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Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

京友禅のお化け屋敷

2009-09-09 11:05:08 | Weblog
tesyukeはお化け屋敷が結構好き。でも、もう何十年も行ってない。比叡山のお化け屋敷も無くなってしまったし・・
今夏の初めに‘京友禅のお化け屋敷’が面白いとのニュースが流れた。行こう!と、hus.に言ったら、・・・行ってらっしゃい・イッテラシャイ(止めだてはいたしません?)。友達に言ったら・・・ちょっと夏は忙しゅうて(行きたい人なんかおらへんのんとちがう?)
やっと一人相棒を見つけたときは、夏の終わり。

新聞の切り抜きを見ながら予約を入れる。友禅染の製造販売会社≪亀田富染工場≫が自社工場に作ったもの。一回10人ずつがはいれて、10分位で終わりです、*日*時にきてください・・
会社の場所は西大路五条。この辺はあまり知らないので場所が分からずちょっとうろうろ。電話で確認すると数メートル先だった。

受付はショップの中にあり、入場料はなしで、商品を1点買えばOK。
お化け屋敷のあとで工場見学もさせてもらったが、この厳しい時代を生き延びるのに、京都の中小企業が努力しているのが良く分かった。この会社、京の染屋さん。絹の反物の染が減ったと言う事情から、今は絹以外のあらゆる素材を染めているとか。それは、一種類の生地を染めていた昔の方が楽でした!と、案内のお兄さん、いやいや副社長。(多分?兄が社長と言っていた)
染めたものを商品にするためアジアへ(安いからと)出すと、日本製とはならないので、京都発にこだわってここの染めの技術を押し出した商品の企画・製造・販売までしていると。

友禅染の意匠で、Tシャツ・ブラウス・小物等々。骸骨模様とかユニークなものもあり若者には結構人気みたい。ちょっと好みの問題もあり、tesyukeはポーチ。友達は手ぬぐいを買った。
客は6人で、時間になるとぞろぞろお化け屋敷まで案内される。途中に話をいろいろ。・・商売としてのお化け屋敷でなくこれはあくまでプロモーション用のもの・・・この工場近くで映画監督の林海象さんが生まれたと言う縁で、彼の協力で作った・・・友禅染と映画の技術の融合した京都らしいお化け屋敷です!・・監督が教授をしている京都造形芸術大学の学生達が手伝った・・・etc.etc.

工場の鉄の階段をがたがた3階まで上っていく。演出でスプレー吹きかけて裏さびれた感じをだしているんですわ・・待合室へ。いよいよ。
二人ずつドウゾ。おばちゃん二人・おばちゃん&娘・ギャル二人 の陣容。
しばしの躊躇の後、tesyukeたちが先陣を切る。友禅の暖簾がかかる入り口から案内されて中へ。
心臓弱かったらちょっと加減しますので・・いえいえ大丈夫、怖いのでお願いします!・・手でたたいたりせんといてくださいね・・はっ?

最初は友禅染の生地を潤沢に使って、こわきれいな空間。おばちゃんたちは布の品定めなどをする余裕ぶり。指示通りに戸を開けたり閉めたりしながら進んでいく。
こわい映像(映写機に布がかぶせてあるのを見つけた)や首がポッと上がったりとか、時々ギョッとさせられるのを‘昔のお化け屋敷っぽいね・・でも、友禅の生地がいいね・・’等と平静を装って進む。
オッ、突然幽霊が出ました。一間ほどの間を行ったり来たりして脅かしにかかる。キャッとは言ったものの幽霊さんの守備範囲が広いので余裕を持って眺められる距離。(こわいけど)こんなんにおどろかへんで・・と、くそ度胸。最後には友達が、幽霊に≪ご苦労さん≫とまで言う始末。人間やったね・と、うれしげな二人。

だんだん道が細くなって、おどろおどろしくなる。友達が角を曲がった瞬間、戸があいて最高の幽霊が出ました!!これが怖かった。血まみれみたいで・・怖くてまともに見れない!
友達は走って逃げてしまって、置き去りにされたtesyukeは怖くて角が曲がれない。つかみかかられるぐらいの距離。キャーでは無くギャーと言う感じ。**サーーン、戻ってきてーーと叫ぶが薄情な友達は戻ってこない。幽霊は戸をあけたり閉めたりと角を曲がってくるのを待ち構えている。行かなしょうないなーーと、出んといてーーーと、叫びながら駆け出す。捕まえられそうなのを逃げてホット一息、はっとこんどは白い幽霊が浮かぶように・・・
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー、出口。転がり出ました、待合室。
5人が大笑いしている。

ハイ次のグループ。おばちゃん&娘さん。中で叫んでいるのが聞こえてきて、思わずにやっとしてしまう。娘さんが飛んで出てきてこける。
最後はギャル二人。入ったとたんからキャーキャー。すでに経験済みの四人うれしげに顔を見合す。今あのへん・・この辺・・怖いで・・怖いで・・と、言う感じ。
最後に特大の悲鳴とともに転がり出た二人、出口のところに折り重なってはあはあ言っている。
怖かったね・・と、満足げな6人。久しぶりにいい悲鳴あげました。

総括:若いほど怖がり度が高い。浮世の垢にまみれると怖いものがなくなるんだろうか? 今日のグループ3組。平均年齢が若くなるにしたがって、悲鳴の量が多かった。もうちょっと悲鳴を上げられるよう気持ちを若く持たねばならない?か・・

写真・入り口で説明を受ける

寧波展・・奈良国立博物館

2009-07-20 23:41:06 | Weblog
寧波(二ンポー)展・奈良国立博物館で18日からオープン。
聞きなれない名前で何かしらと思ってしまう・・・・
≪聖地 寧波 日本仏教1300年の源流 ~すべてはここからやって来た~≫と、キャッチコピー。

19日にはやばやと見に行った。それというのも、あの楊貴妃観音が見られると聞いたので。
御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)には何回足を運んだことか。それなのにマンの悪いことに(tesyukeの場合です)楊貴妃観音堂には**へお出かけという立札と、楊貴妃観音の写真がおかれていて、実物を見たことがない。泉涌寺さんも、そんなに出稼ぎに(おっと失礼)出さはらんでもと、言いたくもなる心境だった。
お寺では見られず、博物館で見られるとは、なんだか矛盾。

