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Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

大原野神社の御田刈祭

2013-09-09 04:08:29 | 寺社

8日(第二日曜)は大原野神社の御田刈祭へ。五穀豊穣を神様に感謝し相撲を奉納する神事がある。桜の頃に近くまで来ることもあるのだが、ここはほんとに古色漂うひっそりした良い感じの神社。狛犬でなく狛鹿が鎮座。今日は、村落にも《御田刈祭》の幟が並び、あいにくの雨なのに結構にぎわっている。鳥居をくぐって階段を上がると、仄暗い参道の灯篭にも灯が入り、屋台が開店の準備をしている。

まずは本殿へ。10時から神事。小ぶりな本殿に関係者多数参集。外国人と思しき男性がずーーっとカメラを回している。外から覗いていても仕方がないので境内をうろうろしていると社務所の縁側に子供横綱・太刀持ち・露払いの三人が座っていた(写真)。子供横綱昇殿の儀とアナウンスがあり雨の中子供たちは本殿へ。

雨で普段より薄暗い木立を透かして、テントやらが見えているのでそちらのほうに行ってみると、立派な土俵があってびっくり!雨で中止かしらなんて思っていたら、・・・・・神事ですから・・・・とのこと。神事は雨天決行なんだ!土俵の4面にはテントが張られ、二面には子供達が陣取っていた。近隣の小学生で、子供相撲の奉納もある。

神主さんがいつの間にか移動してきていて、江戸時代・享保2年に始まった土俵神事の始まり。連綿と続いて今年が296年目。神主さんのお祓いから始まった。二地区の代表・・東西の神力士・・が型どおりに土俵を清めてから対戦する神相撲。これが神事。争わずお互い仲良く助け合って生活することを神に誓うために、一勝一敗と引き分けることになっているとか。

本気で相撲を取るわけでないけれど、普通の体格のおじさん達で、雨の日の涼しさに、なんだか寒げ。締め込みだけで、風邪などひかないでなんて思ってしまう(すみません)。若い人の少なくなってきている村々で、伝統行事を続けていくのは大変だろうな、と雨の中思ったものだ。

 


法金剛院

2013-06-04 08:47:18 | 寺社

三日は法金剛院へ行く。昔購入した《関西花の寺》の朱印帳(心華帳)が出てきて、ぱらぱらめくっていると法金剛院では6月にいろいろ花が咲いているようなのだ・・・。出かけてみると、JR花園駅の前の交通量の多い道に面してひっそりと小さな門が開いている。

残念なことに、古い建物が覆いをして修理中。礼堂というらしい。その建物の横を矢印の沿って行くと仏殿に。なんだか収納庫のような建物で、仮安置の場所?と失礼ながら思ったほど。しかし仏像は立派で、至近距離から拝めて、言うことなし。本尊の阿弥陀如来は平安時代の作で重文。ほかに十一面観世音菩薩座像とその厨子、僧形文殊菩薩、地蔵菩薩など多数、そして重文。

廊下を横に進むと地蔵院があって、こちらは鍵がかかっていて入れない。が格子の隙間から見れば・・・・・・、これはびっくり。見たことの無いような大きなお地蔵様(丈六で平安時代の作)。金目地蔵又は要地蔵はたまた叶地蔵と呼ばれているとか。後で聞いたところでは“定朝のためし彫り”と言う言い伝えもあるそうな。左右に三体ずつ同じ形の地蔵立像(六地蔵)が控えていて、これは見ごたえのある空間。庭掃除の人がすばらしいでっしゃろ・・といいつつ毎月23日はお堂を開けはりますと、教えてくれる。

庭に出ると、ポツリポツリと人の影。ひっそりとしているのは歓迎なのだが、蓮はまだ咲いていない。花菖蒲がところどころに。あじさいもちょこちょこ。仏殿から出てきた大きなカメラを持った人と顔を見合わせて、うーーーん。日にち間違いましたな・・・・。ところで沙羅双樹咲いてました?と彼。まだ、蕾でしたよ。**院の沙羅の花は見に行きました?ほんまに入山料の高いことで!と、彼。ほんと・ほんと。ほんとに誰でもそう思っているんだと苦笑い。

この寺の創建は平安時代初期(830年)。右大臣清原夏野が山荘を建て、死後寺としたのが始まり。以後紆余曲折あり、1130年に鳥羽天皇の中宮待賢門院が復興して、法金剛院とよんだとか。わーい、こんなところに待賢門院の名前が出てくるなんて!昨年のNHK大河・平清盛で西行の悲恋の相手の高貴な女性としてでていたが・・

待賢門院が命じて作らせたという《作り滝》は一見の価値あり。近年遺構が掘り出されたとかで、巨岩をどんと組んでいる。青女の滝と言う。池の水を循環させて水を落しているらしいが、空梅雨で池(自噴)の水位が下がって、ただ今空滝、残念。作られた当時は双が丘の辺りから水をひいていたとか。蚊取り線香を腰に吊るし草を引いている女性が、親切にいろいろな花の名前を教えてくれた。この花だけ咲いていますでなく、あれやこれやと自然体の花の寺で、これもまた楽しからずや、だ。

菩提樹が一木あって、蕾が沢山ついていた。初めてみた菩提樹の花、こんなんなんだ・・と感激!

