかえれば、「母性」を自然に持っているような女性と、どうやっても手に入れられない女性。
結婚して子供ができたら誰にでも自然に「母性」が芽生える、もっと強く言ってしまえば、女性であれば誰でも「母性」を持っている、と一般的に考えられているように思います。
果たしてそうでしょうか。
女性であれば誰でも「母」になれるのでしょうか。そもそも、形もなく目にも見えない「母性」は、本当に存在しているのでしょうか。
直感的に、私は違うと思いました。誰もが「母性」を持ち、「母」になれるとは限らないのではないか。幸せな家庭で育ち、いつまでも愛するあのひとたちの子どものままでいたい、庇護され続けたい。「母」であるよりも「娘」であり続けたい、とどまり続けたい。そう思っている女性も、きっといるはずです。
私自身、娘であり母っでもあるわけだけど、どっちの立場に立って見ても、私のこれまでの人生とは接点がほとんどないといっていい。だから非常に奇異に思えた。
こんな感覚、まったくわからないのだけれど、そういう「母」も「娘」もいるんだろうか。。。。って。