楊貴妃観音像は1255年に中国から渡来。玄宗皇帝が亡き楊貴妃を偲んで造らせたと伝えられる美しい木像ということで期待度100%。
西新館に入ってすぐぱっと目を引く大柄な坐像。確かに美しい。宝冠もカラフル。800歳とは思えない新しさ。びっくりしたのはケースも無く1メートルという至近距離で見られるというその事実。お寺にあれば、暗い堂内の奥深くを目を凝らして見るというのに、薄暗いとは言え、すべてをさらけ出して見られている観音さんに(信仰を離れた)博物館というものは無常やなーー、と思う。
思わず、夜目・遠目・傘の内なーーんて、つぶやく。お堂内で見るほうが神々しくあらせられたのではないかと・・・

角度・見る位置によって雰囲気は変わるが、ほ・ん・と・に・中国美人。ふっくらしたまぶたに今風のアイシャドーなどをさすと似合うかも等と不遜なことを考える。
この像は確かに美しいけれど人智レベル。仏像と思わないほうがいいのかもというのがtesyukeの感想。手を合わせたくなるような胸打たれるものは感じない。
ギリシャ・ローマの像を美しいなあ・・と見るのと同じ次元とでも申しましょうか。

頭だけになっていても、手が欠けていても、博物館の隅に置かれていても、心打たれる仏像はあるし、それらは人の心を打つ何かを持っているんだろう。弘法は筆を選ばずにまねて、仏像は場所を選ばず、です。場所を選ぶ仏像は本物でないと言えば、言い過ぎ!かも・・

とにかく、この展観、期待に反して(?)よかった!丁度よい加減の人出で、ゆっくり見ることもできた。
日本仏教の歴史を、一つの都市名に集約させ行く企画構成、中国・韓国・日本各地から見合った出品物を招請してくると、博物館の仕事の大変さをなぜか今回は感じた。

国宝・清涼寺釈迦如来立像・・これもケース無しの至近距離で見ることができます!

通りすがりに《山本太郎展》

2009-06-13 22:16:51 | Weblog
京都伊勢丹にちょっと寄りました。山本太郎展。ポスターがとってもカラフルで人目を引く・・・
でも、なんか変。紅白の幔幕が星条旗に変わって・・。なんか変で・・気がひかれる。

まさか・・あの・・山本太郎?? 誰?この山本太郎?とかまびすしいこと。皆がイメージした太郎とは別人の、若い日本画家さんだった。
本人は、《ニッポン画家》を任じているようで、以下チラシから抜粋。

山本太郎氏1999年に《ニッポン画》を提唱。
《ニッポン画》とは、
Ⅰ現在の日本の状況を端的に表現する絵画ナリ
Ⅰニッポン独自の笑いである“諧謔”を持った絵画ナリ
Ⅰニッポンに昔から伝わる絵画技法によって描く絵画ナリ

既成概念を打ち破ってこんな若い人が現われるのっていいですね。

最初に見た小品。《今山水図・Landscape of small island》松と桜の木で覆われた小さな山の絵。
山を輪切りにするように入った横線。花や木をかたまりとして分割する単なる線と思っていた。
良く見るとそれは道路で、横断歩道に信号まで書いてある。頂上にパーキングも。ニタッ。

亜米陀如来来迎図・・・自由の女神を仏に模している。ニタッ。
仏延命図(nirvana) 涅槃絵図の構図で釈迦が病院のベッドで延命装置の中。ニタッ。

大きな屏風図。能舞台に描かれているような松の木。その真ん中に出た大きい赤い日輪。日輪の中ではケンタッキーフライドチキンのケンタおじさんが笑っている。ケンタッキーの入社式のとき舞台の真ん中にでんとおかれるとか。

日本画の技法で描いているのだが、見ていて思い出されるのはアンディ・ウオフォール。あのキャンベルスープ缶とかマリリンモンローで一世を風靡したアメリカンポップアーチスト。

楽しい展覧会だった。と、出口へ。
そこへ背の高い若い男性が入ってきた。浴衣(と思う)を着ていて、落研の学生さんのように見える。本人が今から作品解説をします!だって。

残念ながらジャスト4時、今から行くところが・・・

しろくま 食べてきました!

2009-05-28 17:22:29 | Weblog
月曜日、用事があって高島屋に行ったら、九州物産展をしていた。
しろくまと、看板が目に入って、思わず『あれや!』と、合点。

昔昔、土曜日のテレビ番組・探偵ナイトスクープ(当時は関西圏だけか)で上岡局長切れまくってた頃の話。鹿児島ではシロクマという食べ物があるとか?ホンマですか?調べてください?と言う依頼に探偵が調査に行ったのを見たことがあったのだ。探偵がホンマに白熊食べんのかと、関西風におちょくりながら、行き着いたのがなんと《かき氷》。

忘れてませんよ・・
これのことだったのね・・
食べずにおかれよかと、注文。
見渡せば、月曜日のこととて、お客はほとんどおばちゃん!

大きいのと小さいのがあって、小さいほうはベビーしろくま。
ベビーの方を注文する。ベビーと言っても普通サイズだよ。
作ってくれるのを眺めていると、この人(作っている人)のおじいちゃんとおばあちゃんが初めて作りはったんですとのこと。
まあ、本家しろくまあるいは元祖しろくまなんだ。

練乳ベースのクリーム色のシロップをたっぷりかけてその上にトッピング。慣れた手つき。手順どおり決まった場所に乗せていく。トップに置いたレーズンがなにやら目のようで、白熊の顔のように見える。果物いろいろ、金時豆の甘いのも乗っていた。豆を乗せるなんて、なんだかベトナムのかき氷を思い出す。

甘党のtesyuke。練乳は大好きだし気にいりましたーーーーー。
普通のかき氷のしゃかしゃかした食感でなくマイルド。しっかり芯までシロップがしみているのがうれしい。口あたりよく、ヒェー、ちみたいと言うこともない。
かき氷の状態はふんわり積もった雪のようでみやび。トッピングがカラフルでややワイルド。このあたりを調整して京都風しろくま売り出す人がいるのではなどと、考える。