 


 

 


奈良博:特別展「當麻寺 -極楽浄土へのあこがれ-」

2013-05-31 00:15:32 | 寺社

南円堂・北円堂を見終えて・・奈良国立博物館へ。 當麻曼荼羅完成1250年記念 特別展「當麻寺 -極楽浄土へのあこがれ-」が開催中。寺外での展示は最初で最後!なんだとか。

当麻寺は何度か行っている・・・・。最近ではといっても2年ほど前だが、東西二棟の国宝三重塔内が公開された時に拝観に行った。tesyukeにとっては・・當麻曼荼羅・・中将姫・・と来て、中宮寺のような小さな尼寺かしらと言うのが最初のイメージだった。ところがどうして、お・おっきい。大きいより巨大。なんだか自己主張の強い建物が境内にたくさんある大きいお寺と言うのが現実で、複雑な気分。

それが、今回の展観で、すっきり! 寺の歴史も中将姫伝説の経過もよくわかった。展示場も見やすくなかなか充実したものだった。・・・・・阿弥陀如来の極楽浄土の様子をあらわす當麻寺の本尊 「當麻曼荼羅」。本展ではこの「當麻曼荼羅」とともに極楽浄土信仰の拠点となった、當麻寺の奥深い歴史に迫ります。寺宝を一堂に会し、関連資料を加えて開催する史上初の「當麻寺」展をお楽しみ下さい。・・・・・とのパンフレット通り。

聖徳太子の弟・麻呂子王や役の行者、空海と有名人がオンパレードで出てくる草創期。来世に阿弥陀如来の西方極楽浄土に生まれ変わろうとする信仰が広がリ出した平安末期からは中将姫と曼荼羅が主役に躍り出る。當麻寺は阿弥陀如来の浄土を描いた「当麻曼荼羅」を安置する寺として有名に。又この寺は(大津皇子のお墓のある)二上山の麓にある。二上山といえば、彼岸には夕陽が2つの峰の中間に沈むことから、西方浄土の象徴のような山。すごいつながり!

国宝 當麻曼荼羅縁起・重文 當麻曼荼羅・・などなど。多くの女性が長く足をとめて居たのは 中将姫坐像か。そして最後尾に遠慮がちな展示品を見つける。和歌山有田市・得生寺蔵 《當麻寺縁起・元禄9年》 丁度去年の5月14日、この得生寺で子供達による伝統儀式・練り供養を見たのだ。(本家の当麻寺のほうはまだ見ていないのに。)得生寺の縁起によると・・・中将姫伝説は典型的な継子いじめ譚・・・継母が中将姫を殺すようにと依頼した家来の男が、あまりの不憫さに命を救いひっそり姫を育てる。後年父親に見出され姫は都へ戻るのだが、かくまわれていた場所が和歌山・有田のひばり山で、彼の(出家)名前が得生。その旧跡にあるのが得生寺。地元の子供が、中将姫や25菩薩に扮する練り供養は和歌山県指定無形民俗文化財。

 


 


興福寺・南円堂北円堂特別公開

2013-05-30 00:02:09 | 寺社

5月28日・日曜日、久しぶりの奈良公園。 昨秋、興福寺のリニューアルされた国宝館と仮金堂の特別公開に来て以来。今回は、興福寺の南円堂・北円堂の特別公開を見に。

興福寺の五重塔近辺を、芝生続きの公園の一部なんて思っていた tesyukeにとって、昨今の変わりようは、びっくり仰天を通り越し、へーーーっと腰を抜かさんばかり。工事中の建物に加え、過去の建物の基壇がいつの間にか設置されていて、鹿がのんびり歩いていた地面!がなくなってしまった。明治期の興福寺の廃れようは有名な話で、満を持しての再建なんだろうな、と思うのだが・・・ひょっとしてきっちり興福寺境内として塀でもできてしまったら・・・と、恐れている。

とにもかくにも、南円堂はお線香の煙の絶えない、庶民のお寺と言う雰囲気(西国三十三札所の一つ)。昔はおみくじがよくあたると言ううわさがあって、行くとおみくじを引くのは定番。友達と二人とも大吉を引いた時など・・凶なんかでると思う?ちょっと観察してみる?と、おみくじを引く人の結果をそれとなくチェックしたことが・・・暇人・・・。そのときは凶を引いた人は誰もいなかった!

南円堂はほんとに良く来るところなのに、中に入ったことが無い! 正面から拝むのみ。北円堂は木立の中にひっそりとあって誰も注意を払わない感じで、めったに傍まで行かない。これらの御堂は興福寺の何なのさ(どういういわれの建物?)と考えたことも無く、思えば知っているようで知らない・・・御堂だ。今回は、あの有名な世親・無着像に惹かれてやってきたのだが、すばらしい仏様達に出会え感激・感激・感激!の一日。

まずは、南円堂。こんなに大きな建物だったのかと驚く。靴を脱いで入ると、お堂の中心・天井近くまでどんとご本尊の国宝・不空羂索観音。これまた、大きさにびっくり!お堂が小さく思えるほど。そして本尊の四方に国宝・四天王立像。堂内ををぐるりと回りながら見あげる。どちらも運慶の父・康慶の作。南円堂は平安初期(813年)に藤原冬嗣が父内麻呂追善のため建立。創建以来4度目の今のお堂は江戸時代(1741年)の再建。重要文化財。

