意思による楽観のための読書日記

イザベラバードの日本紀行(下) *****

実に考えさせられる書き物に出会った、という感想だ。上巻は1878年6月から9月、横浜に船で上陸、東京での滞在を経て、日光から会津、新潟へ抜け、今度は日本海側から青森にまで至った。下巻では蝦夷(北海道)の地をを旅して、主にアイヌの人たちと交流をしている。その際、連れは通訳の日本人伊藤という男性1名のみであった。船で東京に戻ったバードは、その年の10月から神戸、京都、伊勢、大阪を旅行、特に奈良から伊勢にかけてはギューリック婦人と二人で訪ねている。

北海道でのアイヌ訪問では美しい山野の景色とともにアイヌの人たちの貧しき中にも宿る訪問者への暖かい心遣いを述べている。同時に日本人がアイヌを差別する様子も率直に記述している。この当時にはまだまだ多くのアイヌ人たちが集落を形成して自然の中で暮らしていたことがわかる。アイヌの特徴として、男性は身長163-169センチ、女性はおしなべて154センチ以下である。脳の平均重量は1300gでインドにいるすべての種族より重く、シャム人や中国系ビルマ人並であるといい、しかしとても鈍い人たちでもあると解説している。アイヌの信仰は原始的な自然宗教であるが、義経信仰が残っており、義経がアイヌに示した優しさなどの先祖からの言い伝えは文字がなくても何百年も伝わることを示している。

函館に滞在するバードの元にも東京で起こった兵隊による暴動、「竹橋事件」が伝わりすでにニュースが迅速に地方まで伝わっていたこともわかる。天皇は来年3月に選挙を行うことを宣言、アジアの小国が専制政府からの脱皮を行おうとしていることをバードは評価している。岩倉具視、三条実美、寺島宗則らが外国の非協力的な支援にもかかわらずなんとか新政府運営を軌道に乗せようとしていることにも一定の評価をしているのだ。その理由として、ピンハネや一部役人たちのつく嘘を指摘しながらも、自分自身が実証して見せているこの国の安全さと人々の勤勉さ、人々が見せる幸福の表情、女性の地位が低くないこと、教育熱心であること、医療、郵便、徴税の仕組みがうまく機能し始めていることなどをあげている。そして弱点は官僚の無駄、働きの悪さ、日本人による自営を意識しすぎた外国資本への忌避感、高級な欧州製品をただ輸入して、その使い方を教育しないことによる無駄を指摘している。しかし、バードの結論は、この国は奴隷の国から脱して自由土地所有の国を作り上げている、ということだ。

京都ではすばらしい芸術や浄土真宗の最高指導者赤松氏と話をする機会を得、文化レベルの高さと主に、仏教の没落の実態を知る。赤松氏は日本に根ざしていた儒教の哲学がイギリス哲学に取って代わられようとしていることの弊害をバードに主張している。バードは赤松氏の主張を「あり得ない輪廻思想に基づく虚言」と受け取ったようだ。

最後の章で1880年時点の「日本の現況」をまとめているので興味深い。首相の三条実美の年収は1920ポンド、長官が1440、副長官が960ポンドとしている。警視総監の月収は60ポンド、警部は3-12ポンドであるとしている。年収にするとそれぞれ720ポンドと36-144ポンドとなる。為替レートは分からないが警部の年収を仮に360-1440万円に相当するとすれば、警視総監は7200万円、首相は2億円弱となる。前島密が整備した郵便事業については年間5577万通が郵便で送られ、盗まれたのがわずか221通、行方不明が135通だったという。この他にも、電信、教育、軍隊、造幣、新聞、警察と司法などについて解説、いずれにしても明治維新から13年でここまでの進歩をしていることを高く評価してる。

そして最後に、当時の文部大臣代理田中不二麿によるレポートを紹介しながら、日本の将来に向けての懸念事項を述べている。教育において「倫理」が教えられていないこと、そして西洋の技術や文化、考え方を受け入れる素地のない人々にも強制していることが懸念事項だという。日本の東北地方や蝦夷の地を自分の足で回ってバードが体験し知ったことは、東京や大阪などの都会とあまりにもかけ離れた日本の地方の文化的遅れである。日本全国を一律の教育を行うことによる、上辺だけの外国文化理解や知ったかぶりの危険性を指摘しているのだ。もう一つは江戸時代に大名が庶民に借金した証文を新政府が返済しなければならないこと、このために国債を発行していうことにも言及している。大隈重信が財政改革を試みており、『財政学の教科書』シュタイン卿のアドバイスを入れず、1905年までにプライマリーバランスをゼロにする計画であることを紹介、それが成功するかもしれないことも示唆しているが、危うい計画であることも指摘している。

最後に、彼女は言う。「日本の将来にかかる暗い影は、キリスト教の果実を、それが育った木を移植することなしに獲得しようとしていることに根ざしている。仏教が廃れ、儒教の道徳の教えも一部の特権階級であった武士の階級にとどまっているこの国では、国民の不道徳、嘘と姦淫を高潔と立派な精神に置き換えることで初めて日出づる国になり、東アジアの光明になれると考える」

現代の日本では「第三の開国」を唱える主張があるが、第三の失敗を主張しようとしているように思えてならない。第一の開国は江戸時代の終焉であり明治維新であった。そこでは中国がアヘン戦争で骨抜きにされ、列強諸国にいいように植民地されるのをみた武士階級が幕府体制をひっくり返して開国を実現した。殖産興業、富国強兵で坂の上の雲を見た明治日本人の夢は日清日露戦争の勝利、第一次世界大戦後の領土拡大で達成できたかに見えたが、科学的分析力欠如と帝国主義的欲望により敗戦、第二の開国を占領により強制されることになった。戦後の経済発展は経済至上主義ともいわれ、働き蜂とも揶揄されながらも日本を世界第二の経済力を持つ国に持ち上げたが、バブル崩壊、リーマンショックを経て「第三の開国」を迎えようとしているというのだ。その主張は「グローバル化に適合しないと国際的競争力を失う」というもの。

バードが指摘する当時の日本の問題点の多くが現在日本にも当てはまるような気がしてならない。多大な政府による国民への借金、経済発展至上主義、欧米の良い技術だけを取り入れて日本人だけでうまく運営しようとする考え方(海外進出するときにも現地法人のトップは日本人)、倫理道徳教育の欠如、アジアの人たちへの差別的考え方などである。今日は六本木の新国立美術館でルノワール展をみながら、バードの同時代の欧州人であるルノワールの描くフランス人の当時の暮らしを見て考えながら、同時期に日本で起きていたことに思いをはせていた。バードが今の日本をみたらどう言うだろうかと。
イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
イザベラ・バードを歩く―『日本奥地紀行』130年後の記憶

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