が、ベビーとは言え、結構ヘビー。あつーーい宇治茶飲みとおす・・・・

国宝鑑真和上展 

2009-05-24 00:29:43 | Weblog
24日で国宝鑑真和上展終了。その前に見に行ってきました!

tesyukeは唐招提寺が大好き。門を入るかはいらないうちに目に入る金堂とその屋根を見ただけで満足してしまう。ここはとっても落ち着くお寺。

昔々、薬師寺が今ほどきらびやかになっていなかった頃は、薬師寺が好きだった。そして西の京を、もう一息歩いて唐招提寺に行こうとは思はなかった。高田好胤さん、頑張らはったとは思うし、お寺も生き物、世につれ変化していくもの・行くべきものとは理解していても、まだ過去のイメージ(*十年前)にとらわれて、今の薬師寺は好きにはなれないでいる。

というわけで、西ノ京に行けば今はもっぱら唐招提寺を訪ねることが多い。しかし建物とその境内の雰囲気に満足して、何故か仏様のことはあまり記憶にないのが実情。ましてや、鑑真和上像は未だ見たことがない。
と言う訳で、奈良国立博物・館鑑真和上展とくれば・・これは絶対見逃せない。
唐招提寺のお坊様方が博物館内の和上像の前でいつもどおりの朝のお勤めをなさると聞いていたので、間に合うようにと朝早くに家を出た。のに、渋滞。博物館に着いた時に丁度お坊様が階段を下りてこられた。一足違い。アーー残念。

孝謙天皇直筆の唐招提寺と書かれた「勅額」がちらりと正面に見えたがまずは順番どおりに見ていく。
歴史の中で知っている人にゆかりのものを時空を超えて目に出来る・・・って、幸せです。
歴史が長く、それらが残って今存在しえるという二重ハードルクリアの国に生まれてよかったと、思う。

まず、四天王像! オンヤ、あのキム兄を髣髴させるようなへちゃげた顔立ち。法隆寺金堂の四天王は思ったよりも小柄で扁平な顔、餓鬼が大きくそれはそれで不思議な気がしたが、こちらのは餓鬼がそれと分からないぐらい小さく像自体は大きい。鑑真和上とともにやってきた大陸ぶりかと思う。
とって充実した展観で、見やすかったし理解もしやすかった。あれも・・・これも・・・全部を一言では言い尽くせない・・
が、なんたって、鑑真和上。長年の思いがかなって見ることができうれしかった。静かに座しておられるお姿に、『若葉して御めの雫ぬぐはばや』芭蕉のこの句以上の捧げ物は無いと思った(涙)。

鑑真和上像のブースにくるまでに。『東征伝絵巻』(重要文化財:鎌倉時代))が展示してあって、鑑真の一生を追うことができた。実際のところ『天平の甍』も読んでいない。日本に来ることを志して10数年後(何回もの船の難破を乗り越え)日本にたどり着いた時は失明しておられたということ位しかしらない。が、鑑真が出国できなかったのは船の難破が原因と思っていた。ところが高僧鑑真を日本なんどへ行かせたくないと思う人たちが密告して国禁を破ったかどで捉えられるという目に何度もあっておられる。
これにはびっくりしたが・・・それにも諦めずに仏教伝道に東征する心意気、その心意気で1200年を像として存在しておられるのかも・・

とにかく鑑真が日本に来たのは戒壇を伝えるため。唐招提寺に戒壇跡があるのだが、どのように使用したのだろうかといつも思っていた。
会場内に戒壇を再現してあったので、それと実際の戒壇跡を重ねあわすことが出来た。重々しい儀式を正しいやり方でする・・・新知識を受け取った当時の人の心の中をのぞいて見たいもの・・・
*戒壇(かいだん)とは仏教用語で、戒律を授ける(授戒)ための場所を指す。戒壇は戒律を受けるための結界が常に整った場所であり、授戒を受けることで出家者が正式な僧尼として認められることになる。

沢山の仏像が静かにたたずんで、去りがたい思いの中最後のブースへ。御影堂(鑑真和上が居られる建物)内部の再現で東山魁夷の襖絵がセットされている。こ・れ・が・良かった!
最近高名な画家がいろんなお寺で絵筆を振るっている。でも、この襖絵以上に感激したことはない。「濤声」海の波しぶきがテーマで動を。「桂林月宵」「揚州薫風」「黄山暁雲」これは中国の山がテーマの水墨画で静を。画家が心よりの捧げ物として描いたに違いない。(涙)

また、唐招提寺に行ってゆっくり仏様たちに会いましょう。

善光寺御開帳③ ミシェラン・グリーン・ガイドブック

2009-05-21 12:17:49 | Weblog
善光寺は何度も行っているのだが、大きな行事があると、やっぱりその風景が変わる。
お寺から普段に無い磁力が出る。行って・見て、損はない。
馬には乗ってみよ・・・人には・・・で、人の行くところは行ってみよが、tesyuke風(ミーハーです)。

とは言え、今回善光寺にこだわった目的の一つは、びんずるさん(賓頭廬尊者)に会うこと!
善光寺の賓頭廬尊者像。本堂外陣に確かにいはった・いはったと、記憶のかなたから撫でられて磨り減ったお像を思い出しはするのだが、鮮明ではない。
何の苦労もなく内々陣まで行ったのに、落とし穴が。外陣を通らなかった!
ああ、びんずるさんに会えなかった・・・・残念!