南円堂から北円堂まで進んで行く。こちらは創建が奈良時代(養老5年・721年)。あの藤原不比等の追善のために建てられているのだ!! これは知らなかった・・びっくり。扉の開かれた正面からすでに、ご本尊と後に控える無着・世親像が見えている。見ただけで、南円堂との雰囲気の違いがわかる。このお堂は創建以来3番目で、あの平重衡の南都焼き討ち(1180年)後30年、1210年の鎌倉時代に再建されたもので、興福寺の諸伽藍の中で一番古いとか。で、北円堂は建物も国宝。

ところが、こちらは土足で内陣へ。敷かれた石の一枚一枚が国宝です・・なんて警備の人が笑っていたが・・・。鎌倉の再建時に運慶一門が総出で再興に尽くしたとかで、本尊の弥勒如来坐像と無着・世親像は運慶作。平安初期の四天王立像も国宝。再建とは言え、堂内の雰囲気に、新薬師寺を思い出した。奈良時代だね・・・。ぐるっと一周してご本尊の右横に立つと、開口部からの日を受けたご本尊の横顔の美しいこと。残った金箔がふっと光っている!無着・世親はインドの兄弟僧侶。この像は確か美術の教科書に載っていた。世親の手のひらにも突起があって、何かをささげもっていたみたいですよ、とは警備員さん。

(気分は)奈良時代の北円堂から表に出ると・・・現実にまたまたびっくり。何故・何故・なぜ?大きな木が切り倒されている。北円堂と長年にわたって馴染んで風景の一部として生きてきた松の木などが大きな年輪をさらしている。建物を建てるわけでもなく境内整備のため・・・なのだとか!  信じられない。木を植えて、一日で成長するわけでもないのに、どうして無慈悲に木を切るんだろう。21世紀はこんな時代なのか。写真をアップして抗議としておこう。

 


鷽替え・・大阪天満宮

2013-01-26 10:51:39 | 寺社

昨年誘われて行けなかった大坂天満宮の鷽替(うそかえ)神事に行ってきた。

25日は天神さんの縁日。1月25日は初天神。北野天満宮はよく行くけれど大坂天満宮にはあまり縁が無い。去年は鷽替えって何?と、どんなものやらよく分かっていなかった。これこれしかじかと友達・・・・そして後日に《木鷽あたってん!》と大喜びの報告が。

とにかく大阪天満宮に。今日はJRで・・。境内には露店も出てて、和歌山・南部から来ている梅干宣伝隊に梅の小枝をもらう。ふむふむ梅ですな・・・天神さんは。そして天神さんは鷽(うそ)と言う鳥が好きだったとか。その鷽の同音字《嘘》から派生しての行事がこれ。・・・・正直の神としての天神信仰から生まれ、平素の嘘を菅公の愛鳥 “うそ鳥” に託し誠に替え、罪穢れを祓いやり福を招く神事である・・・・と(天満宮HP)。

1時に始まるので、ぼちぼちと行列ができ始める。tesyukeの前のおばちゃんが言う。近くじゃないけど、買い物のついでに毎年来ている。銀の鷽あたったことあるねん。造幣局の刻印が押してあるので本物やで。おっ、これは・・・・いい話聞いたと、tesyuke。

1時になると鷽鳥のお守りの入った袋が配られ、もらった人から本殿の前の竹に標(しめ)を張って作った結界の中に入っていく。そして《換えましょう。換えましょう。うそを真に》と言いながら、近くの人と交換していく。何人ぐらいと交換できるかな・・とカウントし始めたが・・やめた。とにかく次から次と休むまもなく交換し続け・・・。芋の子を洗うような中でくるくるくるくる動き続けると、異次元にいるような気分になってくる。

ド・ドーーン。太鼓の音。鷽替え終了。最後に三回換えっこしてから袋を開いて下さーーい。中の鷽鳥守りの裏に金鷽・銀鷽とか書いてある人はこちらへ・・・。金鷽さん、昨年一番の嘘つきさんですなーーー。残念、うそのつき方が少なかったか!大の大人がかけ回って、ちょっと童心に返るというか、楽しい行事だった。

帰りは天神橋筋商店街に寄る。先日宅配の野菜のダンボールの底に敷かれていた新聞に見つけた記事、大阪甘味(スイーツ)図鑑・大阪都まんじゅう。なになに・・専業主婦が幼い頃に食べた味が忘れられずに・・、人生ラストチャンスと66歳で起業。おーーすばらしい!!三丁目まで歩いて買いました。食べました。あっさりしていて、美味しく頂きました。

 

 

 


2013年・初詣

2013-01-02 18:24:49 | 寺社

2013年。平成25年。平成になってはや四半世紀とは・・・・。

新聞に効果的なスケジュールのたて方なる記事があった。1年は約53週、それを4クールに分けて・・1クール13週(ほぼ3ヶ月)で・・・4枚のペーパーで事が住む云々と。1年はたった4枚のペーパーかと思うとこれはうかうかしてられないという気になってくる!

