初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

切ない話し

2008-06-29 | 未分類

今日7時からBSで「ただ一人“おい”と呼べる君へ~城山三郎 亡き妻への遺稿~」と言う放送があった。


この話は本で読んだり、どこかで見聞きした話しだけど、もう一度見たいと思っていた。


城山三郎さんの本は緻密な取材に基づいた小説が多いが晩年にはその気力さえも失われ、消え入るように亡くなられたことはとてもショックだった。


特に小説家という職業柄家族と共にいる時間は多く、サラリーマンの家庭とは少し違うのかも知れない。


時代の節目節目にはテレビなどに出演されて持論を話されていたが、叙勲を断ったと言う話はズンと心に残っている。


それを、妻に説得するシーン「僕には何も欲しいものは無い。読者と家族がいればそれで十分満足だ」


何とカッコイイ事を言われるのかと思った。


ところが、妻が末期の癌だと知りあっという間に他界されると、妻の「死」を受入れる事が出来なくなり、喪失感にさいなまれ気力をも失っていく。


妻亡き後の7年間の苦しみは見ていて本当に切なく辛い。


大事な人を失うと言う事はこんなにも生きる気力を失うものだと改めて思う。


私の経験では実父よりも義父が亡くなった時が辛く、1年間立ち直れずに苦しんだ。


実父の亡くなったときは下の子供が生まれ自分自身が仕事と育児で忙しく過ごしていた時期であり、年齢も若かった。


義父の時は仕事を辞め、家庭にいる時期で病気も回復に向っている時の突然の死だったのでそれだけにショックが大きかったのかも知れない。


私の家族や周りの人は、私が病気をして以来私のほうが先に死ぬと思っているらしい。


夫も勿論、その言動から自分が残ると思っているらしく「お前が死んだら○○をする」と、言う。


娘に言わせると「お父さんを看取ってから死んでね」と、言うのだが・・・。


私の死後、あれもこれもしたいと言いつつも果たして気力が持つものかどうか疑問。


勿論、私だって孤独や喪失感との闘いに打ち勝ち老後を行きぬくことができるかどうか。特に私の場合は病気をしてからは助け合わないと日々の暮らしが成り立ち難い10年間を過ごしている。


私が日常的に友人達に言っている事「夫を見送ってその数日後に逝きたい」


例えば痛みにしても何とか受入れて我慢できるのは私。


夫には到底こんな我慢は出来ないと思う。性格とかでなく、女性は出産を経験しているので痛みにも強いと言われる。


それと同じように周りを見ても女性は夫亡き後、立派に立ち直り、余生を楽しんですらいる。


私の友人も既に数人夫に先立たれたが元気で楽しんで生きている。


ここは一つ、体調の管理をしてやっぱり夫を送り出して、数日後に私が逝けるように頑張らねば。


運よく数年生きられるなら孤独感や喪失感を私が一手に引き受けてあげなければ。


城山三郎さんの書き残した遺稿のように辛い思いはさせたくないなあ。


私のけなげな思いは果たして夫に伝わるのでしょうか?




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