何故、びんずるさん?
最近知ったミシュラングリーンガイドブック。
この像を、三ツ星見る価値あり!!!と、大絶賛。フランス人記者の目には人々の土着的信仰の熱さの結晶のように映ったのか、元の姿をうかがい知れないへたり具合がこころを打ったのか。
そして、返す刀でこんなことを!
東大寺の大仏は単にメタポの大男。別に見る価値無し。(うろ覚えなので違っていたらごめんなさい。彼らも断っているようにこれはあくまでフランス人記者の見た感想。)

これにはショックを受けた。裸の王様みたいに、先入観念無しの目で見たらこう見えるのかと思ったり・・。しかし、仏人記者のしょっている価値観・文化的背景がこう見せるのだろう。
と、思うと、確かに‘お・も・し・ろ・い!’ 疑いもなく信じているものをもう一度見直して!と、言われているよう。そういわれて見れば、東大寺の大仏様なんとなくしまりのないお顔に思えてくるから、不思議。(すみません)

フランス人といえば、20年も前に家に来た青年は、高野山で誰かの御廟の中を、塀に取り付くようにしてのぞいて離れがたくしていた。その時、美意識が日本人と似ていると感じたのだが・・・。
一方ロンドン生まれのインド人青年は、あの興福寺の阿修羅(tesyukeおすすめ)には見向きもせず、新薬師寺・十二神将のなかの伐折羅像にいたく心を動かされ、憤怒の顔写真を買っていた。
好き嫌いは人それぞれ。と思ってはみても善光寺のびんずるさん面映さにいたたまれない思いをしているのではないか?東大寺大仏様抑えて三ツ星・・

蛇足ながら、
京都もミシュランレッドガイドブック(料理編)京都編が出版されるとかで喧しい状態。
ミシュランにはグリーン版(観光ガイドブック)もあると知ったのは最近。
今年になって日本の観光地を格付けした観光ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」フランス語版が、フランス人向けに出版された。秋には英語版が出るとか。
「ミシュラン・グリーンガイド」のライター達は、数か月をかけ日本を縦断、掲載地を厳選したとか。
残念ながら日本語版はないので、どんなところが一押しなんだろうかと、興味津々。

写真 善光寺もう一体の賓頭廬尊者像


*賓頭廬尊者 お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人。神通力が大変強い。俗に「撫仏」といわれ、病人が自らの患部と同じところを触れることでその神通力にあやかり治していただくという信仰がある。善光寺の「びんずるさん」は約300年前に作られたといわれている。

善光寺御開帳② 本番

2009-05-12 23:55:46 | Weblog
標準的核家族、仏事や神事とは無縁に過ごしてきたtesyuke。神社仏閣が好きで、良く訪ねているものの、自分の興味のおもむくままで、お参りのしきたり等ぜんぜん知らない。
バスに乗り込んできた《先達さん》が、とつとつと教えてくれる。
こう書くと良い感じ・・だが、まず一番最初の彼のアクションは、持参の袋を皆に配ること。何かと思えば、回向袋。皆さん宜しくお願いします。一応3000円以上で・・と、おっしゃる。
はっ?何?と、言う感じ。最後尾にいたので、前の方の人が何を言ったのか分からないが、京都からついてきたお世話係さんが弾かれたように大慌てで叫ぶ。ご希望の方だけですよーーーー。

迷子にならないようにと、寺名入りの輪袈裟を首にかけて近道を善光寺へ。
雑用を先達さんが済ませた頃に坊さん現る。以後お坊さんの後をぞろぞろ。寺の後方から入ったので、前立本尊さんが入っている蔵とか、過去の回向柱を見ることができた。前立本尊さまもお気の毒、6年間に2ヶ月だけ日の目を見るだけで、後は蔵の中とは。
使用済み回向柱のほうは土に直接立ててある。だんだん高さが低くなっていき最後は土に帰すらしい。6・7本立っているのが墓場のようでなにかさびしいーーーー。

日の出前というのに、境内に入るともうすでに結構な人出。
本堂の前にどーんと立派な回向柱が立っていて、線香の煙がもうもうとしている。回向柱を触るのにちょっとした行列。こんなことするのも初めてで、思いっきり両手で触っていたら、右手で触るんですといわれてしまった。

お坊さんはどうやら込み具合と時間を勘案しながらスケジュールの調整をしているよう。しかも、お客(?)を退屈させない弁舌もなかなかのもの。で、この本堂前に立てられた回向柱と前立御本尊の右の御手とは紐で結ばれており(それを善の綱と呼ぶ)、柱に触れることによって、前立ち本尊とご縁が結ばれるんですよ・・などと解説。

そして、早い人は2時頃から待ってますよーーと言いつつ、一寸遅くなったのが残念・残念とさかんにおっしゃる。一体今何をするためにここにいるのかしらん状態のtesyuke。どうやら御朝事のことらしい。善光寺のツートップ大僧正さまと御上人さま(尼さん)が朝のお参りに来る道中にお数珠を参拝者の頭に置いてくださる(お数珠頂戴)のを、せめて10分早く着いておれば二人からもらえたと、いうのだ。すでに大僧正様はお堂の中。

いつの間にか回向柱の行列は山門の外まで伸びている。その行列の両横に人が立って待っている。輪袈裟をして坊さんのエスコートつきとあって、らくらく良い場所を確保。ゴーーンと、銅鑼の音。山門に赤い傘が見えるでしょう・・・御上人様ですよ・・・。回向柱への行列は我々の後方にやられ、一本の道が出現。お供を連れてお上人様おみ~~え~~。ゴーーン。本堂に向かって左手の人々を一人ずつ数珠で触りながら進んで行かれる。右手のtesyukeたちはそれを見ている。お供の尼僧の頬がばら色で美しいこと。

銅鑼の音で今何をしているかが分かる仕組みらしい。ごーん。今度は、お参りを済まされた大僧正さまが本堂から自坊へ帰られます。皆さん二列になって、背の高い人はしゃがんで・・・
で、大僧正様お~さ~が~り~。本堂に向かって右側の人が数珠を貰う。初めての経験。

はいはい、次は戒壇めぐりですよ。ご本尊真下の真っ暗な回廊を巡って『極楽の錠前』を探り当て、秘仏のご本尊と結縁する道場ですよ、との事。良かったよかった思っていたより行列が短い。なーーんて喜ばせてくれるお坊さん。もうすでに夜は明けて明るい。これは何の列ですか?と聞いてくる若者もいて、混雑した境内で目的の場所を探すのも一苦労のよう。

胎内めぐりってことで、結構あちらこちらのお寺にもあるが、tesyukeに言わせればここが一番怖いかも。回廊が長いのでほんとに真っ暗。前の人に触れてホット安心。
地下から出てきて、一仕事終わりました!もう一日が過ぎた気分。
それでもまだ、午前7時30分。

一寸地下にもぐっている間にどこから湧いてきたかと・・・思うほど人が増えている。境内がざわめいている。回向柱の行列、二時間待ちとの事でついに仁王門から外へ外へ・・・
急におなかもすいてきた。では、私の坊へ案内いたします・・・とて、良性院にて朝食。食事を終えて一息ついて、いざ又本堂へ。