とあれ、初詣。定番の北野天満宮は二日にして、一日は関西圏初詣人数ナンバー1の伏見大社に!車は無理とJRで。思い出したように、たまに初詣に来るが1日は初めて。聞きしにまさる人出。楼門から一の鳥居のほうを振り返ってみると写真のごとく・・・。で、まず境内の荷田春満旧邸の神社(東丸神社)に行くと受験生でぎっしり。受験生の邪魔をしちゃーーねとパスしてお稲荷さんの外拝殿(舞殿)へ。あまりの人ごみに内拝殿(のなかに本殿)前には行かずここで参拝。とにかく(身動きの取れないような)人ごみを避けて千本鳥居のほうに上っていく。しかし降りてくる人に押し流されそうになるほどの人ごみで前の人の背についていく有様。

それでもちょっとは余裕はできて、おっ、トルコのケバブ屋さんが出ている!とか神馬舎に生の人参が供えてある!だのときょろきょろ。千本鳥居を通って、ハイ奥社奉拝所到着。右後方にあるおもかる石は、ひえーーぃと驚く、大行列。パス・・パス・・。ここで引き返す人が多いので、あとは普段より少し多い位の人ごみを、熊鷹社へ。ここまで来ると、空気は一変。異次元。新池を背にしたお社に恐ろしいほどの巨大ろうそくが多数灯され、炎が・・ごうごうと・・と言う感じでゆれている。これはすごい!

熊鷹社を通り過ぎどんどん上っていく・・・三の辻から四の辻へ。初詣にしてはきついコース。四の辻の茶店前では大勢の人が休憩中。tesyukeたちも甘酒を飲みながら、元旦の京都南部を見下ろす。晴れ渡った青空にすばらしい年の初め。お山めぐりもここまでにして、さて下山・・・とは言え、雑踏の中に戻りたくないねと、東福寺へと山道を抜けていくことにする。一見(いちげん)参拝者には分からないだろう、なーーーんてほだきながら!!気持ちのよい林間に地元の親子連れなどとすれ違う。

東福寺は初春の静寂に沈んで、とってもよい感じだった。元旦に初詣の行事などは行われていないのだろうか?JRの稲荷駅と東福寺駅は一駅違いなのに雲泥の差の人出。ここまで来たらついでに京都駅まで行っちゃえと、てくてく。お日和もよく・・・とこんなに歩く初詣も珍しい。途中のとある民家前に《旧高瀬川の碑》が建っていた。江戸時代は高瀬川が蛇行してこの辺りを通っていたのだとか。ふーーん。

京都駅で、なんだか現代に戻った感じ。コーヒーを飲みながら駅ビルに映る京都タワーを眺め、日の翳り行くのを知る。ついでに大階段によると電飾が謹賀新年とかの文字を何バージョンかで映し出していた。・・かくして1日は過ぎぬ。

二日は例年の如く北野天満宮。昼過ぎに車で出たので、到着後、駐車場まで1時間強がまんがまん・・・・。天気は昨日とうって変わり、参道にいる間に降り出した。人出に逃げ場も無くて、みんながまんがまん・・・・。おみくじは驚くことに1番大吉。またまた驚くことに去年と一緒。と、言うことは可もなく不可もないということで。平凡が一番!最後に境内の茶店で長五郎餅とお抹茶を頂き・・あーー二日も過ぎぬ。

 

 

 


暁天講座・智積院

2012-08-03 20:29:00 | 寺社

学生の頃から、電車やバスのなかで、盛夏の頃には必ず目にしていた地味なポスター。暁天講座。8月頃になると京都の有名寺院が何日間か早朝のお勤めのあとに講話などを催しているもの。布教活動の一環か?あーー、夏やなーー、お盆も近いなーー、とそんな季節の催し。早起きして行きはる人がいはるんや!それでも夏の朝の清々しさを思い一度は早起きして経験してみたいな・・・とは,思っていた。

それやこれやで、うん十年。今年はびっくりしたことに、結構大々的にチラシが観光案内所などに置かれていたこと。最も、朝粥つき****円。先着**名。ちょっと商業的になりすぎ?と、思いつつ講話よりお寺の朝粥に心惹かれるtesyuke。近所ならともかくちょっと遠すぎて・・・却下。

それが、7月31日の英語クラスの帰途観光案内所にたちよると・・・・・。これまた暁天講座のチラシ! 何々・・8月1日・2日・・智積院・・午前6時・・最後に殺し文句《朝粥の接待あり》。車で行ける距離・・これは是非運転手を懐柔しなくては。

というわけで、2日の早朝智積院に出かけた。tesyukeが京都の街をうろついていたうん十年前はこのお寺は敷居が高いと言うか、長く延びた塀に閉じた門で近づきがたい雰囲気だった。国宝の長谷川等伯の襖絵があると聞いていたが拝観など及びもつかなかった。それが、いつのまにか塀の一部が切り取られ、駐車場ができてオープンな雰囲気に変わっていて驚いたものだ。

早朝の街は渋滞も無くてあっという間に到着。すでに何台か先着の車があり、結構遠いところからの人も。緑滴る東山の暁の天!。車の中から、すばらしいな・・と、見ほれていた。静まっている京の町にはさわやかな気が充満していて、観光客の皆さーーん早起きしなはれ、と言ってあげたい気分。これは病み付きになりそうな暁天講座の副産物。(早起きの人には何をいまさらと言われそうだが)

6時きっかり、朝のお勤め。あちこちの宿坊に泊まる度に経験してきているが、突然に大声が上がってびっくりした。始まりの合図のよう。宗派によってやり方が違うのが面白い。さすがに本山だけあって集まっているお坊さんの数が多い。お坊さんの衣の色が違うのは何故?なんて俗なことを考えたり・・・。(あとで知ったが、墨染めの衣は修行僧だとか。ここにはお坊さんの学校がある)

