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“ヒバクシャのこころ”

2024年08月24日 13時54分00秒 | 一言
 「きのこ雲の下で何があったのか。“生き地獄”だった被爆体験と核廃絶の思いをどう継承させるか。今日の聞き手が明日の語り手になることだ」。
 2010年核不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせたニューヨーク行動を取材した際、日本被団協代表団の藤森俊希さんから教えてもらった言葉です。藤森さんは赤旗記者の先輩で、退職後長野で被爆者運動をしていました。
 以来、「今日の聞き手」として取材してきた“ヒバクシャのこころ”が新刊書になりました。『被爆者から「明日の語り手」へ』(赤旗編集局編)です。核兵器禁止条約から核廃絶の実現にむけた、ヒバクシャから未来世代に託す一冊として。
 20歳のとき、陸軍通信小隊長として広島で被爆した岩手被団協元会長の斎藤政一さん。硫黄島玉砕(1945年3月)後に想定された米軍の内地上陸攻撃に備えて、400人の隊員として兵舎にいた時に、“ピカッ”。背中から両腕にかけて焼けただれました。その直後に“ドン”。爆風で兵舎はつぶれ、落ちてきた梁(はり)で頭蓋が割れました。
 被爆後、点呼集合したのは、38人だけ。野戦病院に移動する時に見た光景は、焼けた灰色の街でした。「血と火の凄惨(せいさん)な生き地獄だった。皮膚が垂れ下がって、飛び出した内臓や眼球を抱えて『お母さん助けて』と叫ぶ女子学生の集団も見た」。
 斎藤さんは「被爆者の苦難は、原爆を落とした米軍が“絶対的な存在”の進駐軍として日本にやってきたことから始まった」と。続きは新刊書で。



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