お坊さんに連れられた輪袈裟の一行、いかにも信心深そう。罰あたりが二名ほどいるんだけど・・。我々は正面からの通路を取らず左手の特別入り口から上がる。ながめれば本堂の広い外陣はびっしりと人・人・人。そして人ごみをかきわけ内陣に入り、遠めに前立本尊を拝んで、ジ・エンド・・・みたい。

入ったところは、どうやらご供養をしてもらう人用。我々のようなグループがひとかたまりずつ待機している。順次招かれて内内陣へ入っていく。お坊様勢ぞろいで読経中。神妙に・神妙に。tesyukeは大きな鐘のまん前になってしまって何にも前が見えない・・・・と、思ったら、首を右に一寸回すだけで前立て本尊がばっちり目の前。バスの中で依頼した回向袋、それがこの場で読み上げられている。なるほどなるほどと、納得。先祖代々供養から家内安全依願に変更したのを思い出す。tesyuke、お主やっぱり現世利益か!!

あとは、時間まで自由行動。経蔵や資料館を見る。
そして、走っていったのは《おやき》の店。ここも行列。昔に比べて泥臭さがなくなったみたい。お焼き村まで行って、囲炉裏の灰がついたのを食べたことを思い出す。
まだ昼前と言うに、お坊さん先達さんに見送られて善光寺を後に。
なんだかめまぐるしい・・・・一日! いえいえまだ続く一日。
後の半日は、温泉入浴・昼食・飯田の元善光寺御開帳にお参り。

マイカー飛ばしてきた場合、御朝事の存在は知らず、二時間待ちの回向柱は並んでられんとパス。せいぜい本堂に上がってお参りするぐらいだろう。
今回善光寺の歴史も再認識できて、都に遠く離れたこの地にこのような立派な寺がある不思議、それが京都・奈良の寺とは違った存在の仕方をしている不思議、に感じ入った。とにかく、先達さんあ・り・が・と。

善光寺御開帳 ① 徒然草実感

2009-05-11 00:37:41 | Weblog
ゴールデンウイークも過ぎ、あの高速道路狂騒曲はなんだったんだろ・・と思う、そんな日常に・・・戻りましたね。
期間中高速道路の渋滞の状況をテレビで見ながら、うしし・うししとtesyukeはたか笑いを!
と言うのも、なんたってその渦中にいて、うまくすり抜けたようなので・・・!?

どこにも出かけない積りが、善光寺御開帳参拝バスツアーなるものに滑り込みで申し込んだのが30日。
2日夜出発3日夜には家に帰っているという優れもの。なんと言うはやわざ!
運転しないだけ良いか、どこかいかないと収まらんのが約1名いるしと、(ツアーは嫌いながら)hus.もゴーサインを。残り2席の最後の申し込み者だった。

ゴールデンウイーク中の人出が善光寺200万人以上で・・トップ3に入っている。と、知ったのは、帰宅してテレビをつけてから。
繰り返しくりかえし善光寺内の長い行列を放映しているのを見て、こちらもうしし・うししとtesyukeは又々たか笑いを!と言うのも、なんたってその渦中にいて、うまくすり抜けたようなので・・・!?

もちろん、行きは寝てる間ということで何のさしさわりもなし。ドライバーも二人で安心安全。体力勝負!
休憩するたびに、停車位置がだんだん駐車場の後方になってくる。ほんとに沢山の人出(いや、車出)。オーー、車の中で寝てはる!!状態。千円の威力はすごーーーい。

正確に言えば、京都駅八条口を夜の10時20分出発。途中3回の休憩があり善光寺に着いたのが朝の4時半位。まずまず。帰りは、飯田の元善光寺を夕方の5時ジャストに出発。京都帰着は9時だった。
そんなにスピードは出てなかったが、渋滞することはなかった。まずまず。
反対車線上りが、延々とライトが続いて渋滞気味。お気の毒さま。

ところで、今年は善光寺前立本尊御開帳・7年に一度の大行事。
いやー、ここまで関心の高いものとは思わなかった!
すいすいと来たバスが長野市にはいるや否や大渋滞に。
駐車場への道が車で身動きできない!まだ朝の5時にもなっていないのに!

しかし、ツアーデスクにこれらはすでに織り込み済み・・・おもむろにバスのドアが開いて輪袈裟をかけた老齢の男性(先達さんと言われていた)が乗り込んできた。
のろのろ動くバスの中でいろいろお話を。そして最後に、ハイ皆さん降りてください。近道を歩いていきましょう。駐車までこれから何分(何時間?)かかるかもしれないマイカーを尻目にやすやす善光寺内へ。
ここからはお坊さんにバトンタッチ、お坊さんの指示に従って早朝からの各行事をすいすいと・・・・。

どうやら旅行会社がお寺と提携しているような。先達さんも坊さんも宿坊・良性院のかた。
で、教訓。少しのことにも、先達はあらまほしき事なり《徒然草52段》

徒然草52段は笑い話めいて、記憶の片隅に残っている。
仁和寺の和尚が石清水八幡宮を一人で詣でた時、山の麓の大きな社を本殿と勘違いして参拝した話。
山の上(本殿)に登っていく人を何故と思いつつもそのまま帰ってきた。そして言って曰く『神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず』で、兼好法師さんはおっしゃった。『少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。』

確かに・確かに。700年以上前の話が、実感を伴って思い出された・・・コトデス。

城南宮・曲水の宴

2009-04-29 18:51:08 | Weblog
ゴールデンウイーク!なのに、今年は近場でぼちぼち・・・
毎年計画が出遅れようとも、どこかに行かないと気がすまなかったのに・・
運転いや・・と、今年はhus.に拒否されてしまった。渋滞に巻き込まれるのが、目に見えてるから・・と。

で、近場第一弾。
城南宮の曲水の宴を見に行った。
いつもテレビで見るだけで、行った気になっていたけれど、古式ゆかしい装束が新緑とあいまって美しかった。開始直前に着いたのが却ってよかった。
会場のベンチ席(日当たりよし)の後方で木の陰になっている。立っているので結構前が良く見える。