講演は、小児科医であり僧侶でもある、倉松俊弘師。《いのちみつめる》が題目。10年ほど前に兄を亡くし、生家の寺を継ぐ運命となり、智積院の智山専修学院で修行なさった方。医師としての仕事を通じての思いを分かりやすく語られなかなか聞き応えがあった。


祇園祭り・・・鉾町散歩

2012-07-14 00:48:11 | 寺社

13日:今日はのんびり鉾町を歩くには最適の日かも。宵々々山は明日から・・山鉾はでそろっている・・・・それもあろうかと、tesyukeの受けている祇園祭りに関する講座は現地学習!!体よく言えば鉾町散歩。講座をトータルでコーディネイトしている先生が鉾町の出身で、ルートの決定はお手のもの。

3時に四条烏丸。まずは南観音山へ!ここの世話役さんに話を聞いた時、曳き初めさせたげると、言うてはったので・・・。四条通を西へ。函谷鉾・菊水鉾・月鉾をちらちらと見て新町通りを曲がれば。やあやあ始まってる。四条通に一番近い放下鉾近くまで南観音山が動いてきている。この通りにある4基がいっせいに南北を行って帰る。南観音山の北にある北観音山が動かないと南観音山は北上できない。待機中を幸い山に取り付けた綱にみんな取り付く。

お囃子が始まり音頭取りさんが扇子を前に出して合図すると、動き出す。思わずサアーと動いてびっくり。こんなに早く動けるんだ!南観音山の町会所へ戻ったところで我々は綱を離れる。山はまだ北へ動きそれから南へと下がって会所へ戻る。引き終えた子供にお菓子が出るので人気だとか。山のてっぺんに飾る松の木は、二本取り寄せたものを北観音山とくじ取りで選ぶのだとか。ご神体(?)には毎晩一日交代で坊さんと神主さんが拝みにきはるんだとか。内部の人に話を聞くと百倍面白おっせ・・みたいなとこがあるなあ・・。

人出はまだましなほうとは言え、半端でない。迷子にならんとついてきて・・・と、次は一筋東へ。室町通の鯉山へ。山は鉾に較べて組み立ても簡単、飾りも本番近くまではきちんとしないので、ちょっと、間が抜けた感じ。鯉山の飾りを見せてもらうのだが・・本日準備中非公開のところを知り合いのよしみとかで特別に会所の中へ。立派な蔵も戸をあけてあり、畳の部屋には「会所飾り」といって御神体や懸装品を展示(写真)。

写真の右は、スサノオノミコトを祀った社殿。鳥居の後ろに見えるのが立派な鯉の彫り物。御神体で左甚五郎作とか。左端が見送り。これを筆頭に部屋にズラリと飾られている前掛・胴掛等々。これらが重要文化財の16世紀のベルギー・ブリュッセル製タペストリートで,1枚を大工のノミで9枚に裁断。9枚をあわすとイーリアスの一場面になる。16世紀当時と同じ色のタペストリーが残っているのは、世界でも唯一、鯉山だけですねんと、説明してくれる人もちょっと自慢げ。今では京都博物館に保存され、この時期だけ里帰り。もちろん実際に使われるのは複製。蛤御門の変の時は耳打ちしてくれる人があり、鯉とタペストリーだけは、伏見に疎開させたんです・・とはちょっとした秘話か?

鯉山から占出山へ。ここの席飾りを見て長刀鉾で解散。粽は鯉山で買った、500円。長刀鉾は1000円や・・・、メジャーは強い。18歳のときに初めて祇園祭を見て以来、見ても見なくても7月になると世間にあふれる祇園祭にまつわるもろもろに浸かって来た**年。室町の繊維関連の衰退からか、個人の家の《屏風祭り》が確かに減ったね・・・。地下鉄が無いときは、バスから鉾が建ったとか、にぎわってきたなとか、通りすがりに街の様子を楽しめたものだが・・・

そういえば、たいていの山鉾は側で見ているが、一つぽつんとはなれている保昌山だけはまだ。、良い機会と寄って帰ることに。なんだか近所の夏祭りの準備中のような暇な雰囲気。おやおや、稚児の役をする子だろうか、真剣な表情でなにやら稽古中。状箱に似たものを手に、稽古相手の大人に差し出し中を改めてもらい・・・最後に蓋をした箱に扇子で紐を跳ね上げぐるっと巻くと言う所作。もう一回、もう一回と一連の動作を繰り返す。上手にし終えて稽古終了。見ていた部外者が思わず手をたたく。こんな真剣な目が祇園祭を次代につなげるんだね・・きっと。

*あとで分かったこと。この稚児はくじ改めのときの所作の練習だったよう。手を使わないで扇子1本で函の紐を解きくじを示し紐を元に戻す。とっても難しいとか。


祇園祭・・神輿洗い

2012-07-14 00:04:49 | 寺社

京都はすでに祇園祭の真っ最中。10日は鉾建ても始まって、四条通りもなかなかの賑わい。そんな中、四条大橋たもとの床(ゆか)で食事しながら・・・・神輿洗い(みこしあらい)を見るというプラン。夜はおとなしく家にいるtesyukeも、行く~~とて、総勢16人が祇園石段下に集結、4時半。