実際はもっと長い流れでするんだろうな・・・(だって自分達が楽しむための宴だろうし、あんまり早く盃がながれてきてもなーーー)と、思う。が、
まあ、狭い空間で見物しやすいようにショーとしてアレンジしてあるんだろう。しかし平安の雅のエッセンスは十分伝わってきた。

装束を着込んだ、公家役の方々は、京都歌人協会所属とか。お題が出て即席で歌を詠むのに不足はない。
お題が披露された後、おのおの水辺の席に着座。
白拍子の舞があって(歌を詠む方のシンキングタイムかな?)、いよいよ本番。
かわいい童が竿を持ってうろうろ。流れてくる盃を載せた鳥の形をした容器を引き寄せるためのようだ。
流れの上の人から歌を書き終わりお酒を飲んでいる。飲み干した杯には(今回は)山吹の花を1輪おいて印とし、下に流す。短冊は童が集めまわる。
集まった短冊は、城南宮の神官さん達が詠み上げる。
歌会初めで詠み上げるあの感じで、まさに朗詠!
独詠の後、全員で唱和と、なかなか複雑な朗詠の仕方で、一つの歌をほんにこんなに盛り上げるんや!と言う感じ。

途中、放映用にと報道関係者が会場に入り撮影。小袿姿の一番若くてきれいな女性にカメラマンが集中して、思わず笑ってしまった。

お天気に恵まれて、雅な気分を味わえて、はなまる!

写真:小流れに浮かんでいるのが盃

コウノトリ!

2009-04-22 19:12:43 | Weblog
月曜日のテレビ。兵庫県立コウノトリの郷公園の発信機のひもがくちばしに絡まっていたコウノトリ、自分で随分ひもを引っ張ったらしくやっと取れました・・・元気に水を飲んでます・・・と、良かった。よかった。
実は日曜日にそのかわいそうなコウノトリを実際見ていて、どうなるのだろうと心配していたのだ。

と言うのも、野鳥の会会員の友達が、コウノトリの郷行きの企画があるのだけれど、会員だけでバスがうまらないの、参加しない?と、声をかけてくれたのだ。
お言葉に甘えてと、19日7時50分JR宇治駅前に集合。おやおや、蓋を開ければなーーんと驚きの47名の大部隊。ほとんどがバスの中、実際現地にいたのは3時間強位だったけど、コウノトリを見に行って良かった・・・・!!

トルコで、地中海沿岸から内陸へ向けてバスで移動中に、とある町で、車の往来の激しい通りにある電信柱のてっぺんににぼさぼさと黄土色じみた大きな平たい塊がのっているのを見た。
何?と聴けば、コウノトリの巣よ。フーーン、こんなところにも巣を作るのかとびっくりしたのが、今まで唯一のコウノトリ体験。聴けば、トルコではローマの遺跡の柱の上にも営巣しているよとのことだった。
とんでもないところに巣をつくっているように思えても、周りの田地が豊かにコウノトリを護っているんだなと、思ったものだ。

豊岡と聴けばコウノトリ。何度となくマスコミに取上げられているので概略は知ってはいるのだが・・・
美しい里山の景観が広がっていて、思った以上に素晴らしい所だった。
コウノトリが伸び伸び暮らせるところは人間にとっても気持ちの良いところなのだ。小さい子供が親に、又来ようねといっているのが、聞こえてきた。

コウノトリ飼育ケージは行かなかったが、自然に放してやる前に(羽を一時的に切って飛べないようにして)屋外で自力生活訓練中のコウノトリは近くで見ることが出来た。
もちろん大空を飛んでいるのも・・
この良い環境に、沢山の野鳥もまた集まってきている。美しい青サギが悠然と水をはった田の中にいた。

コウノトリ文化館で見せてもらったビデオ。最初に一枚の古い写真・・・。
それは、1960年(昭和35年)撮影で、出石川を農家の女性と牛が歩いているところ。彼女の周辺に10羽以上のコウノトリが写っている。逃げるでもなく人を気にすることなくそこにいる。まさに共存の見本のよう。
この景を念頭に豊岡はがんばってきたのだな・・・と、感動した。
文化館では、剥製のコウノトリを見たが、大きい!自然の中では大きさを感じないのだが・・
文化館の外には、巣の模型が(高い柱の上でなく)地上1メートルほどのところにおいてあった。直径2メートルほどでこれも大きい!

昼食を食べながら見ていると小さい子供がそれに登って遊びだした。階段がついていたのだ。
おやおや6人も・・・
子供が去った後,(もちろん強度は十分と分かったので)tesyuke達も巣の中に。
手をばたばたさせて、鳥になった気分!
巣の中遊ぶなどあほなことは・・さすが野鳥の会の面々はし・な・い。
高性能の双眼鏡持参の人もいて、鳥達を田の中・林の中に五感総動員で追っている。

帰りのバスの中で、観察できた鳥のまとめ!!
トータル24種の鳥の名が挙がっていた。驚き。

我が家の桜ツアー

2009-04-17 23:19:00 | Weblog
今年も、丹後半島・あじわいの里へ我が家の桜の手入れに行った。1週間前の話。
とんでもなく遠いところへ植えたものだと、今さらぼやいても仕方が無いが・・
高速道路が途中にできていたので昨年よりは早く3時間半で到着。(いやはや)

他のオーナーの木で染井吉野などはすでに3メートルを超し立派に成長しているものもある。
tesyukeたちのは枝垂れ桜で2メートル位まで成長、元気な枝をいっぱいつけていた。ぼちぼち3分咲き位。肥料をやって、桜ちゃんに元気でねと、声をかける。あの桜守の佐野藤右衛門さんも桜は人間のことを良く分かっているとおっしゃっていたし・・。
立地から、京都市内よりは遅く咲くと分かっているが、去年は遅すぎ、今年は早すぎ。
是非来年は満開時に来たいもの・・・。と、hus.が、ここまで育てば、後はほっといても無事に大きくなるだろうとつぶやく・・・
おお・・先行きの不透明感・・・来年ははたして来るのか来ないのか?