先ずは、スターバックス前に陣取って、お迎提灯を見る。《神輿洗》の神事に先立って行われる神輿を迎えるための《お迎え提灯》。その行列が四条通~河原町通を練り歩いた後、市役所前で舞を披露し、八坂神社に戻ってくる。市役所前まで・・・追っかける?やめ・・やめ・・しんどい・・とて、夕食までを、和風喫茶で休憩。さすが祇園・お店にはちゃんと檜扇(ひおうぎ・祇園祭に欠かせない花)がいけてあった。

お迎え提灯は子供が主役。次々とかわいい姿で現れるが、横には着物姿のお母さん達。目立たぬよう(?)に付き添っている。鷺踊り・小町踊の子供たち。騎乗のお稚児さん(これは旗印に名前が大書されている)もいてなかなか見ごたえがある。祇園祭音頭に京都市内生まれの人が、盆踊り言うたらこれでしたわ・・・。日が暮れると子供たちの持っている提灯に灯が入り、ぐっとムードがでるのだろうが・・・それまでは待てず、6時半には東華菜館の床で四条大橋を見上げると言う按配。

食事をしながら、四条大橋をちらっちらっと偵察。なにやら大松明がやってきた。 白い法被姿の氏子らがおみこしを担いでやってきた。子供を肩車している人もいる。マイクで、世話役がまわせ・まわせと言う度に、「ほいっと、ほいっと」と掛け声をあげ神輿をまわしている(写真)。さすがtesyuke達も側までいかな!と、テーブルはそのままで飛び出す。片道が通行止めなので反対側をバスや車が通る。で、警官に止められて間じかまではいけないが、まあまあ見ることはできた。朝に汲み上げた鴨川の水を榊で振り掛けるのが神事。こんな暑い日に、朝汲んだ水やったら行水できますやん・・と、誰かが言う。

日も落ちて、おみこしの周りの白装束の人達だけが浮き上がって別世界。神事だからギャラリーとは無関係に粛々と執り行われ、終われば八坂神社へ帰っていく。今まで、神輿の事をあまり知らなかったのだが・・・実は、《祇園祭の最重要部分は山鉾ではなく神輿》なのだ。17日山鉾巡行が終了した夕刻に、八坂神社から3基の神輿が出て御旅所へ渡御する。そして24日のあとまつりで、神輿は御旅所から八坂神社へ還る。神輿の渡御、つまり本社から御旅所へ神が移動すること、これが祇園祭でもっとも重要な神事である!と、tesyukeは学んだ。(実は今年、祇園祭の講座をとりましてん(^。^)

それで、神輿洗いの意味は、まつりに先立って鴨川の水で神輿を清める、禊ぎの儀礼ということで、きれいにした神輿に八坂神社の神さんがお乗りになる。ついでに、鴨川の水を汲み上げることで、鴨川の神をも神輿に乗り移らせているらしい。それで昔は鴨川にしつらえる床は神さんがお旅所にいはる留守の間だけだったのだそうだ・・・と、聞いたが。

それにしても、見終わるやいなや脱兎の如くテーブルに戻った我々・・花より団子。


祇園まつり・・大船鉾

2012-07-13 18:25:39 | 寺社

京都駅前のヨドバシカメラに大船鉾が展示されていると言う話は前から聞いていた。が、店内では見たことが無かった。今日は、ヨドバシカメラに行ったついでにインフォメーションで聞いてみると、特別の展示室に置かれているとか。見に行くと、どーんと船の形の骨組みがおかれていた(写真)写真では小さく感じるが実物の方はずっと大きくて、よくここまでこぎつけはったなーーと。あと、飾りとかもろもろのことを進行中なんだろうが、ようがんばりはった!

何年か前に、友達と船鉾を見に行ったことがあって、ジャストタイミングで曳初めに遭遇。曳いてもいいのん?かまへん・かまへんと曳かせてもらったことがある。そのあと新町通りをぶらぶらしていて、船鉾のごくごく近くに大船鉾の文字を発見した。それが、大船鉾を知ったはじめ。居祭りということで、前掛けや御神体を展示してあったのだ。な・なんと元治元年(1864年)の蛤御門の変により一部を残し焼失!現在は巡行していない山鉾(焼山とか休み山と言う)で、鉾町の人が復帰に向けてがんばってはるところだったのだ・・・・。知らなかった、知らなかったとびっくり。

それが今年の《祇園祭山鉾参観案内書》の山鉾巡行順に《最終大船鉾》と記載されている!全面復帰ではないが・・・・今年より神功皇后のご神面を唐櫃に奉安し、囃子を伴う『唐櫃巡行』として参加・・・・と、記載。よかったですねーーー、142年ぶりとは、息の長い話。さすが、京都!