小一時間ほどであじわいの里を後に。
鳴き砂で有名な琴引浜にちょっと寄る。琴引浜は砂の粒子が細かく、日の光に輝いて見える美しい浜。
季節外れで誰もいない中、一応裸足になって歩いてみた。キュッキュッと、鳴ったような気もしたが・・・気のせいか?
いろいろトラブルもあって、この浜の保存には随分努力されているとは聞いているが・・・・日本で唯一禁煙の浜ですと、看板がでていた。

そして、一路例年通り三方五湖近く常神半島先端の常神へ。
常神。ああー、山桜が美しい。道にうろうろと、お猿さんまでも。
いつもの宿にジャスト5時到着。もちろん港で揚がったばかりの新鮮な魚が目当て。

翌日は琵琶湖を通って帰ることに。
もちろん海津大崎。以前来た時は駐車場が満杯で、体よく言えば、満開の桜並木を車に乗ったまま通り抜け。実は、渋滞の車列が桜アーチの下にぎっしり。
今回は運良く駐車できて、琵琶湖や竹生島を眺めながら、満開の桜を満喫。甲板にびっしりお客が並んで、湖から桜見物している浜大津からの遊覧船も見える。

帰途は、(平日なので)1000円とはいかなかったが、高速道路に乗って、はやばや帰宅。
まだ、貰ってないがこれって定額給付金旅行?
足が出たよ・・

写真:一応、我が家の桜の花

法然院

2009-04-11 11:15:37 | Weblog
ぽんとつけたラジオからこんな会話が・・・
‘あの哲学の道の近くなんですよね?・・’
‘・・・金銭哲学の道ですわ・・’
聞き逃しそうなほどぼそぼそと聞こえたその声に思わずにんまり。(結構きつい事お言いやすな・・ふ・ふ)
この声に聞き覚えあり。先日直接法話を聞いてきたばかり!
1日から7日まで法然院が春季の伽藍公開をしていたので、拝観に行った。その法然院の梶田真章住職がゲストだった。

京都のお寺の中でなんたって法然院が一番好きと言う友達が多いしtesyukeもそう。
山の近くにあって緑の中に溶け込んで堂宇がある、というお寺は京都を囲む山々の数だけあるのだが、いつでも自由に(無料で)境内に入れるのは法然院ぐらい?
20年ぐらい前に(住職が法然院森の教室を始められた頃)一度夜に訪れたことがあるが、内陣を隅から隅まで見せて頂くのは今回が初めて。各部屋には学生らしき男女がスーツを着て待機、いろいろ説明をしてくれる。休憩所では善気水と言う湧き水で沸かしたほうじ茶も用意されていて、至れり尽くせり。

下界は桜・桜と浮かれているのに、ここはしっとり椿のオンパレード。
本堂北側の中庭には、三銘椿(五色散り椿・貴椿・花笠椿)が整然と植えられている。
坪庭のようなそんなに広くない庭に、光が届くようにきれいに剪定された椿の木々。心が清められるよう。
庭園の蹲(つくばい)がまた素敵で、その中に椿を隙間無く浮かせている。そこだけに、ぱっと明るく落ち着いた美しさが充満している。

でも、一番感激したのは本堂。
薄暗い中、目を凝らして見ると本尊前の須弥壇に花が置かれている。磨きぬかれた木の床に椿の生花が25。前から3・4・5・6・7と整然と置かれている。まさしく散華。
住職さんの毎朝のお勤めで、境内の季節ごとのお花をお供えするのだとか。(菊だけは買うとか)

法然院は住職がアクティブ。
人間は自然の一部と言うことを発信し続けておられる。「で、自然との共生という言葉は嫌いです」と。
FM797京都三条ラジオカフェで毎週火曜日ボンズ・カフェと言う番組でもパーソナリテイーを。
一味もふた味も違ったbonze。「おきばりやす」と、言ってあげたくなる。
僧の語源でもあるサンガ(人が集い集まるところ)としての寺を目指しておられる、そんな住職を中心に、人が集まり、法然院を支えているという雰囲気・・いいですね!

遠方の友が言った。「ああ。あの本堂前の縁側に本がたくさん置いてあるお寺ね。一日中でもいてられそう!いいとこやねーーー」

妙心寺展

2009-04-05 00:21:26 | Weblog
花冷えで、桜が長持ちしているとか!
1週間前の29日も風の強い寒い日だった。(日差しはあるのに・・)
この日は京都博物館へ、妙心寺展を見に行った。

妙心寺塔頭の東林院に沙羅双樹を見に行ったことがあり、大きくて静かな美しい寺域を思い出す。
が、このお寺のことは良くは知らない。
確か、昨年の京都検定で・・・問題集にのっていたのが《妙心寺の算盤面・そろばんづら》と言う言葉。
《たくみな組織運営で臨済宗きっての巨大教団を形成し俗に「妙心寺の算盤面」と称されました》との解説が・・・・
なるほどなるほど大きなお寺です。

お坊さんの姿もちらほら・・・信徒さんがバスで到着・・・と、さすが妙心寺展!
この寺の開山・無相大師の650年遠諱記念と言うことで、650年分の歴史が詰まっている感じ。
見やすい展示で、妙心寺の歴史と文化がばっちり!
一禅寺の宝物と言うよりは時代を語る非常に意義ある品々のオンパレード。

無相大師の600年遠忌の時(50年前)に揮毫なさったと言う昭和天皇の《無相》と言う大きな立派な文字。へーーと、びっくり。素直で律儀な感じがした。
抹香くさい?品々の中で、これはこれはと興味をそそられたのが、おもちゃの船。
ちっちゃいものではありません。豊臣棄丸所用玩具船。
子供が中に座って、曳かせて遊ぶ大きなもの・・豊臣秀吉の早世の長男のもの。
秀吉が急に身近に思えた。過去から人が飛び出してきたような、ホンマに子供がいてはってんな秀吉さん・・・・なんて。

近世になると、白隠禅師の絵画墨蹟が楽しかった。
白隠墨蹟法語1幅に「親孝行するほど子孫も繁昌 親は浮世の福田じゃ」と、書いてあった。
18世紀には通用しても、21世紀では、いかに?
人口に膾炙したものといえば、‘狩野探幽・春日局像’や‘海北友松・寒山拾得屏風’。‘長谷川等伯・枯木猿こう図’とか。
さほど、混んではいなかったのでゆったり良い時間が持てた。