東福寺・涅槃会

2012-03-15 23:10:26 | 寺社

3月15日御開帳の涅槃図を見に東福寺に。

仏教の開祖である釈迦は旧暦の2月15日に亡くなったとされるが、新暦ではひと月後の3月15日にあたる。この日に、釈迦の遺徳をしのび追慕する法要「涅槃会」が営まれる。この涅槃会に本尊として用いられるのが「 涅槃図」。もちろん東福寺も3月14~16日の三日間は涅槃会があって 涅槃図を御開帳・・・・

京都では、泉涌寺・東福寺・本法寺の涅槃図が三大涅槃図といって有名。tesyukeはお寺で掲げられた涅槃図を見たことが無く、今回が初めて。東福寺の法堂内陣は赤・緑・白の幕がつるされ華やいだ雰囲気。いつもは堂内には入れないので、正面から身をよじるようにして天井画を見るのだが・・今日はただ!で入れるんだ、ラッキー。・・・・ちなみに広さ約150畳の天井にはダイナミックな龍が描かれている。堂本印象作《蒼龍図》。

堂内には大きな涅槃図が本尊として掲げられている。縦12メートル・横6メートル。満月の夜に沙羅双樹の下で釈迦が入滅、頭は北に顔は西に向け右脇を下にして横たわり(寝釈迦)、周りを取り囲んだ弟子や動物などが嘆き悲しんでいる。その様子を描いたのが涅槃図で、哺乳類、鳥類、両生類など、あらゆる生き物が描かれている。が、猫だけは描かれていない。ところが東福寺のには猫がいるので有名。

この涅槃図の作者は東福寺の画僧明兆(1352~1431)。1408年に描いている。昨秋この法堂を訪れた時、学生を連れた先生が説明をしているのに居合わせた。小耳に挟んだのは、・・・涅槃図を描いているとき赤い絵の具がたりなくて困っていたんや。すると一匹の猫が、明兆の袖を引っ張って、赤い土絵の具のある谷に連れて行ってくれたんや。明兆は感激して、その猫の姿を涅槃図に描いたんや。3月15日に見られるよっておぼえときや・・

セレブな猫一匹のために、立って涅槃図を観察する人が多い!猫・猫・猫・・それでも猫がどこにいるのか分からない。白い紙が目印につけてありますの声、寺側も用意周到。分かってみれば白象の足元に丸くなっている小さい・・600歳のうすら丸い生き物が猫。猫にかまけてしまって、お釈迦様すみませんと言う気分。その時、東福寺幼稚園の園児達がやって来た。きちんと本尊(涅槃図)前に整列して手を合わせる。しっかり、今日は何の日かとか涅槃図の説明とかを引率の先生から聞いている。そして、仏様をたたえる歌を奉賛。可愛い声でお釈迦様の一生を歌う。あまりのいじらしさにおばちゃんたちもほろりと目頭を押さえる。なんだか堂内の立っていた人が座って本尊に向き合ったような気がした。

この日のために用意された御供(花供御・はなくそ)を買って堂外へ。甘酒の接待所もあり、いつもにはない雰囲気の東福寺だ。

写真:花供御の中身はあられ。袋に描かれているのが猫。



梅宮大社へ*観梅

2012-03-12 23:15:13 | 寺社

友達から電話、長浜に盆梅見に行かない?(終わってるんじゃない・・・)梅見るのどこか良いところ無い?北野天満宮は?ありきたりかな?

で、結局《梅》がつくから本命かもと選んだのが・・梅宮大社(神社でない!)。総勢5人で観梅としゃれこんだ。京都駅から北に向かって立つと、どうしても視点は右へ・・東山山麓。どうしても左側の情報は疎くなる。おまけに、交通の便も(市バスだけ)悪いし、ついつい敬遠、そんなところに梅宮大社はあった。が、知ってみればこの神社、桂川を挟んで松尾大社と対峙した位置にある。

嵐山から松尾大社辺りは遠いと言ってもよく行くのだが、桂川を挟んだ市街地のほうには行ったことないな・・・・と、五人が口々に言う。その市街地の中に埋もれるようにある梅宮大社前バス停へ、京都駅前から市バスで30分ほどかかり到着。こことおって、ここへ出て、なるほどなるほどと地名を確認して遠足気分。分かってみれば何のことはない四条通の西の端に来たんだ。そして、松尾橋を渡れば松尾大社。

梅宮大社の楼門までの参道に咲いている梅がとっても良いにおい・・・。門前には立派な石碑があって《梅宮日本第一酒造の祖神・安産守護神》とある(写真)。境内にある梅の木は花が咲いており、来て正解だったねと口々に言う。聞けば梅の木40種約600本が植わっているとか。奈良時代(710年~794年)創建の古社で、舞殿・拝殿・本殿と続いている(もっとも建物は江戸期のもの)。拝殿前の小さな狛犬がなんとも愛嬌のある顔をしていてかわいらしい。

折角だからと500円を払って神苑に入る。平安神宮にはかなわないが、それなりに整えられた良いお庭だった。庭の東側は池が主体だが、立派な松の木に加え梅の木も結構ある。それらの背景に門や本殿が見えて、良い雰囲気をかもし出している。平安時代のこの近辺(梅津の里)を詠んだ百人一首のなかの歌の碑がある。大納言源経信卿・・夕されば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く・・。神苑北側から西にかけては梅林になっていてほぼ咲き初め完了と言ったところ。早咲きのものは満開で、十分梅を楽しむことができた。


寂聴さんのおっかけ?

2012-03-03 23:59:15 | 寺社
三月三日ひな祭り
三の数字にちなみ三十三間堂が催す春桃会(しゅんとうえ)に友達と行ってきた。もちろんおめあては瀬戸内寂聴さんの青空説法。

というのも、NHK放映の寂聴さんの東北慰問を見て・・・それも二回も見て・・涙ほろほろ。これは寂聴さんに会いに行かねば・・。昨年のこの時期に日本にいなかったので知らなかったが、寂聴さんは背骨の圧迫骨折で寝たきりだったそうで去年の青空説法はなかったとか。

三十三間堂の中心の扉が開いて寂聴さんが外陣におでまし。杖を突いて介添えされて・・椅子も用意してあって、周りの皆さんがとっても気遣っているのが分かる。しかし、話し出されるとみるみる若返って、もうここは寂聴ワールド。数ヵ月後に90歳になりますが、私より年上の方手を上げて・・誰もいない。(写真)

心のおもむくままに話は続き・・それも立ったままで1時間。最後の恒例の聴衆からの質問タイムはカット(これ以上ひきとめては申し訳ない気分)。どうぞ、お元気での言葉がみなの間からあがり寂聴さん退席。

tesyuke達はお堂から出てこられるところを見ようと移動。休憩所までの道を支えられながら歩いて来られるのにしっかり遭遇。小柄で、説法に力を尽くされたのか、とっても疲れて見えて、ああーー、90歳なんだと、涙があふれそうになった。

昼食どころが境内に出来ていて、そこで一服しようということに。売り切れです・・
が、そこは寂聴さんがいる休憩所のまん前。えっ、皆さんでてきはるの待ってはるんですか?なるほど黒いハイヤーが待機している。いつまでも待ってられないしねーーなどと言っていると、寂聴さんが出てこられ助手席に・・・。ありがとうございましたーーーと、ギャラリー一同が叫ぶ。

それでは、帰りましょと三十三間堂を出て七条通りまで・・の間で、あの車寂聴さんの車やん。駐車場の観光バスの間をねるようにゆっくり来る。tesyuke達の側で停まって窓が開く。何のことはないtesyukeたちの隣に寂聴さんの知り合いの編集者が立っていたらしくその人への挨拶だった。元気を回復した寂聴さんのかわいい顔を直近に見ることが出来た。

ということで、今日は4回寂聴さんを見ましたという話。

大将軍八神社

2012-01-04 23:32:46 | 寺社
徒歩での初詣。
そのまま帰るのも惜しくて、北野天満宮から御前通りをちょっと南下して《大将軍八神社》に寄る。

京都の街は歩いていると未だに発見がある。小さなものから大きなものまでおやおやこんなところに・・こんなものがと、言う感じ。大将軍八神社も今出川通りにチラッと矢印の看板が出ていて、こんなところにあったんだ!と知ったわけ。
*十年前、初めて京都の地図を眺めたときにどーーんと、目に飛び込んだ《大将軍》の地名。はんなりな京都に似つかわしくないと、インパクトを受けた。多分、この神社から派生した地名なのだろう、と合点。

町屋の中をくねくねと・・・来ました大将軍八神社。
小ぶりながらすっきりと感じの良いこと!掃き清められて静謐感も。来てよかった!
本殿横の社務所前に甘酒とやきもちを売っていて、子供達も手伝っている。焚き火がしてあって木椅子が置かれここで食べられるようになっている。京都の街中と思われないようなローカルな感じがほほえましい。
もちろん参拝後甘酒を。甘酒は米粒の見える本物で、山盛りのすった生姜を、好きなだけ入れてください、と。

神社の由来は以下。
・・・平安京造営の際、陰陽道に依り御所の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て 方位の厄災を解除する社として創建された。創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称したが、江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。

祭神は古来の日本の神ではなく大将軍という陰陽道の方位神。(とくに建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神)明治の神仏分離令で神道を国教とし現在の形「素盞鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」と改められた。御子八神と暦神の八神が習合して以後社名は「大将軍八神社」となる。

京都市の西北に位置する方除の星神・大将軍とて、本殿前には方位盤がでーんと設置されていた。(写真)


北野天満宮

2012-01-02 22:02:45 | 寺社
やっぱり・・・北野天満宮へ行かなければ!と、本日初詣パート2。
初めて車を下りての電車・バスでの初詣。
いつも天神さんを目の前にしてぐるっと遠巻きの車の列。あまりの渋滞に短気なhus.はぶちきれ寸前だったが・・。
今日は寒すぎもせず徒歩でのお参り日和!!
いつもは、駐車場から楼門へ直行するので参道をうろうろ歩いて楽しむということが無かったが・・

本日はしっかり今出川通に面して立つ巨大な《一の鳥居(写真)》をくぐって行く。出店の合間合間に摂社・末社はたまた牛の像などがあって、うろうろ眺めつつ、それだけで満足なtesyuke。中でも、参道左手にある伴氏社(ともうじしゃ)。 伴氏社は菅原道真公のお母さんが祀られていて、前に大きな橘の木(多分)がある。実の橙色が温い。ふーん、手の届く範囲には実がない。なーーんて観察を!それを一緒に見ていた女性が、子連の牛の像があるの知ってはる?と聞いてくる。えっ、子連れですか?どこです? 向いがわよ!
というわけで、初めて子牛が横に引っ付いた牛の像を見ることに。

二の鳥居・三の鳥居・楼門をあがって・・
あとはいつものコース。
最後のデザートは、東門横の長五郎餅の茶店で一服。あーー。ほっこり・お正月。

そういえば、数年前の日本経済新聞俳壇欄に乗った拙句。
   **長五郎餅食べたくて初詣**
選者(茨木和生先生)評・・長五郎餅は太閤秀吉が北野大茶会で用いた茶菓。この餅は元旦から4日まで北野天満宮の茶店で売られる。この餅を食べたくての初詣とは素直な吐露。