外に出て、さてさて今日の、ロダンの‘考える人’君。きつい風にさすが寒そう!なんだかいつもより小さく見える。
風はきついとはいえ、よいお天気で噴水プールの水が透き通って、水の中の方が暖かい感じ。いつもは黒い鯉かいと、覗き込みもしないのだが・・・
今日の発見。日の光に、鯉が動くたびにうろこの間が金や銀に輝くのだ。
tesyukeの目の前で前びれを開いた時、内側が、黄色く輝いた!
展観で見た螺鈿細工を思い出す。見る角度でちらりちらりと輝き方がちがう、あのすばらしさ。それに通じる(ここの)黒い鯉はわび・さびの世界。
豪華な錦鯉達が、桃山時代の障壁画だとしても、それはそれ、負けてない。見直した。

そして、塀に沿って桜が植えられていて、満開の枝垂れ桜に思わぬお花見まで出来た。


はやばや桜

2009-03-19 00:50:52 | Weblog
12日京都。タクシーの運転手さんから『もう宇多野病院の桜満開でっせ。毎年早くさく桜やけど、今年は格別や・・・』と聞く。京都市・右京区、宇多野病院の敷地に沢山の桜があり桜の隠れた名所だと、話に聞いてはいたが、もう満開なんだ・・・

で、今日は宇多野へ。
どうやら咲いているのは椿寒桜という種類のようで、病院正門の塀に沿って植えられていて道から満開の様を見上げる事ができる。
しかし、今日のトピックは、なんと言っても花より目白。花の蜜を吸いにきた目白を見た。こんな光景を見るのは初めて!
毎年お花見に行っているのに、鳥の姿を記憶にとどめたことが無い。
観光地の桜には鳥も人出をさけてやって来ないのかも・・・。
目が慣れてくると、あそこ・・ここ・・と何羽いるんだろう・・ほんとに目白がめじろおし!

早春のすがしさの中、この宇多野あたりまだまだ京の田舎の風情がある。
緑めきかけている田畑に鍬をいれている人影。広沢の池にも水が戻っている。鯉揚げしていたからか、水に濁りが無く美しい。

近くに来たのだからと、ついでに桜守で有名な佐野藤右衛門さんのところによる。桜の頃には庭園を無料開放されていて、大勢の人が見物に来る。桜の大木のほとんどが蕾膨らむ状態だったので、人出はあまり無かった。
しかし、‘十六夜’と言う名の桜が満開で、美しかった。そして、その花の下におられたのが、頭に手ぬぐいを巻いた16代目藤右衛門さん。

tesyuke達以外にもう一人、桜色が目に入ったのでと入ってきた方がいろいろ質問を・・。その人が藤右衛門さんの年を聞く。そして、後期高齢者になったばかりの自分よりは若いと見た藤右衛門さんが、80歳とは!・・・・と絶句。
いやー藤右衛門さん、桜から精気をもらっているのか・・20歳は若く見えた!!
藤右衛門さんが、もうじき新月やからとか月齢で桜の咲き時を言っておられたのが新鮮だった。

いい出会いに満足の一日。

写真:桜に目白

雛人形めぐりツアー

2009-03-06 16:49:27 | Weblog
瀬戸内寂聴さんのインパクトが強くて3月3日前後の事は記憶から吹っ飛んでしまった。
が、1週間前の2月26日に“湖東雛人形めぐりツアー”と銘打った京都駅発のバスツアーに参加した。東近江市五個荘町と近江八幡市を尋ね豪商の家と古いお雛様を見るというもの。
琵琶湖の湖東近辺、車でちょっと出かけるのに最適で何度も来ている。お雛さんも見ているので躊躇はしたが、行ってみたいのよという今回初めての友達に同行。

企画は近江鉄道バスで、車体には西武のライオンマーク。なるほど弱小地方バス会社、西武の傘下にはいったのか・・(西武の堤さんのルーツは近江商人)
まずは、五個荘町到着。この辺は近江商人の出身地として有名で、天秤の里と称されている。着くと、ボランティアガイドさんがついて、近江商人の豪邸を案内してくれる。
まず第一声、この通りの反対側の突き当たりが塚本(地名か?)で、ワコール創業者はここの出身です。(ちょっと、ほこらしげ・・)

このあたり高度成長期の日本では田舎として取り残されていたのだが・・、それが良かった。はりぼてのような汚い町にされずにすんで、昔のものがそのまま残って価値を生んでいる。
それに加えて、例の竹下登時代の1億円を作家の外村繁生家の改修に当てたのだとか。ほんとに立派な近江商人の豪邸がよみがえっていた。この家には建てられた時から置かれているという、鋳物の守護狸が庭にいて(写真)狸というより、宇宙人?
大きな目は良く世の中のことを見るように
太っ腹は度量の大きい人になるように
たぬき=他抜き 他にぬきんでた存在になるように
ということらしい・・が・・

そしてお昼は創業200年の老舗・納屋孫で。鯉の飴煮はおいしかった。予算の関係か鮒鮨は出なかった・・・
五個荘町よかったっす!

28名参加だったが、≪納屋孫での食事が楽しみ!≫とか≪たねやで買い物!≫とか参加理由はいろいろ。
で、びっくりしたことが・・・。日曜日に日経新聞に載っていたバームクーヘンランキング。日本全国・堂々1位の≪クラブハリエ≫が≪たねや≫の洋菓子部門の店名だったこと!
たねやが入っている大阪の百貨店では売り切れ続出、なかなか買えないので買うために参加したと言う人がいた。ガイドさんも、購買意欲をソソル物言いをするし・・・tesyukeも、柔らかい当日用と日持ちするのと二種類購入。
友達と、しらなんだ・しらなんだ・クラブハリエ・・だって。たねやは近江八幡の和菓子屋さん。それが洋菓子作っているなんて!
近江の土産にはこんにゃくと丁字麩しか無いと思っていたら・・おぬしやるよのう・・・!

近江八幡のほうが見所は多いが、逆に多すぎてはしょった感じ。お堀端を歩いて、この町を作った豊臣秀次の話を聞いて、朝鮮通信使が行列を作って通った通りに思いをはせる。最後に≪たねや≫に。買い物・買い物。店員が並んでバスを見送ってくれた。